ビートルズに想うこと

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ニュージーランドでは10日以上継続的にふる雨。町の川もあふれ出しそうだ。これもここ10年では異常な現象で、いままで見ることができなかった気象状況らしい。世界ではいたるところで、常識的な地球の習慣がもう延長線上にはないことが明らかな時代となってきた。

でも、それでも近代化と富を求めて人はさまよう。わかっていても、個人の富と豊かさは地球の破滅よりも優先する。森を壊しても、自分の家は美しくする。海を汚しても、自分の生活にあらん限りの贅を探す。これはとまらないことなのだろう。だとしたら、もう地球の未来も人間の未来もあとは結末に向かって進むだけとなるのかもしれない。

俺が生きているうちにその結末が見えるものなら、正直言ってみてみたい。その頃にはもう死んでるから今はどうでも好きにすればいい、なんてまったく思わない。ぜひ自分たちの責任のとり方がどうなるか、人間は理性的なのか欲望に最後まで支配されるのか、見てみたい。

世界の国だけでなく、個人としての各人も意識を問われることになるのだろう。
富める者が金よりも森を優先できるだろうか、貧困な者が将来の希望を富ではなく美しい空気に見出せるのだろうか。われわれは自分だけの生存をとるのか、地球市民としての共存を選ぶのだろうか。戦争によって、地球に残る権利を決めるのだろうか、それとも、愛が思想を支配するのだろうか。
いずれこの審判のときは地球規模で訪れ、人間は究極の価値観を選択ることになるのだろう。

ジョージのAll Things Mus Pass聞いてたらこの思考回路に今日はハマッてしまった。







いくつかある仕事のひとつが写真。
あまり仕事の話題は書かないことにしているけれど、まあたまにはいいか。

写真は趣味だったのだけれど、いつの間にか仕事にもなっていた。広告写真や商品写真のようなシャープな技術で作る写真まず自分の趣味じゃないし腕もないからあまり追いかけていない。あくまで自分の意識がシャッターを押したいという動物的な動機に任せることにしている。それを気に入ってくれる人がいればいいし、誰も気に入らなくてもあまりさびしくもない。もともと自分だけの記録や記憶の一面として考えていただけだから。

ジョンやジョージが晩年、他人事の曲を書かずに自分の関心があることだけを書いていたのも、ちょっとはわかる。歌としては完全な自分の世界だった。だから逆に大人になった俺にもそれは刺激的だったのだけれど。

ポールは比べるとあまり自分自身のことで曲を書くことは少ないともいえるし、実際にジョンやジョージほどは内面を歌詞に描くことはない。でも、俺にはポールも同じくらい自己の世界を忠実に作曲していると思うことが多い。歌詞ではなく、曲なのだ。もちろん歌詞にも出てくることはあるけれど、ポールは音楽こそがポールの自画像に見えてしまう。

作り出す作業をするということは、結局は自分の内省的な側面を映し出すことでしかない。ジョンやジョージが、歌詞をメディアにしていたのも事実だけれど、ポールは音符で表現するほうが強かったというだけなのだろう。

ジョンが言ってたけれど、作品は自分の日記のようなものだ、ってな話。

ジョンだけでなく、ジョージもポールも、もちろんリンゴも、彼らの作品は今はすべてが人生の中での日記のようなものに見える。ミュージシャンとして生きた時間が録音という日記になっているだけだ。ビートルズは20代になるやいなや、録音という日記を作りはじめジョンやジョージは命の消え行くまでその日記を続けた。ポールもリンゴもそれは終わらない。

自分の過去の写真を整理していると、一枚一枚のそのときの空気や感情までが思い出されてくる。俺にとっては、それぞれが自分の記録であり日記そのもの。それに値段はつけられない。だから、他人の評価はあまり気にならない。晩年になるほど特にジョンやジョージがヒットという結果の世界に嫌気がさしていったことも、なぜかわかるような気がしてしまう。己の日記という作品に大衆判断はあまり関係なくなっていたのだろう。

俺が彼らの作品にこの年になってもなお惹かれるのは、自分の生活のすべての見本を示してくれたからでもあるのだろう。


ビートルズは少し接し方が少なくなっていたけれど、まあそれも徐々に元に戻るという感じかな。元来、それは正当な姿だから。あまり気にしていなくとも、いずれはまたあの場所に戻るわけだ。

でも、好き嫌いで言うと、最近は嫌いなものが少なくなった。というよりも、関心がなくなったというほうが正しい。だから嫌いという感情を持つ前に、意識に引っかからないのだ。それでいいのだけれど。


昔はビートルズはすでに過去のグループだとか言われると、結構しっかり腹たった。ご冗談!という感じで間違いを正そうともしていたかな。でも、今では仮にそういわれても、はいはい、それで結構です。という雰囲気だし、むしろ、とっとと忘れてくれてかまわないような気さえしている。ホットイテほしいという感じだろうか。

ビートルズに限ったことじゃないけれど、トップにいる人間は常に批判と比較にさらされるから2番目にいる状態とはかなり精神的な落差がでる。日本なんて何時もアメリカばかり見てきたから、日本人にとってはアメリカこそナンバーワンなんだろけれど、アメリカじゃ日本がいくらアメリカを追い抜こうだとか批判したところで、あまり気にもしてないだろう。トップにいるということは、日本に限らず世界中から同じ標的にされるから、いちいちかまってられない。

最近、このアメリカの心?もなんとなくわかったのだろうか。わが道の王道を行けばいいという姿勢。別にアメリカも磐石じゃないけれど、それでも国家パワーではいまだに断トツだから。

よく思うけれど、ビートルズファンって他のバンドやミュージシャンを否定したり批判したりすることってかなり少ない。散々ビートルズはほかから批判されるけれど、それに対してもあまり応答しない。というか、批判する相手に対してさえ良いところもしっかり知ってる。典型的なのがストーンズファンのビートルズけなしだろうけれど、ビートルズファンってそれでもストーンズ好きな人も多い。これってアメリカの姿勢に似てんじゃないか?余裕なのだ、つまり。いちいち同列に並んで喧嘩しても意味ないわけ。同じレベルに落ちていく必要もないってことか。まあ、これと同じことは張本人のジョンレノンもインタービューで言ってたな。ミックは散々ビートルズをけなすけれど、ジョン自身はどれだけ持ち上げてやったことか、ってな話で、いままでストーンズと同列に並んでいたつもりなんてまったくないとまでしっかり断言してた。

ストーンズに限らず、とにかくビートルズは何でも批判や攻撃にさらされてきたからな。最初がハードロック勢力、プログレ勢力、ジャズロック勢力、グランジ勢力、オルタナ勢力(これはまだ好意的か?)…まあどれもこれもビートルズの存在が気に入らなかった時期は相当あった。

でも、そんなこんなでおれ自身もやっと悟りの境地に入ったということか。今はどうぞ何でもお好きに、という美しいところまで到達した! 仙人までもう一歩じゃ!




よくわからんけれど、YouTubeをみてたらポールとビリージョエルがシェアスタジアムでI saw her standing there と Let it be を一緒に歌ってた。それも2008年7月のごく最近のものらしい。ということはこれはビリージョエルのコンサートにポールがゲストで飛び入りしたのだろうか。

結構ノリノリで盛り上がっているのでクライマックスのころだったのだろう。

ロックンロールのHall of fame のステージでも歌ってるけど、これはポールにしては珍しくピアノなしで歌ってる。どうも歌だけのポールはピンとこないけれど、それでも若々しい。リードギターは誰だ?どうもピンぼけたギターでこれは好きじゃないけど。


土曜日の夜も終わって、もう日曜日に突入した。
夜中に作業することも結構多いので、この真夜中という時間もすでにさほど苦でもない。

真夜中をぶっ飛ばせ、という日本語タイトルももしかして石坂敬一が作ったのだろうか。だとしたら、これだけはちょっと賛成できない和訳だなあ。原曲名が複雑だから邦題変換も困ったのかもしれないけれど、ちょっとギコチナイ。

昔は何でもシングルカットじゃ邦題をつけて出してたから、どうしても今この時代になると語感からしてもう古さや非日常的なものも多くなってしまうのも仕方ない。ビートルズの邦題は結構それでもまともなほうだろう。今でも笑いもそんなにおきないから。それどころか、今の語感をしてもクールな邦題も残っているように思う。

抱きしめたい、なんてある意味ではオーバーな誤訳だけれど、これも名コピーだなあ。これは時代を超えてビートルズのエネルギーを今も運ぶような邦題。もちろん、この今の時代じゃだれもこんな曲名は寄せ付けないかもしれないけれど。

そのほかに今でも結構好きなのは、夢の人(これ好きだなあ)、涙の乗車券(まあまあ合格)、恋に落ちたら(映画のモノクロの雰囲気とこれあってるなあ)、今日の誓い(ちょっと大げさだけどまあOK)、すてきなダンス(これも映画見た後でならOK、でも今は原題のほうがベター)…ううむ、こうなるとやはり初期の曲はまあ邦題が多いなあ。完全に邦題が消えたのって、リボルバーあたりからだろうか。

でも、今でもちょっと気に入らないのもある。

ビートルズがやってくるヤア・ヤア・ヤア
これはどうも個人的にダメだ。原題のほうがはるかにいい。

ノルウェーの森
これも誤訳だよねえ。ノルウェーの木でできた家具のことを歌ってたと思うけれど、ノルウェーの木、とは訳せないからこうしたのか、本当に誤訳したのか?でも、この訳のおかげで曲は結構深みを帯びたり、果てには村上春樹も恩恵にあずかったのだから、誤訳も力で押せば勝ちってことか?

恋を抱きしめよう
これも個人的には曲をぶち壊してる邦題なんだけどなあ。

恋のアドバイス
わからないでもないけれど、ちょっとやりすぎじゃないか?

消えた恋
何でも恋だの愛だのにしてたのもこのころの特徴だよなあ

悲しみをぶっ飛ばせ
これも「ぶっ飛ばせ」がはいってるけど個人的にはやはりついていけない


ふと思いつくところだとこんな感じだろうか。
でも、救いは名曲は結構原題のまま残っているのが多いってことかな。
だって、イエスタデイがたとえば「昨日の恋」だったりストロベリーが「イチゴ畑の恋」だったりしたら完全にキレルって。そのあたりの感性は、京都の恋でもうたくさん。

邦題も笑えるものあるけれど、結構難しい。コピーライターでもこれはダメじゃないかなあ。
音楽そのもののイメージをつかみきれないと時間の流れに耐えられないから。



完全復調ではないけれど、少しは日記でも書く気もおきて来た。
人間不思議なもので、バイオリズムのような気分の上下運動はどんなに平穏な生活を送っていても起きてくるのかもしれない。自分だけかもしれないけれど、どうも完全疾走して毎日を過ごすことはそう簡単でもないのだ。

調子が悪いときは、ビートルズですら接しなくなる。むしろ接して楽しむ状態ではないので、あれだけの神々しい世界に近づく気もしないのだろう。調子が上向いてきたとはいえ、このところはビートルズは長いこと部屋には流れていない。まあ、それでも体のどこかしらには何時も苔のように張り付いているのもビートルズなのだけれど。

このところ、ずいぶん接していなかった昔の映画を見て楽しめた。長い時間を経ても、今なお同じ感動もあることも確認できたし、自分の芯は変わっていないということなのだろう。

日本の暑い夏は真っ盛りで、こんな季節は子供のころに楽しんだ花火大会やカキ氷の風景がリアルに蘇る。クーラーもなかった夏、川原で泳いでは駄菓子やに駆け込んでカキ氷。エネルギーあふれて疾走してた若さの頃。朝から日が沈むまで体は太陽とともに活動した。夏の記憶は今も数多い。

そして夏の思い出に必ず重なるのがバンド・オン・ザ・ラン!
あのオーケストラの変調からギターのコードが流れてくると、今も活気づいては軽快に駆け出していきそうになる。この曲が夏のリリースだったかどうかは覚えていない。でも、あの暑い夏、われらのテーマソングはこれだったのだ。全員で遠出しても、みんなが鼻歌、みんなが自転車のって歌ってた曲だった。ギターのメロまで口でまねして、タラッタタータータータタ(リードギターのメロ真似)!
夏、太陽、自転車、友達、若さ、そんな思い出に欠かせないのがこれなのだ。
 
バーン、ドン、ザラン。バーン、ドン、ザラ〜ン♪ 
俺の夏は今もコレなんだなあ、やっぱり。



そうか、リンゴ誕生日か。
でも、写真見ると若いじゃん。
こういっちゃ悪いかもしれないが、ポールの顔がもうヨレヨレになっているのに比べると
リンゴには張りがあるな。おそらくジョンやジョージが生きてても、この程度の張りは
あっただろうけど。ポールは最初から、あのホッペタだからどうしても緩みやすいの
かもしれんが。リンゴは声もまだヨレてないし。

ポールは活動はとてもあの年とは信じられん位若いけれど、外見だけはほかのメンバー
のほうが張りを保てる要素があったのかもしれん。

リンゴ、68歳には見えないって。せいぜい50歳前後ってとこかな、この写真だと。
おめでとう、世界最高のドラマー!

---------以下、引用





 [シカゴ 7日 ロイター] 元ビートルズのメンバー、リンゴ・スターが7日、シカゴで68歳の誕生日を祝うイベント「ピース・アンド・ラブ」を開催した。
 事前の告知がわずかだったにもかかわらず、約200人が当地にある「ハード・ロック・ホテル」前の通りに集まった。
 集まった人の中には、至近距離で黒いジャケットにサングラス姿のスターに接した人もいた。スターの傍らにはバーバラ夫人の姿も見られた。
 新聞で同イベントを知り、カリフォルニアから駆けつけたというあるファンは、「ビートルズを見た」と念願がかなったことを喜んでいた。
 全米ツアーの真っ最中のスターは、自身のウェブサイトでイベントの開催を告知していた。

Flying

飛行機に乗っていて、あのふんわりしたインストの1曲が頭でなってた。

Fool on the hill

家に帰って近くの丘を眺めてたらこれがなりはじめた。



旅にちょっと疲れたかな