ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。




今日、この写真を見返していてまたもや唖然とした。彼らはこの写真の時まだ全員20代だった。ジョンですら29歳、ジョージはおそらく26歳じゃないか?凄すぎやしないか?

まず、ジョージは才能が遅咲きだなんだといわれているけど、26歳でサムシングとヒアカムザサンつくっておいて何が遅いじゃ?あまりに若くしてそんな名曲作っているというのに、才能がやっと開花した?そんなの26歳であの曲作れる奴なんてそう簡単にいないって。単に、ジョージの周りに年上の天才が2人もいただけだって。ジョンの26歳の時は、ラバーソウル。ということは、ジョンですらそこで成熟感が出てきたわけだし。なにも遅咲きじゃないように思うのだが。

まあいい、それより、なんなのだ、この連中の姿は?
これが全員20代?嘘だろって。

ジョンは復活したキリストみたいな仙人状態。
最も若いジョージだって、40歳位の熟練のミュージシャンにしか見えないって。
童顔といわれたポールでもクールな熟年に見えるし、リンゴはもう酒場の亭主状態。

彼ら、本当に全員が早熟だったとしかいえないって。
20代の写真?信じられん。




少し時間があるので、ネットでも情報は取れる毎日。
忙しいとネットにも目は通さないし、第一頭の中が混乱状態でなにもできないことが多い。でも、最近はそんな夢遊病者のような生活からも少しは遠ざかっていて調子が戻ってきたのだろうか。普段通り過ぎることでも、案外いろいろと気がつくこともある。

そんな中で気が付いたのだけれど、自分はいったい何やってんだ?という疑問。
もういい加減、自分の歳を考えるとビートルズだのロックだの人権だ自由だ希望だって…こういう状態なのも不思議な気がしてきた。考えてみると、こんな精神状態はおそらく学生時代に燃え上がるものなんじゃないか?それが40代にしてこの話に傾倒してんのもどうも…俺はなにしてんだ?

もう俺の昔の友達は会社なら部長、下手すると役員だって相当いる。彼らは会社の責任だの経済だの家族の将来だの、とにかく俺とは全く世界が違うことに関心が強い。もちろん、俺は会社の生活はとっくにやめたからこうなるのかも知れないけれど、そうだとしても、この精神年齢はどうも自分でも不思議だ。


でも、言い訳すればこれもビートルズのせいなんだけどね。
彼らに出会ってから、ほとんど心のレベルが同じところで騒いでるだけのような気もしてるから。いまだに感動だの、夢だの、才能だの…こんなこと考えてれば本当に俺はどうしようもない「少年」なのかもしれない。

まあ、ビートルズのせいなら、感謝すべきなんだろうな。なんたって少年なんだから(笑!)
でも、じゃあ、もし、彼らが世の中にいなかったら、逆に俺は会社の重役にでも今頃なれてたっていうのだろうか…?????


思考回路停止。






昨日の夜、ジョンの魂を聞いて寝たのだけれど、それがどうもまたもや頭に一撃食らった状態になってしまった。今日一日、ジョンのあのマザーという声がこだましてた。

ジョンは、突然母親と事故で親子関係を終わったのだけれど、どうも、この声はやはりあまりに強烈に響く。この絶叫は、単に歌のために出せっていっても出てくる声じゃない。この声は、叫ばずにいられなかった当時のジョンの心境なのだろうけれど、もう狂気を通り越した生死をさまようような朦朧とした声にすら聞こえる。

僕はこのレコードは実は、高校生になって初めてきいたのだけれど、当時はなにやら理解不能。でも、今はこのジョンの声の痛さが聞いていてあまりにつらい。

ジョンはスーパースターだったにもかかわらず、こんな声を出さなければならなかった。むしろ、それまでマスクをしてこの声を出さないようにしていただけだったのかもしれない。それがスーパースターの素顔であって、声と素顔を隠したマスクがここでやっとはがされたということか…


ジョンは世界を制覇しても精神的な苦しさをもったビートルであり続けたのだろう。でも、やっと小野洋子というパートナーをみつけ、そしてショーンが加わった頃、もしかしたらジョンは彼の人生で幸福の絶頂期に差し掛かっていたのかもしれない。そんな気がする。

そのときにジョンの命が終わった。
マザーで僕の耳にこだましたジョンの声は、あまりに無情なジョンの人生を考えさせられてしまった。
真相は誰も知らないけれど、あれだけのスーパースターが、もし満足に幸福を得る時間がないままに人生が終わったとするなら、あまりの悲劇でしかない。そう考えたとき、僕は本当にジョンに感謝しなければならないと改めて思った。

ジョンは僕や世界の人のために、代わりにジョンだけが苦しみを背負って犠牲になってくれたようにすら思ってしまった。なぜなら、僕を含め多くの人たちがジョンに出会えたことでほんとうにいい人生を選択できたから。

これからしばらく、ジョンの魂は聞かないことにした。






日本は今はゴールデンウィークだろうか。
どうもカレンダーの感覚がなくなってしまって久しいので、そんなことを考えるとつくづく時間が過ぎたことを実感する。かつて会社勤めをしていた頃には、この時期はやっと開放さるって喜んでいた季節だ。

今日は、この時期にしては温かく海辺に出かけて愛犬と遊んできた。
ビーチで時間が過ぎるままにいると、何故か喧騒の中で過ごした生活も懐かしくなる。勝手なもので、ないものはほしくなったり懐かしんだり。でも、今あるものには価値がわからなくなることが多い。


ジョンレノンの「心の壁・愛の橋」に入っている What you got を時々やたらに聞きたくなることがあるけれど、今日はそんな心境だった。



今日は日本語サイトのニュースはどこでも長野の聖火マラソンのニュースだなあ。
これも、長野は驚いただろうに。最初は、オリンピックの純粋な意識だけで喜んでいても、最後にはこの状態になって2000人(?)の警官や機動隊が出動して警備してたって?これもモノモノしいなあ。画像も情報もこちらにはないから、コメントは出来ないけれど、とにかく常識ではないような光景だったのだろう。


群集が騒ぐともう警官でも手がつけられなくなるし、それが拡大するとデモも過激になり、さらにはクーデターになる。罵倒して喧嘩のような状態になっていっても、その光景は実は民主主義の一部なのだ。それは暴力を伴わなければ、社会に対して言葉を発することができるのだ。


ビートルズの登場で世界の若者は、絶叫、失神、疾走、革命などすべてを経験していったのが1960年代だった。それが歴史上では、暴力ではなく表現によって若者が開放されていった最大の出来事だったろう。才能、この場合ビートルズが今でも評価が消えないのはこの部分も大きいと思う。彼らはほとんどの大人から非難されたけれど、その大人たちが最後には彼らに歩み寄ってしまった。才能にひざまずいてしまった。教科書には載るし、歴史には残るし、ビートルズを取り巻く産業まで出来上がって、最後にはビートルズを追うだけで巨大な金が動いてしまった。誰もが無視できなくなってしまったのだ。ビートルズはハンブルグの頃などは、相当暴力的で過激だった。それが最後は才能だけで世界を認めさせたのだから、やはりそこには頭が下がる。

よく、ビートルズはロックじゃない、などというお方がいるけれど、そういう輩に限って、過激さが足りないだとか、ハードじゃないとか、力がないとかいう。でも、ギター壊して、暴力ふるって、コンサートで会場壊すのがロックではない。これだけはいえるけれど、それはただの社会迷惑な危険分子でしかない。ロックでだろうがクラシックだろうが、才能というのものは世界を変えるのに暴力などは不要なのだ。その才能だけでどんな暴力や過激さよりもエネルギーをもっているから。

ビートルズは、涙が出るほど美しい曲をたくさん作った。同じように、レボリューションのような世界がぶっ飛ぶようなエネルギーの作品もたくさん作った。そして彼らの全ての才能が世界を変えたエネルギーは、他のどのロックバンドよりもはるかに大きな力を持っていた。もし、社会にテーマを与えて、変革する力がロックだとするなら、いままで「ビートルズのロック」を超えたミュージシャンはどう客観的に見ても見当たらない。今では信じられないだろうけれど、かつてロシア(当時ソ連)は西側の文化をすべてシャットアウトした。しかし、ビートルズの音楽はその隙間から抜け出していってソ連の若者を刺激した。そのソ連時代の若者の1人が成長し現在ロシアの防衛大臣になっている。彼は今でもビートルズとの出会いを熱く語っている。そして、もう1人ががポールを赤の広場に招待したプーチン大統領であったのも事実。


ビートルズのロックは最後には宗教家や歴史上の名誉革命のような神聖な領域にまで達した。なぜならビートルズは才能だけで変革を実現し、そこには暴力がまるでなかったからだ。力での圧倒が戦争だとするなら、才能や言論という非暴力での征服こそ自由の象徴なのだ。「自由の象徴」…これこそがビートルズの凄さであり、彼らの永遠性の理由は最後にはここにあると思っている。




久しぶりに旅に出た。2泊だけの旅だけれど、それなりにリフレッシュした。
大自然の中で過ごした時間はなにかあらたな「やる気」を運んでくれるから嬉しいものだ。やはり毎日同じこと続けてるわけにはいかないかな。思考回路が停止する。

大自然の山間のコテージの中でMother Natures Sonがずっと頭の中で鳴ってたな。あの清らかなメロディが美しく景色にマッチしてた。

ニュージーランドの自然を走るといつも思い出すのが夢の旅人なのだけれど、それはニュージーランドがイギリスの風景と似ているからだろう。今回はダニーデンというスコットランドの影響が強い町を旅したけれど、尚のこと、そのあたりでは夢の旅人が鳴り続いた。

こういった曲はビートルズやソロの作品としても、地味なイメージがあるけれど、こうしてその風景に染まると、地味なのではなく、その土地のフォークソングのような意味合いを持っていることが、やっとわかり始める。

夢の旅人がイギリスでアレだけヒットしたのは、やはり皆景色を見ながら歌いたくなるような曲だったんだろうな。緑の丘と、羊と、打ち寄せる波を見ていて、本当にそう感じた。



今日、ネットでみてたら光市事件の少年が死刑判決という記事を見た。
死刑は嬉しいとはいえないけれど、今回は世論がほぼ全てこの判決を支持しているという感情論でも道徳論でも社会正義からでも、死刑しか残っていないという風潮に見える。もちろん、ネットでしかわからないのだけれど。


少年も18歳だった。
日本は自由の国であり、全ての行動は自由だけれど、その行動の責任はすべて自分が最後には追わなければならない。これが自由を享受するときの最低限の原則だ。自由には、自己責任という結論が常にある。

最後にこの判決が決定するなら、日本にはまだ自己責任という自由の選択が残っているのだろうと思う。死刑を喜ぶ人はいないだろう。しかし、自由が生き続けることを喜ぶ人は多いだろう。今回の大衆の判決支持の背景には、自由主義を前提とした判断が根底にあるように思う。生きるも死ぬも、自由の前では判断は平等であるべき。自由をまげて生きるよりも、自由を守るために死を選ぶことが正義であることも起きるのだろう。


長髪で髭、社会に反するような発言、これも自由だった。最初は、それが社会には受け入れられなかった。しかし、それらの自由な行動は、人を不快にするよりも、音楽と表現の自由により人々を開放し幸福にした。もし不快感だけがあったなら、はるか昔にビートルズは消え去っていただろう。

自由を楽しむということは、自分に100%までは合致しなくとも、なにかしら社会に受け入れられるべき社会共存も選ばなければならない。それができないならば、社会の自由を守るため、共存しない選択をした人間はそこから消え去らなければならない、ということなのだろう。

この少年は社会との共存を自ら拒んでしまった。






ポールもこの件だけは社会活動を継続してる。
でも、全員がこうなると世の中は産業革命状態になるかな?

これはポールに限らずお願いだけれど、大金持ちになった人は、遺産相続で余りそうな分は全部社会奉仕のために使い切っておくべきだと思うけどな。10億もあれば、あとは生きていけるわけだから、それ以外はどんな事業であっても世界が変わる方向に利用するなら、世界の富豪の財産だけでも相当産業革命起こせると思うけどな。

これもポールに言うわけじゃないけれど、ライブエイドやチャリティーもあまり好きじゃない。コンサートやって、金払ってるのは結局庶民。スターは全然受け取らないとはいっても、世界的なプロモーションだし、自分ではほとんど出費しないのと同じ。あんなに金持ちスターが集まって、コンサートやるなら、同時に財産の半分くらい全員出してみたらどうか。それだけでもデカイけどなあ。

まあ、ポールはある程度社会に対して寄付もしてきてるけれど。
世の中のチャリティ好きなミュージシャン様達へ、是非自ら率先して寄付してみては?




 [ニューヨーク 21日 ロイター] 元ビートルズのポール・マッカートニー氏が、地球温暖化の進行を防ぐため、より多くの人が菜食主義者になるべきだとの考えを示した。
 ロイターが入手した動物愛護団体PETAとのインタビュー原稿で、マッカートニー氏は世界の食肉業界が地球温暖化の大きな原因になっていると指摘。その上で「生活スタイルの中で誰もが起こせる最大の変化は、菜食主義者になることだ」と述べた。
 自身も菜食主義者であるマッカートニー氏は「われわれの貴重な環境を助け、未来の子どもたちに残すため、この単純な一歩を踏み出すことを多くの人に考えてもらいたい」としている。
 同氏は、食肉業界を維持するため使われる土地や水の量が気候変動に大きな影響を与えているとし、環境団体のほとんどが菜食主義を最優先事項の1つに挙げていないことに不満を示している。