ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。
ベネチアで北野武がまた人気を博しているらしいけれど、どうも日本では北野氏の映画は評判が悪い。海外との温度差がこうも違うのは、他に存在しないかな?イタリアやロシアあたりでは、完全な巨匠扱いだけれど、日本ではお笑いの巨匠ではあっても、芸術の巨匠には祀り上げられてはいない。

でも、当然かな??

なんたって、日本人は北野武の笑いの部分と変人の部分ばかり毎日見てるわけだから。海外では、映画というアートメディアで才能を先にみつけて、その後でお笑いの分野に彼がいることを驚いたという逆転現象だからな。先入観がまったく違う。

宮崎駿も今回ベネチアに出ているらしいけれど、彼だって日本と世界のファンには相当な違いがある。日本の熱狂的なファンは相変わらず初期のナウシカやラピュタを最高傑作に選んでいるけれど、それは彼らがそこで衝撃的な体験をしてそれがあまりに忘れられないからではないのか。海外での作品は順序が違って、もののけ姫や千と千尋が先にメジャーでは紹介されている。だから海外では圧倒的に衝撃度はこっちが上で、最高傑作も彼らにとってはこのあたりになる。トトロはどうも特別でどこでも評価が一定して愛されているようだけれど。


俺もこれはしばしば肌で感じる。俺もビートルズの傑作というと後期の作品を選ぶけれど、それはおそらく同時体験まではしていないというハンデも背負っているからかもしれない。というのは、本当にビートルズと同時にアルバムが出るたびに驚いた人たちは、あの衝撃の時代、ハードデイズナイトなどの作品が傑作というより、自分の完全な記憶になってしまっている人が多いのだ。だから、その人たちにとっては、初期の作品などは意味がまったく異なっている。

時代を選ばないのはビートルズの作品の凄さだけれど、聞くほうでは、同時代に育ったか、後追いしたかは明らかに価値観が異なる。これは仕方がない。見える角度が違うのだ。

ひとつ絶対に残念なことは、俺はビートルズの日本公演を見ていない。でも見た人たちはちゃんといるわけだ。4人一緒にいた彼らを見た…それはあまりにうらやましくもあり、ファンとしては絶対に乗り越えられないハンデを背負っている。ビートルズをあの当時見た人にとっては、ロックンロールミュージックやペーパーバックライターは価値観がどれほど違うのだろうか。