
なに?ジミーページがライブで閉会式に出たって?
あの白髪でまだ元気じゃのう。でも、一時、今は亡き石立テツオに完全にウリフタツになった顔だったが、今は白髪が幸いしてよほどアーチストらしい風貌になってよかった。あの若き頃の美貌はもう幻でも、かつて再結成のたびに失望させられた面影はなくなった。よかった、本当によかった。
ところで、ジミーペイジ、ギターちゃんと間違えずに弾けたかなあ?
よくわからないけれど、おそらくテレビの前で多くの人はソフトボールや400メートルリレーの感動に染まっているのだろうか。まだその場面も見ていないけれど、ニュースの文字で読んだだけでも、どれだけ国中が盛り上がったか想像もつくってもの。
でも、野球はその逆か?
どうもA級戦犯探しで、ネット上では誰もが星野だのGG佐藤だの岩瀬だの、もう盛り上がりが凄い。これだけ差が出ると、ソフトボールや400Mのメンバーが成田に着くときは涙を流して迎える民衆も、どうも野球のときとなると罵声に混じって水攻めや卵投げでも始めそうな勢いだ。
一感想としては、確かに日本の野球人は金もらいすぎじゃないか?野球だけ専門でやってて、それだけだらしないならプロともいえないような…
で、今回驚きまくったのは、なんといってもイギリス!
なんだ、このメダルの数は!もうイギリス国民、おそらく沸騰して気が変になるんじゃないか?
こんなイギリスの隆盛見たのは、おそらく大英帝国以後はビートルズ位だって。
そうか、ビートルズ以来の世界的イギリス認知現象…つまりほぼ半世紀ぶりだってことだ。
まあ、しばらくはイギリス万歳やってても笑顔で見てるしかない。ビートルズ解散後、ハレー彗星がやってきたようなもんだって。
オリンピックはそろそろ終わりに近づいているらしい。ほとんど最近はテレビも見ないので、どうなっているかもわからない。ちょっと忙しいかな。
でも、オリンピックだから情報は結構新聞やネットでも入ってくる。中国が金メダル世界一って、凄い時代になった。かつて、東京オリンピックでは参加すらしていなかった国、長い間冬眠状態にあった古代文明国家のようなイメージの中国がこれで政治経済、それにスポーツでも世界の表舞台でトップになろうとしているのかもしれない。
20年くらい前までは、アジアでは日本だけしか世界の舞台では目立たなかったのだけれど、確かにもう先進国だの途上国だのの区別はなくなってきた。これから、日本も中国や韓国の周辺国と付き合うのは容易じゃないだろうなあ。あれだけ反日国家が回りにあると、いくら世界の他のエリアではイメージが良くても、現実に目の前にはトラブルしかなくなる。しかし、中国は少し変わるかもしれないなあ、これで。とにかく日本人は行儀はいいけれど、主張はできないから、これから主張だらけの相手と付き合っていくとなると骨折れるだろう。
福沢諭吉がその昔、脱亜論というアジアからの脱出を唱えていた。彼も過激な書き方してるから、相当当時から日本は周辺国家との違いを感じていたのだろう。福沢の思考にもちょっと気取りは感じるけれど。まあ、日本はアジアの中では早くから西洋に目を向けていたという証拠でもあるわけだけど、それだけ文化の壁を乗り越える天性をもっていたということか。
戦争負けて、原爆落ちて、憲法押し付けられて、知らない民主主義を習って。それでも、アメリカや西洋に恨みもない。凄い寛容な姿勢、または流れに任せる国民性なのか。よく言えば適応能力は凄いのだろうけれど。
ビートルズを日本人が心のそこから受け入れたのも、おそらくこんな民族性だったからかもしれないな。何であっても心を開くし、頑なに門を閉じない。日本人の気質かなあ。
文明開化は当時恐ろしいスピードでチョンマゲ時代を襲っては日本人がそれを受け入れていったけれど、ビートルズという音楽の文明開化もこの日本人だからこそ完全に享受できたのかもしれない。
オリンピックに集まる国旗に、それが戦争相手国であっても、過激な反日国家のものであっても、なにも恐れも疑いもなく平静な心で受け入れている多くの日本人は、やはり広く美しく気高いほどに理性的な心を持っているのだとも思った。戦争だけは消えない禍根だけれど。
でも、オリンピックだから情報は結構新聞やネットでも入ってくる。中国が金メダル世界一って、凄い時代になった。かつて、東京オリンピックでは参加すらしていなかった国、長い間冬眠状態にあった古代文明国家のようなイメージの中国がこれで政治経済、それにスポーツでも世界の表舞台でトップになろうとしているのかもしれない。
20年くらい前までは、アジアでは日本だけしか世界の舞台では目立たなかったのだけれど、確かにもう先進国だの途上国だのの区別はなくなってきた。これから、日本も中国や韓国の周辺国と付き合うのは容易じゃないだろうなあ。あれだけ反日国家が回りにあると、いくら世界の他のエリアではイメージが良くても、現実に目の前にはトラブルしかなくなる。しかし、中国は少し変わるかもしれないなあ、これで。とにかく日本人は行儀はいいけれど、主張はできないから、これから主張だらけの相手と付き合っていくとなると骨折れるだろう。
福沢諭吉がその昔、脱亜論というアジアからの脱出を唱えていた。彼も過激な書き方してるから、相当当時から日本は周辺国家との違いを感じていたのだろう。福沢の思考にもちょっと気取りは感じるけれど。まあ、日本はアジアの中では早くから西洋に目を向けていたという証拠でもあるわけだけど、それだけ文化の壁を乗り越える天性をもっていたということか。
戦争負けて、原爆落ちて、憲法押し付けられて、知らない民主主義を習って。それでも、アメリカや西洋に恨みもない。凄い寛容な姿勢、または流れに任せる国民性なのか。よく言えば適応能力は凄いのだろうけれど。
ビートルズを日本人が心のそこから受け入れたのも、おそらくこんな民族性だったからかもしれないな。何であっても心を開くし、頑なに門を閉じない。日本人の気質かなあ。
文明開化は当時恐ろしいスピードでチョンマゲ時代を襲っては日本人がそれを受け入れていったけれど、ビートルズという音楽の文明開化もこの日本人だからこそ完全に享受できたのかもしれない。
オリンピックに集まる国旗に、それが戦争相手国であっても、過激な反日国家のものであっても、なにも恐れも疑いもなく平静な心で受け入れている多くの日本人は、やはり広く美しく気高いほどに理性的な心を持っているのだとも思った。戦争だけは消えない禍根だけれど。
狂気といってもピンクフロイドじゃない。
父親刺殺に書店店員の突然刺殺。どうも日本は物騒だなあ。なんなのだ、この脈絡のない事件は。
これは犯人よりも、それを生み出す社会がおかしくなったのだろう。自分は生きていけるから他人はどうでもいい、という社会はとかくこうなる。でも、その自分はうまくいっているからOKという人も、社会を思いやらないと結局は自分も狂気の社会に生きていくことになる。一部だけの勝者を作り出す社会は結局は全員が居心地が悪い環境で生きることになる。
まあ、この凋落現象はとまりそうもない。
Cry baby Cry
父親刺殺に書店店員の突然刺殺。どうも日本は物騒だなあ。なんなのだ、この脈絡のない事件は。
これは犯人よりも、それを生み出す社会がおかしくなったのだろう。自分は生きていけるから他人はどうでもいい、という社会はとかくこうなる。でも、その自分はうまくいっているからOKという人も、社会を思いやらないと結局は自分も狂気の社会に生きていくことになる。一部だけの勝者を作り出す社会は結局は全員が居心地が悪い環境で生きることになる。
まあ、この凋落現象はとまりそうもない。
Cry baby Cry
スポーツは好きだけれどここで書くのは初めてか。
野茂の引退。
いずれはあることだけれど。
あの姿にどれだけ勇気付けられたことか。
感動させてもらったという尺度では、松井もイチローも野茂にはかなわないなあ。
カッコいい野球人生でした。もらった涙に感謝します。
最近、日本との仕事も多くなってきた。よく思うのだけれど、これだけ日本という国が外国で知られるようになったのも驚きだ。子供のころは、本当に世界の人は日本という国の知識などはほとんどなく、興味もなく、正直言えば黄色いサル程度のイメージだったとしか思えない。
でも、今はアニメ、ファッション、食、映画、音楽までもすごいスピードで拡散しているようだ。フランスでのアニメ熱は異常だし、あまり知られていないけれどロシアの日本への憧れにも似た尊敬はロシア人から聞く限りは爆発的な勢いのようだ。クールジャパンというらしいけれど、日本がカッコよく思われている一面があるらしい。過去をしる人間としては驚きでしかない。
文化輸入国という立場でしかなかったし、それしか知らない育ちかたをした自分としては、この文化輸出現象は信じられないくらい。
でも、不思議と文化が輸出されて喜ばれるって言うのは、日本のトヨタやソニーが受け入れられているということよりはるかに胸躍る。なにか、われわれの心が理解されているようで、やたら喜んでしまうのだ。本当にかつては想像すらできなかったことだ。
1960年代、リバプールという世界の片田舎であの現象が起きたとき、おそらくリバプールは驚きと喜びに出会ったのだろう。その気持ちもなぜか今少し理解できる。世界の人は、ビートルズを通してリバプールの心までも知ったのかもしれない。リバプールに行くといまだに市民はビートルズを誇りに思っている。でも、誇りを持ってもなんら誇大な妄想でもないし、こちらは拍手すら送れる。
良い文化交流とは最高のコミュニケーションを生み出すということか。
日本経済が強力で世界を席巻しても、誇りをもったりするまではできなかった。むしろ、世界では日本の製品を排斥する運動まで起きてはジャパンバッシングだった。今、日本文化が輸出されてもバッシングはほとんど起きていない。むりろさらに多くのファンを生み出している。
これに誇りももてるようになるなら、日本の文化も一人歩きできるようになったということか。
思ったより早く用は済んだので、来週には日本を出て旅をしてからNZに帰ることにした。
日本は大変だなあ。それが感想かな。先進国でリッチな国なのだろうけれど、大変だ。
今日は労働者の最低時給が600円台(だったかな?)になるとかならないとかのニュースも見たけれど、ちょっと驚いた。農業国のNZですら最低賃金は時給で11ドル。ほぼ1000円くらい。年収300万円でも立派な家に住み、緑に囲まれて生活する国。でも、世界では日本のほうがはるかに先進国。
日本は会社やトップの勝ち組という人にはいい社会だろけれど、切捨て御免の国になってしまったのかもしれない。
ニュースを毎日見ていて、ちょっと苦しささえ覚えてしまった。なぜなら、NZではこんなニュース自体がないから。みんなが金持ちじゃないけれど、生活苦で自殺する人もホームレスも皆無。こんなニュース自体がテレビで出てこないのだ。一度だけ、何かの理由で家がない人のニュースが流れたことがあったけれど、ものすごい社会問題になった。納税者で社会に貢献しているのに、最低保障もない人が出ていることに国民が黙っていなかったのだ。テレビでは大臣が詰問されて、翌日には解決に向かって国が動き出した。たった一人の困惑にも、社会がそれを見逃さない。民主主義の基本を教えられた。
一度、NZで日本の政治が腐敗だらけだけど長い間変わらないという話をしたら、誰も信じてくれなかった。「ありえない」というのだ。今は、彼らの発言も変に納得してしまうけれど。
でも、今回の滞在は有意義だった。いいことも悪いことも再認識できたし、自分がやりたいこともまた認識できた。まだしばらくビートルズブログらしくなるには時間もかかりそうだけれど、とりあえず歪んだ方向性だけは修正できてよかった。
滞在中、ジュリアンレノンの1stアルバムを聞いてた。Valotteという当時はヒットした曲だけれど、聞いてて涙してしまった。いままで気づかなかったけれど、これはジュリアンは少なからず(もしかしたら完全に)ジョンを思って書いた曲なのだと思ってしまった。歌詞がまさに。
初めて聞いたのが20年以上前。当時は音楽として聞いていただけだけれど、今は海外暮らしも長くなって聞いてて歌詞が自然に入ってくるようになったということか。知らぬうちに俺も少しは成長したんだな。
またしばらく休眠。
日本は大変だなあ。それが感想かな。先進国でリッチな国なのだろうけれど、大変だ。
今日は労働者の最低時給が600円台(だったかな?)になるとかならないとかのニュースも見たけれど、ちょっと驚いた。農業国のNZですら最低賃金は時給で11ドル。ほぼ1000円くらい。年収300万円でも立派な家に住み、緑に囲まれて生活する国。でも、世界では日本のほうがはるかに先進国。
日本は会社やトップの勝ち組という人にはいい社会だろけれど、切捨て御免の国になってしまったのかもしれない。
ニュースを毎日見ていて、ちょっと苦しささえ覚えてしまった。なぜなら、NZではこんなニュース自体がないから。みんなが金持ちじゃないけれど、生活苦で自殺する人もホームレスも皆無。こんなニュース自体がテレビで出てこないのだ。一度だけ、何かの理由で家がない人のニュースが流れたことがあったけれど、ものすごい社会問題になった。納税者で社会に貢献しているのに、最低保障もない人が出ていることに国民が黙っていなかったのだ。テレビでは大臣が詰問されて、翌日には解決に向かって国が動き出した。たった一人の困惑にも、社会がそれを見逃さない。民主主義の基本を教えられた。
一度、NZで日本の政治が腐敗だらけだけど長い間変わらないという話をしたら、誰も信じてくれなかった。「ありえない」というのだ。今は、彼らの発言も変に納得してしまうけれど。
でも、今回の滞在は有意義だった。いいことも悪いことも再認識できたし、自分がやりたいこともまた認識できた。まだしばらくビートルズブログらしくなるには時間もかかりそうだけれど、とりあえず歪んだ方向性だけは修正できてよかった。
滞在中、ジュリアンレノンの1stアルバムを聞いてた。Valotteという当時はヒットした曲だけれど、聞いてて涙してしまった。いままで気づかなかったけれど、これはジュリアンは少なからず(もしかしたら完全に)ジョンを思って書いた曲なのだと思ってしまった。歌詞がまさに。
初めて聞いたのが20年以上前。当時は音楽として聞いていただけだけれど、今は海外暮らしも長くなって聞いてて歌詞が自然に入ってくるようになったということか。知らぬうちに俺も少しは成長したんだな。
またしばらく休眠。
日本の夏の独り言。
この国は他国からは平和で国民教育水準が高く謙虚な国民性が好印象を受けているのはすばらしい一面だなあ。確かに、そんな風な印象がある理由もわかる。とにかくオトナシイ。
でも、正直言っておとなしくて謙虚な一面だけではなく、幼稚でなにも知らないから話せないし議論もできないというのも事実なのかもしれない。謙虚というのは、実体を伴ったところで実像をひけらかさないから美しいけれど、実体もなく議論もできないこととは話が違う。
日本の極悪官僚システムのニュースには改めてあきれ返る。あれだけ国民を馬鹿にした役人が大挙して私欲をむさぼっているという現実には怒りよりもすでに閉口する思い。天下りだの談合だのタクシーだの、国民の税金使いまくって。その彼らはそれなりにエリート意識をもった一流である方々。お笑い。あんなのただのブラサガリ族。
厳しい受験を勝ち抜いて得たはずの役職で、貴重な人生の時間を使ってそんなコソコソとした盗人のような感覚しか持ち合わせていないのか。棺桶に入るときそれでも自分の生きた時間を誇りに思えるのか?そんな盗人を養成しているのが日本の教育の実態なのか?
はっきりいって、そのくらい蔑まれても彼らには反抗する気も起きないだろう。そのほうが得な人生だし、エリートだからできる特権くらいに思っているのだろうから。
誰でもそんな悪習を変えてほしいと国民は感じているはずだけれど、なぜ数十年もの間まったく変わらないのか。それは国民もそうだからだ。全員とは言わないけれど大多数の国民が同じ感覚で生きているからだ。変えたいなら選挙という手段でいくらでも国政は変える権利が国民にはある。でも、選挙すら行かない。それどころか、おそらく自分がその役職にあれば多くの人間は同じ盗人の気質に染まっていくのが日本国民に思えて仕方がない。自立した個というテーマを持たないからだ。
ニュースで出てくる賄賂や横領に、憤りを感じては見ても変える行動はできない。一度汚職で下野した政治家がしっかり次の選挙で再当選して戻ってくる摩訶不思議な国。それを選んでいるのは紛れもない国民。怒りを感じてみるものの、ニュースが終われば一日中流れ続けるお笑い番組で笑ってすごす。笑うのはいい。でも、笑えない現実を忘れるのは許されない。であっても、議論すらせずに忘却されていく。
ポリシーを持たない国民教育だったからとも言い切れない。教育の話の前に、国家に理念が存在しないのではないか。国自体が謙虚に見えても、実は実体としての自立性を失っているから起こるようにすら思える。平和であることと、アイデンティティを持たないことが同居する国、それが日本に見えるのだ。その上この国の平和は、実は自ら作った果実ではなく他国に守られることで成り立っている。これではアイデンティティは生まれない。自立のない国家に自立した個は育たない。自立する個のない民に議論は生まれない。議論できない土壌に、国を変える力も気力もない。
大学を出てから自分も汚職や横領の存在は知った。会社の金で遊びまわることもあった。でもすぐ終わった。それがただ空しかったから。自分の血や汗で得た少しの金や自由な発想のほうがはるかにうれしかったから。だからもう無意味な金や地位には興味もないし、そんな不毛なゲームをしている日本の役人にも関心もないし近寄りたくもない。
しかし、税金をただ使って楽をする役人や政治家をなぜ日本人は変えようとしないのだろう。議論して未来を暮らしやすくする努力をしないのか、そして間違っていると思うならなぜ自分の意見やアイデンティティを国や自治体に反映しようとしないのだろう。それをしなければ、いつまでもエリート意識で染まった卑しい役人の天下は続く。そして、そんな役人が作る国家には自立したアイデンティティは育たない。なぜなら、彼ら全員が自立していないからだ。国税という大樹に隠れて一般の民を笑いながらエリート人生を楽しむような稚拙で邪な人種でしかないからだ。そこには国家や人格に対する理念すら存在しない。
しかし、彼らを選択しているのは結局は日本国民。
謙虚なのではない。日本国民自体がまだまだ実体を持たず、真の理念すら知らず、そして人間の責任と天命を全うする喜びを知らないだけなのではないか。単に強国に平和を与えられて、それをユートピアにして生きているだけではないのか。日本人は真の喜びをいまだ知らぬ民なのではないのか。真摯な議論を知らぬ民族なだけではないのか。黙っていることは単に話せないからではないのか。
礼儀や節度といった日本の美風はいまだすばらしいと思う。しかし、それは何もせずに黙っていることがいいということではない。それでは悪の権化のような官僚機構の思う壺。病んだ社会を立て直すには民が自立して意見を語るまでにならなければ永遠に病巣は摘出できないのではないか。単に社会の異分子になって個を主張しているかの錯覚をする若者、社会の規律を守れない大人、エリートになった意識で公然と盗人になれる官僚や政治家。それを美風という土壌が議論を排除しているなら、大きな間違いでしかない。美風という言葉の影で、モラルとしての自立が崩壊しているのではないか。そうだとすれば自浄作用がすでに日本からは消えているようにすら思えてしまう。なぜなら、社会の全階層において自立する個が存在しなくなってきているから。
勝手な独り言なので、自分でも正論を言っているかどうかもわからない。ただ、久しぶりに日本に生活していまだ変わらないこの国の未熟度には驚きを通り越してしまった。すくなくとも今まで暮らした自由の国々にでは、官の悪行に対しては健全な国民の議論と自立する国家の誇りが自浄作用となって少しずつでも方向を正すことができる。
これだけ、悪が目の前にあるにもかかわらず一日中お笑い番組流してるメディアも薄ら寒い思いがする。楽しく生きるのは誰でも望むところなのだろうけれど。
とはいえ、いまだに自分の母国であり最愛の人たちが暮らす国なのだ。
この国は他国からは平和で国民教育水準が高く謙虚な国民性が好印象を受けているのはすばらしい一面だなあ。確かに、そんな風な印象がある理由もわかる。とにかくオトナシイ。
でも、正直言っておとなしくて謙虚な一面だけではなく、幼稚でなにも知らないから話せないし議論もできないというのも事実なのかもしれない。謙虚というのは、実体を伴ったところで実像をひけらかさないから美しいけれど、実体もなく議論もできないこととは話が違う。
日本の極悪官僚システムのニュースには改めてあきれ返る。あれだけ国民を馬鹿にした役人が大挙して私欲をむさぼっているという現実には怒りよりもすでに閉口する思い。天下りだの談合だのタクシーだの、国民の税金使いまくって。その彼らはそれなりにエリート意識をもった一流である方々。お笑い。あんなのただのブラサガリ族。
厳しい受験を勝ち抜いて得たはずの役職で、貴重な人生の時間を使ってそんなコソコソとした盗人のような感覚しか持ち合わせていないのか。棺桶に入るときそれでも自分の生きた時間を誇りに思えるのか?そんな盗人を養成しているのが日本の教育の実態なのか?
はっきりいって、そのくらい蔑まれても彼らには反抗する気も起きないだろう。そのほうが得な人生だし、エリートだからできる特権くらいに思っているのだろうから。
誰でもそんな悪習を変えてほしいと国民は感じているはずだけれど、なぜ数十年もの間まったく変わらないのか。それは国民もそうだからだ。全員とは言わないけれど大多数の国民が同じ感覚で生きているからだ。変えたいなら選挙という手段でいくらでも国政は変える権利が国民にはある。でも、選挙すら行かない。それどころか、おそらく自分がその役職にあれば多くの人間は同じ盗人の気質に染まっていくのが日本国民に思えて仕方がない。自立した個というテーマを持たないからだ。
ニュースで出てくる賄賂や横領に、憤りを感じては見ても変える行動はできない。一度汚職で下野した政治家がしっかり次の選挙で再当選して戻ってくる摩訶不思議な国。それを選んでいるのは紛れもない国民。怒りを感じてみるものの、ニュースが終われば一日中流れ続けるお笑い番組で笑ってすごす。笑うのはいい。でも、笑えない現実を忘れるのは許されない。であっても、議論すらせずに忘却されていく。
ポリシーを持たない国民教育だったからとも言い切れない。教育の話の前に、国家に理念が存在しないのではないか。国自体が謙虚に見えても、実は実体としての自立性を失っているから起こるようにすら思える。平和であることと、アイデンティティを持たないことが同居する国、それが日本に見えるのだ。その上この国の平和は、実は自ら作った果実ではなく他国に守られることで成り立っている。これではアイデンティティは生まれない。自立のない国家に自立した個は育たない。自立する個のない民に議論は生まれない。議論できない土壌に、国を変える力も気力もない。
大学を出てから自分も汚職や横領の存在は知った。会社の金で遊びまわることもあった。でもすぐ終わった。それがただ空しかったから。自分の血や汗で得た少しの金や自由な発想のほうがはるかにうれしかったから。だからもう無意味な金や地位には興味もないし、そんな不毛なゲームをしている日本の役人にも関心もないし近寄りたくもない。
しかし、税金をただ使って楽をする役人や政治家をなぜ日本人は変えようとしないのだろう。議論して未来を暮らしやすくする努力をしないのか、そして間違っていると思うならなぜ自分の意見やアイデンティティを国や自治体に反映しようとしないのだろう。それをしなければ、いつまでもエリート意識で染まった卑しい役人の天下は続く。そして、そんな役人が作る国家には自立したアイデンティティは育たない。なぜなら、彼ら全員が自立していないからだ。国税という大樹に隠れて一般の民を笑いながらエリート人生を楽しむような稚拙で邪な人種でしかないからだ。そこには国家や人格に対する理念すら存在しない。
しかし、彼らを選択しているのは結局は日本国民。
謙虚なのではない。日本国民自体がまだまだ実体を持たず、真の理念すら知らず、そして人間の責任と天命を全うする喜びを知らないだけなのではないか。単に強国に平和を与えられて、それをユートピアにして生きているだけではないのか。日本人は真の喜びをいまだ知らぬ民なのではないのか。真摯な議論を知らぬ民族なだけではないのか。黙っていることは単に話せないからではないのか。
礼儀や節度といった日本の美風はいまだすばらしいと思う。しかし、それは何もせずに黙っていることがいいということではない。それでは悪の権化のような官僚機構の思う壺。病んだ社会を立て直すには民が自立して意見を語るまでにならなければ永遠に病巣は摘出できないのではないか。単に社会の異分子になって個を主張しているかの錯覚をする若者、社会の規律を守れない大人、エリートになった意識で公然と盗人になれる官僚や政治家。それを美風という土壌が議論を排除しているなら、大きな間違いでしかない。美風という言葉の影で、モラルとしての自立が崩壊しているのではないか。そうだとすれば自浄作用がすでに日本からは消えているようにすら思えてしまう。なぜなら、社会の全階層において自立する個が存在しなくなってきているから。
勝手な独り言なので、自分でも正論を言っているかどうかもわからない。ただ、久しぶりに日本に生活していまだ変わらないこの国の未熟度には驚きを通り越してしまった。すくなくとも今まで暮らした自由の国々にでは、官の悪行に対しては健全な国民の議論と自立する国家の誇りが自浄作用となって少しずつでも方向を正すことができる。
これだけ、悪が目の前にあるにもかかわらず一日中お笑い番組流してるメディアも薄ら寒い思いがする。楽しく生きるのは誰でも望むところなのだろうけれど。
とはいえ、いまだに自分の母国であり最愛の人たちが暮らす国なのだ。


