アクロス・ザ・ユニバースで迎える誕生日

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3月か…

そろそろ自分の誕生日がやってくる。
40歳を越えた頃から、あまり歳なども気にならなくなったけれど、誕生日などという通過点があると、なにげにまた歳を気にする。しかたない。誕生日も、一生のうち多くても80回か90回しか迎えることができないわけだから、なんかしら祝い事をするのもわかるけれど、どうも自分にとってはあまり特別な日でもないのだ。

ジョンは40才で他界したけれど、自分のほうがこんなに長生きしているのもなにか不思議だ。ジョンのビデオなんか、若い頃のものだけれど、それを見ているとまだまだジョンのほうがはるかに年上に見えるし、自分はビートルズの前ではいつまでも(勝手だけれど)若者でいられるのだ。だから、いくら50歳や60歳になっても、まだビートルズのビデオでも見たりしてると、「変なオッサンの若者感覚」みたいな雰囲気でいるのだろう。でも、おかげで他人からはまず自分が40代の人間に見られることも少ない。喜ぶべきかどうかわからないけれど、歳よりは相当若く言われる。まあ、逆に言えば、ガキのままなのだろう。

数年前インドネシアを旅したとき、平均寿命の話になった。インドネシアでは、50歳程度が平均寿命だそうだ。ということは、自分がそこに生まれていたら、もうあまり時間は残っていなかったということなんだろう。もし、インドネシアで育っていたら、もっとなにかに焦りを感じて時間を使っていたのかもしれない。日本という医療の先進国で寿命を勝手に想像して生きているとなんでもない時間でも、生まれたところが違うとその時間も尊いわけだろう。

でも、時々想像してみるのだけれど、大宇宙という中の単なる塵のような存在でしかない自分には、あまりにもその「宇宙時間」は短い。宇宙というほとんどが未解明の中で実際に生きているわけだから、生まれて死ぬまでの原理原則や観念の存在、もっと過激に言えば神の存在ですら、すべて未解明のまま、自分の宇宙時間は終わっていくのだろう。それが宇宙という原則の中で生きている万物の理なのだからしかたがない。

所詮は、「宇宙という手のひら」の中の誰もわからない原則、だけれども、確実に存在するその法則に支配されて万物は過ぎていく…これはジョージの哲学にも近いけれど、最近では自分自身の回路の中にこのジョージのような思想が根付いていることに気が付く。子供の時には、考えることすら出来なかったことが、時間と共に見えてくる。

誕生日に決まって聴きたくなる曲がある。
実は、それがアクロス・ザ・ユニバースなのだ。


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