モーツアルトを聞きながら

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モーツアルトは30年余の短い人生で700曲以上を書き残し、その多くに交響曲や協奏曲といった極めて複雑な大作。そしてそのどれもが完全な作品としてのこっている。常識で考えても、その人生で書き残せる曲数には限度があるにもかかわらず、この大作だらけの創造力。1年に1、2作程度が交響曲の限界だろうけれど、モーツアルトにはそれが全く当てはまらない。つまり、あの極限の美と複雑な楽器の構成が頭の中ですでに鳴り響いていて、それを単に譜面に書き残したという作業だったということ。考えるのではなく、すでにあるもの、湧き出るものを書き残したということか。そうでなければ、あの作品群の説明はつかないだろうし。

おそらくはモーツアルトこそが音楽の世界で最高の天才なのだろう。

モーツアルトのファンでもあるので、時々彼の作品を聞くとなぜか体が浮遊するような感覚になる。空中で浮きながら音楽を聴いているような雰囲気になるのだ。地上の音ではなく、神のすむはるか天空の音を聞いているということなのだろうか。完璧なもの、全く不純物が混じらない美が音になっているのに、これを瞬時に書き残していったモーツアルトは、やはり神の音を聞いていたという説明にならざるをえない人も数多い。それも理解できる。


モーツアルトが神の音を響かせているとするなら、もうひとつ俺には神の声を聞くことがある。
それがビートルズなのだし、おそらくはジョンとポールの作品。

モーツアルトには不純物のない生霊の極みを感じるのだけれど、ビートルズには不純物もあるけれど、それをも取り込んで生きていくという強い生命力を感じてしまうのだ。ビートルズはその作品から原題に巨大な生命力を生み出した。

どちらも神がかった力であり才能だけれど、モーツアルトが空気のような純粋性であるなら、ビートルズはダイヤモンドのような透明感だった。モーツアルトが生の真実を伝えるなら、ビートルズは生の喜びを伝えた。そしてそのどちらも無欠の完成形であったということ。

この世界には常識では説明できないものがやはりあるということか。