ひとりごと

ここでは、「 ひとりごと」 に関する記事を紹介しています。
日本の夏の独り言。

この国は他国からは平和で国民教育水準が高く謙虚な国民性が好印象を受けているのはすばらしい一面だなあ。確かに、そんな風な印象がある理由もわかる。とにかくオトナシイ。

でも、正直言っておとなしくて謙虚な一面だけではなく、幼稚でなにも知らないから話せないし議論もできないというのも事実なのかもしれない。謙虚というのは、実体を伴ったところで実像をひけらかさないから美しいけれど、実体もなく議論もできないこととは話が違う。

日本の極悪官僚システムのニュースには改めてあきれ返る。あれだけ国民を馬鹿にした役人が大挙して私欲をむさぼっているという現実には怒りよりもすでに閉口する思い。天下りだの談合だのタクシーだの、国民の税金使いまくって。その彼らはそれなりにエリート意識をもった一流である方々。お笑い。あんなのただのブラサガリ族。

厳しい受験を勝ち抜いて得たはずの役職で、貴重な人生の時間を使ってそんなコソコソとした盗人のような感覚しか持ち合わせていないのか。棺桶に入るときそれでも自分の生きた時間を誇りに思えるのか?そんな盗人を養成しているのが日本の教育の実態なのか?

はっきりいって、そのくらい蔑まれても彼らには反抗する気も起きないだろう。そのほうが得な人生だし、エリートだからできる特権くらいに思っているのだろうから。


誰でもそんな悪習を変えてほしいと国民は感じているはずだけれど、なぜ数十年もの間まったく変わらないのか。それは国民もそうだからだ。全員とは言わないけれど大多数の国民が同じ感覚で生きているからだ。変えたいなら選挙という手段でいくらでも国政は変える権利が国民にはある。でも、選挙すら行かない。それどころか、おそらく自分がその役職にあれば多くの人間は同じ盗人の気質に染まっていくのが日本国民に思えて仕方がない。自立した個というテーマを持たないからだ。

ニュースで出てくる賄賂や横領に、憤りを感じては見ても変える行動はできない。一度汚職で下野した政治家がしっかり次の選挙で再当選して戻ってくる摩訶不思議な国。それを選んでいるのは紛れもない国民。怒りを感じてみるものの、ニュースが終われば一日中流れ続けるお笑い番組で笑ってすごす。笑うのはいい。でも、笑えない現実を忘れるのは許されない。であっても、議論すらせずに忘却されていく。

ポリシーを持たない国民教育だったからとも言い切れない。教育の話の前に、国家に理念が存在しないのではないか。国自体が謙虚に見えても、実は実体としての自立性を失っているから起こるようにすら思える。平和であることと、アイデンティティを持たないことが同居する国、それが日本に見えるのだ。その上この国の平和は、実は自ら作った果実ではなく他国に守られることで成り立っている。これではアイデンティティは生まれない。自立のない国家に自立した個は育たない。自立する個のない民に議論は生まれない。議論できない土壌に、国を変える力も気力もない。


大学を出てから自分も汚職や横領の存在は知った。会社の金で遊びまわることもあった。でもすぐ終わった。それがただ空しかったから。自分の血や汗で得た少しの金や自由な発想のほうがはるかにうれしかったから。だからもう無意味な金や地位には興味もないし、そんな不毛なゲームをしている日本の役人にも関心もないし近寄りたくもない。

しかし、税金をただ使って楽をする役人や政治家をなぜ日本人は変えようとしないのだろう。議論して未来を暮らしやすくする努力をしないのか、そして間違っていると思うならなぜ自分の意見やアイデンティティを国や自治体に反映しようとしないのだろう。それをしなければ、いつまでもエリート意識で染まった卑しい役人の天下は続く。そして、そんな役人が作る国家には自立したアイデンティティは育たない。なぜなら、彼ら全員が自立していないからだ。国税という大樹に隠れて一般の民を笑いながらエリート人生を楽しむような稚拙で邪な人種でしかないからだ。そこには国家や人格に対する理念すら存在しない。

しかし、彼らを選択しているのは結局は日本国民。
謙虚なのではない。日本国民自体がまだまだ実体を持たず、真の理念すら知らず、そして人間の責任と天命を全うする喜びを知らないだけなのではないか。単に強国に平和を与えられて、それをユートピアにして生きているだけではないのか。日本人は真の喜びをいまだ知らぬ民なのではないのか。真摯な議論を知らぬ民族なだけではないのか。黙っていることは単に話せないからではないのか。


礼儀や節度といった日本の美風はいまだすばらしいと思う。しかし、それは何もせずに黙っていることがいいということではない。それでは悪の権化のような官僚機構の思う壺。病んだ社会を立て直すには民が自立して意見を語るまでにならなければ永遠に病巣は摘出できないのではないか。単に社会の異分子になって個を主張しているかの錯覚をする若者、社会の規律を守れない大人、エリートになった意識で公然と盗人になれる官僚や政治家。それを美風という土壌が議論を排除しているなら、大きな間違いでしかない。美風という言葉の影で、モラルとしての自立が崩壊しているのではないか。そうだとすれば自浄作用がすでに日本からは消えているようにすら思えてしまう。なぜなら、社会の全階層において自立する個が存在しなくなってきているから。

勝手な独り言なので、自分でも正論を言っているかどうかもわからない。ただ、久しぶりに日本に生活していまだ変わらないこの国の未熟度には驚きを通り越してしまった。すくなくとも今まで暮らした自由の国々にでは、官の悪行に対しては健全な国民の議論と自立する国家の誇りが自浄作用となって少しずつでも方向を正すことができる。

これだけ、悪が目の前にあるにもかかわらず一日中お笑い番組流してるメディアも薄ら寒い思いがする。楽しく生きるのは誰でも望むところなのだろうけれど。

とはいえ、いまだに自分の母国であり最愛の人たちが暮らす国なのだ。