少年から青年、大人へ

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 新年の挨拶をする時期が終わった。毎年のことだけれど、中学や高校時代の友達や大学から社会人になってからの友達などあまり会うこともなくなった友人にもコンタクトをする時期がこの季節だ。

 あらためて思うけれど、幼少の時期から高校くらいまでの友達というのは本当に素直な無垢のままで付き合っていたのがわかる。あたりまえかもしれないけれど、子供の頃はあまり相手がどんな家系かとか金持ちかとか頭がいいかというのも気にしないですむ。好きな友達ならそれで付き合えてしまうわけだから。しかし、大学はまだいいとしても社会人となると相当自我も変わり表と裏の顔も使い分けることも出る。こうなると、もう友人というより知人でしかないのかもしれない。本音は消え始め、お互いに社会人という顔でいなければならなくなる。相手が好きな友人というだけでなく、付き合うというメリットがあるかどうかまでが判断にはいってくるわけだ。
 馬鹿馬鹿しいけれどそれが日本や資本主義の社会システムということ。純粋な目的で突っ走っているときはやはり友人も真の姿のまま付き合えるわけだろう。

 ビートルズの3人(リンゴは後で参加したので)は、15才くらいからずっとビートルズ解散まで「親友」だったはずだけれど、どんな成長をしたのだろうか。ジョージがアンソロジーで「僕たちはタイトだった」つまり、本当に仲が良かった、と語っていたけれど、僕はジョージからその言葉を聴いたときとても嬉しくなったのを覚えている。というのはジョージなんかはむしろ、成長とともにジョンやポールの相手がいやになっていったような印象があって最後の方はビートルズはコリゴリという感じだったから。ジョンもヨーコが出てからや、ポールの才能が爆発するあたりからは、相当ビートルズのかつてのジョンではなくなった。ポールも結局は同じだろうか。
 
 少年期から突っ走った頃、それは純粋な少年であり、親友であり、本当の姿のままで相手に接していたからこそ「タイト」だったのだろう。でも、世界の頂点に立ち、価値観も変わり、自分の世界観が広がるにつれ、親友はもう親友ではなくなったのだろうか。いや、親友でありながらも、その接点よりも、新しい価値観が勝り始めたのかもしれない。

 僕は、今年も少年期の友達とコンタクトして、相変わらず当時のままの友人であることは確認できた。でも、彼らに対して僕は自分の社会人としての顔は出せないし、出す必要もない。なぜなら彼らは僕の真実をすでに知っているからだ。真実以外の話をし始めれば、おそらく逆に彼らとはどんどん疎遠な部分が出始まりそうに思える。そこまでは必要ない。

 ビートルズの3人が知っていたお互いの真実こそが友情とするなら、新たな顔が見え出したとき、友情だけの関係ではなくなっただろうか。それは、僕が毎年この時期に感じる僕自身の友達との関係の延長でしかいのかもしれない。
 ビートルズは少年のまま世界を制覇した。小宇宙から極限の大宇宙へ出て行った当時の彼らは、どんな友情を持ち続けたのだろうか。



*しばらく、ブログのペース落ちます。ではまた。
 
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