光市の事件が少し終わり近づいたのか

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今日、ネットでみてたら光市事件の少年が死刑判決という記事を見た。
死刑は嬉しいとはいえないけれど、今回は世論がほぼ全てこの判決を支持しているという感情論でも道徳論でも社会正義からでも、死刑しか残っていないという風潮に見える。もちろん、ネットでしかわからないのだけれど。


少年も18歳だった。
日本は自由の国であり、全ての行動は自由だけれど、その行動の責任はすべて自分が最後には追わなければならない。これが自由を享受するときの最低限の原則だ。自由には、自己責任という結論が常にある。

最後にこの判決が決定するなら、日本にはまだ自己責任という自由の選択が残っているのだろうと思う。死刑を喜ぶ人はいないだろう。しかし、自由が生き続けることを喜ぶ人は多いだろう。今回の大衆の判決支持の背景には、自由主義を前提とした判断が根底にあるように思う。生きるも死ぬも、自由の前では判断は平等であるべき。自由をまげて生きるよりも、自由を守るために死を選ぶことが正義であることも起きるのだろう。


長髪で髭、社会に反するような発言、これも自由だった。最初は、それが社会には受け入れられなかった。しかし、それらの自由な行動は、人を不快にするよりも、音楽と表現の自由により人々を開放し幸福にした。もし不快感だけがあったなら、はるか昔にビートルズは消え去っていただろう。

自由を楽しむということは、自分に100%までは合致しなくとも、なにかしら社会に受け入れられるべき社会共存も選ばなければならない。それができないならば、社会の自由を守るため、共存しない選択をした人間はそこから消え去らなければならない、ということなのだろう。

この少年は社会との共存を自ら拒んでしまった。





この記事へのコメント
この裁判、海外でも話題になっていたのでしょうか?ほんとに痛ましい事件だと思います。おっしゃるとおり今回の大衆の判決支持の背景には、自由主義を前提とした判断が根底にあると思うんです。ただ批判される事を承知で僕の見解を言うとですね、最審で被告側の弁護士が死刑廃止論者の弁護士に一新した途端、被告の供述が1審、2審とまったく違う供述になってしまい、日本のほとんどの人達っていっていいほどこれはおかしいなと疑問に感じたところから始まっていると思っています。僕はここに民主主義の原則に則って被告を弁護するという道から大幅に外れ、この事件を利用して自分達のイデオロギ−を裁判所に強引に押し付けた結果、日本の世論を動かし、今回の判決になったと考えています。日本ではほとんどの番組がこの判決結果に注目が集まっていました。それだけ日本の世論はこの判決に注目していたということです。
人が死んで嬉しいなんて誰も思わないと思うんです。だからこの判決結果には遺族の方達だけでなく僕達も厳粛に受け止めないといけないと思うんです。でも人を殺めてしまった以上、それ相当の償いは人間である以上しないといけないと思います。だから今回の極刑という判決は個人的には妥当な判決だと思っています。ずっとテレビでこの裁判に関するニュースを見ていて僕はずっとそう思っていました。最近日本では自殺志願者が増えています。もっと酷いのは自分で死ぬ勇気が無くて全く関係ない人を勝手に殺して逮捕されて死刑にして欲しいなんていう若者が増えているんです。自由という意味を完全に履き違えているんです。まだまだ日本は成熟した社会とは程遠い社会だと思いますね。長くなってすいません。
2008/04/23(水) 02:15 | URL | hardrocker1969 #-[ 編集]
こんにちは。
なるほど。これは即回答するのは難しいですね。私もこちらでは情報量が足りないです。相当盛り上がって話題になっていたのは知っていますが、それが弁護士がらみでどうのこうのまで細かいこともわかりません。事件はしっていましたし、その異常さもわかっています。
 ただ、成熟した社会になるには、一般人(我々のような人間)がこういった問題に顔を背けず、つねに社会と真っ向から向き合わないと社会は成長しませんね。その意味では、悪いいいかたですが、こうして多くの人が問題意識をもって事件であっても関心を注ぐことは社会の成熟のためには必要なことだったのかもしれません。
 確かに、日本の社会が組織的に、規律的に崩壊しようとしているのは私も肌で感じます。いいすぎかもしれませんが、まだまだ日本の意識は自由主義社会の中では幼稚園児程度のようにしか思えないこともしばしばです。
 いいコメントありがとうございました。ちょっと3日ばかり不在になります。また帰ったら書き込みますね。
2008/04/23(水) 06:49 | URL | cavern #-[ 編集]
とんでもないです。こちらこそ返信ありがとうございました。僕が思うに死刑制度というのは人の命に関わる事なのでとてもデリケ−トな問題だと思います。奥さんと幼い娘さんを奪われてしまった本村さんも何が何でも死刑を望んでいた訳ではないそうなんです。本村さんと直接語った事がある日本の評論家の方があるテレビ番組でそうおっしゃっていました。自分なりに極刑というのはどういう事なのか外国へ行って自分で勉強して考えに考えた末での極刑の訴えだったそうなのです。僕もあくまでもテレビや雑誌等の記事を見る限り、あくまでも僕が感じた事はあの被告は自分のした事について反省している気持ちがまったくと言っていいほど伝わってこないのです。あの被告の態度を見る限り、あの弁護士軍団は真実を捻じ曲げてしまったとしか思えないんですね。死刑廃止論、言うのは大いに結構ですけど、実際の裁判の場で真実を捻じ曲げてまで持論を持ち出すのはどう考えてもおかしいですよ。とにかく自分が住んでいる国なのでもっともっと平和で成熟した国になってほしいものです。ところでこの事件に関して自分のブログにこの事を書く勇気がなく、この場で長々と持論を書いてしまってすいません。書く場を与えて頂いた事に感謝致します。ありがとうございました。
2008/04/26(土) 02:05 | URL | hardrocker1969 #-[ 編集]
旅から戻りました。しかし、情報から判断するとそこまで堕落した弁護士がいすとなると、もう言論の自由は害毒でしかなくなりますねえ。弁護士は権力によって法廷にでることが許されますが、そこで法を仕事にする人間が真実を歪曲するとなると、もう司法制度や言論の自由そのものが揺らぎます。他ではよくわかりませんが、私も実はNZでこちらの弁護士とはしばしば一緒に仕事をします。裁判も経験したことがありますが、そこで万一弁護士が自ら歪曲した情報操作を行い暴露されると、そこでほとんどの場合弁護士としての仕事の生命は絶たれていきます。そんな自然浄化作用が日本にはまだないのかもしれません。
 今は、誰でも情報発信できますが、その代わり反論や批判もすぐ飛んできますよね。でも、そこで節度と理性ある言論であれば、誰でもどこでも発言していいと思います。感情的な話は私も嫌いでしす、そうなると議論も成り立ちませんが、理性とヒューマニティが根本にあれば誰でもが発言していいように思います。
 国家間の問題、今のオリンピックなどの問題は、理性以外にナショナリズムや国益の判断がはいるので、このような事件へのコメントとは別の角度から話が出てきて難しいのですが。でも、やはり自分の意見を理性的に話すならそれでいいと思いますが、私も自分が正しいかどうかはわかりません。
 ただ、政治家にはそれを求めます。なぜならそれが彼らの仕事だからです。意見を個人や国家に対して、正当にいえない政治家が日本には多すぎませんか?なんでも、損得考えてるし、権力には発言できないし…それでは政治家ではありませんよね?

2008/04/26(土) 13:46 | URL | cavern #-[ 編集]
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