いつものように(かな?)、いずれにせよ時々は仕事中ジャズを流しながら仕事をしていることがある。ジャズは軽めのものが仕事中はいいけれど、今日はなぜかコルトレーンが流れていて、どうも重い。しかし、それでも仕事には結構集中できるからこんな流れでもまあいつもの想定内?ということか。
でも、ひとつ想定外が出てきた。
ラジオだったからだろうけれど、突然、やおら、恥じらいもなく、突発的に流れてきたのが、Here There and Everywhere だった。これにはさすがに仕事の手が止まった。
期せずしてあの美の極点ともいえそうなメロディーが全てを支配したかのように空間を埋め尽くしては自分を圧倒してくる。これがビートルズの力なんだろうな。
でも、こんなことは今に始まったことじゃない。何回聞いたかわからない、抱きしめたい、でも、イエスタデイでも、ヘイジュードでも、ジョンのイマジンでも、ポールのバンドオンザランでも、街を歩いていて突然流れてこようものなら、思考回路が突然停止してしまうことが何度あったことか。あの意外性と共にやってくる名曲の存在感は、突然自分の目的や思考をとめてしまうのだ。とにかく、その場、その瞬間に自分の原点回帰のような状態になってしまう。
なんなのだろう、あの現象は。写真家の浅井慎平(例のビートルズ来日時の写真家)もいっていたけれど、突然歩いていてビートルズの曲が流れてくるとそれだけでハットしてしまう、らしい。いつもはすでにビートルズからは多少でも乖離した生活をしていても、その曲は、普段は忘れていても、実は忘れることなんかできやしない自分の原点に自分を引きつれていってしまうということなんだろう。
今日のこのHere There。いつものことだろうけれど、この色あせない作品の力が自分を原点まで引っ張り戻してしまったということか。1966年のビートルズ来日前の作品が、今もここで自分の何かを刺激してくれているわけだ。
どうもありがとう。何度感謝しても感謝の泉は尽きることもない。
このHere There が終わると、ラジオはマイルスデイビスのラウンドミッドナイトを流して、またジャズのオンエアーへと戻っていった。そして、自分もまた、その曲の始まりとともに、なにもなかったように仕事を始めていた。
でも、この瞬間に起きたことは、今は忘れていていっても、また自分の新たな記憶として結局は長く潜在的なものとなって深いところに隠れるように残っていくのだろう。それもビートルズの存在感が自分に与えてくれるもの、自分にとっては棺桶に入るまで消えることのない「記憶」という宝のように思うのだ。
でも、ひとつ想定外が出てきた。
ラジオだったからだろうけれど、突然、やおら、恥じらいもなく、突発的に流れてきたのが、Here There and Everywhere だった。これにはさすがに仕事の手が止まった。
期せずしてあの美の極点ともいえそうなメロディーが全てを支配したかのように空間を埋め尽くしては自分を圧倒してくる。これがビートルズの力なんだろうな。
でも、こんなことは今に始まったことじゃない。何回聞いたかわからない、抱きしめたい、でも、イエスタデイでも、ヘイジュードでも、ジョンのイマジンでも、ポールのバンドオンザランでも、街を歩いていて突然流れてこようものなら、思考回路が突然停止してしまうことが何度あったことか。あの意外性と共にやってくる名曲の存在感は、突然自分の目的や思考をとめてしまうのだ。とにかく、その場、その瞬間に自分の原点回帰のような状態になってしまう。
なんなのだろう、あの現象は。写真家の浅井慎平(例のビートルズ来日時の写真家)もいっていたけれど、突然歩いていてビートルズの曲が流れてくるとそれだけでハットしてしまう、らしい。いつもはすでにビートルズからは多少でも乖離した生活をしていても、その曲は、普段は忘れていても、実は忘れることなんかできやしない自分の原点に自分を引きつれていってしまうということなんだろう。
今日のこのHere There。いつものことだろうけれど、この色あせない作品の力が自分を原点まで引っ張り戻してしまったということか。1966年のビートルズ来日前の作品が、今もここで自分の何かを刺激してくれているわけだ。
どうもありがとう。何度感謝しても感謝の泉は尽きることもない。
このHere There が終わると、ラジオはマイルスデイビスのラウンドミッドナイトを流して、またジャズのオンエアーへと戻っていった。そして、自分もまた、その曲の始まりとともに、なにもなかったように仕事を始めていた。
でも、この瞬間に起きたことは、今は忘れていていっても、また自分の新たな記憶として結局は長く潜在的なものとなって深いところに隠れるように残っていくのだろう。それもビートルズの存在感が自分に与えてくれるもの、自分にとっては棺桶に入るまで消えることのない「記憶」という宝のように思うのだ。
この記事へのコメント
僕も同じような事は頻繁にあります。街中や店内で偶然ビートルズの曲が流れると聞き入ってしまいます。いつも聞いている曲なのに違った感じ方をするのが新鮮です。またその時のオーディオ装置の条件によって音楽が微妙に違って聴こえ、ハーモニーのメロディーやバスドラ等を感知できた時は嬉しくなります。
2008/02/17(日) 11:45 | URL | 間 健治 #-[ 編集]
間さんも同じような体験を持ってますか。そうなんですよね、ビートルズファンがこの待ち歩き突発現象?を体験すると大抵はなにか金縛りにでもあったような感覚で立ち止まったり頭が白くなって音楽が澄んだ音で鳴り響いたりするようです。自分だけなのかと最初は思っていましたが、どうも結構同じような経験があるようです。なにか神々しい音にでも聞こえるのか??わかりません。
ご指摘の、その場で違った音像が聞こえるということもよくありますね。環境が異なるだけで、ビートルズはまた新しくなるわけです。ファンならではのひそかな楽しみです。
ご指摘の、その場で違った音像が聞こえるということもよくありますね。環境が異なるだけで、ビートルズはまた新しくなるわけです。ファンならではのひそかな楽しみです。
2008/02/17(日) 17:38 | URL | cavern #-[ 編集]
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