ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。

日曜日、といっても、あまり変わることもない1日だった。
愛犬を海辺に散歩に連れて行って、気持ちいい潮風にあたって、行き交う人と挨拶して…いつものような平和な1日だった。

でも、この平和、というものも実は金じゃ買えない、そして場合によっては汗や血を流さないと手に入らないものだってことを自分も含めて人間すぐに忘れそうになる。アメリカのトレードセンタービルが爆破されても、チベットで血が流れても、自分の平和と自由だけはいつも手のなかにあると疑うこともない。それが自由主義国家のいいところでもあるけれど、生まれた場所が違うとこの自由と平和はあまりに貴重で尊いものとなる。

ジョンレノンが「平和を我らに」を歌った60年代はベトナムと冷戦で戦争という状況がいつも隣り合わせのような感覚すらあった。だからジョンもそんな歌を作ったのだろうし、歌いたかったのだろう。イマジンにしても、まだまだ平和が危ない時代だったからこその傑作だとも思う。

でも、今はオリンピックが行われる国で、隠れた殺戮のような現状すらあるのに、平和や自由を語ることも少ない。テロが起きて人が死んでも、戦争という局面までは想像しない。それほどまでの平和が当然の環境が日本人の中にはあるし、多くの先進国でもそういった環境にいる。


どうも最近は、この平和というのが嘘のような気もしている。結局は平和の裏には血が流れどこかで誰かが犠牲になっている。平和を維持するために、どこかでは戦いや争いが起きる。なぜか意味がわからなくなる。国境を守るために戦う、信仰を守るために戦う、信念を守るために戦う、ということは矛盾ではあるけれど、一方では誰かがその領域を侵すから「守るために戦う」ことになるに過ぎない。

結局は力のゲーム。平和を守るということは結局は力の均衡でしか達成できないという人間の寂しい現実はもう誰もが知っている。なのに平和を叫ばないとならない。

これは人間の大いなる矛盾の宿命なんだろうな。
ジョンレノンが今生きていたらどんな曲を作っただろうか。







ニールアスピナルが死んだ。
また1人ビートルズの歴史を支えてきた人がいなくなった。

ニールアスピナルはファンの間でも決して有名な人ではなかったけれど、ビートルズの歴史を書いた本や誰かのコメント聞くたびに必ず登場する人だった。ロードマネージャーという役割だったようだけれど、実際は結構インテリジェントであってメンバーの親友だった。最後はアップルの社長を務めた。

ビートルズの関係者はなぜみんな早めに死んでしまうのだろう。いや、こんな感想を持っているのは僕だけかもしれないけれど。スチュワートの死から若くして終わった人生があったかと思えば、なんといっても、ジョンの40歳での他界。ジョージの58歳という若さでの別れ。他にも、ブライアンエプスタイン、マルエバンスやリンダ、そして最近ではマハリシなど、もう絶え間なく死んでしまうような気がして寂しさも尽きない。


ポール、リンゴ、それにジョージマーチンの3人のほかにビートルズの歴史を知る人は本当に少なくなってきてしまった。どうも今日は言葉が出ないなあ…



ニュージーランドでは、毎年アメリカのテレビ番組で「アメリカンアイドル」というスター誕生のような番組(古い!)をオンエアーしている。アメリカではダントツで人気の番組らしく、視聴率もすこぶるよいらしい。毎年スターを夢見る若者が大挙して押し寄せてきて、トップを目指す。
毎年みているけれど、日本とはさすがにレベルがちがって、歌唱力の凄い新人がよくこんなにいるものだと感心するほど。エンターテイメントの底力、アメリカは凄い。

毎年、審査員は同じで3人の業界人とミュージシャンが審査を勤める。女性のミュージシャンで審査員をしているのがポーラアブドゥル。

昨日、この番組中でこの新人スターを目指す高校生位の若者が、ジョンレノンのイマジンを歌った。確かに、オリジナルなアレンジで歌ったその名曲は、ビートルズファンの僕でもその若者に素質を感じるほどだった。

審査員が歌の後で評論するのだけれど、3人とも絶賛していたほどで、「選曲はあまりにリスキーだけれど、巧く歌った」とか、「なぜ2番目の歌詞を選んだ?」とか、さすがにジョンレノンの曲に対する敬愛を審査員からも感じるほどにコメントも白熱した。かつて日本でも「イカ天」でビートルズコピーバンドが出てくると、全員が最後まで聞き入ってしまったことが多かったけれど、そんな光景にきているのかも知れない。

驚いたのは、ポーラアブドゥルが泣き出してしまったこと。
「世界で最も美しい曲」というコメントをつけた上で、話し始めたけれど、涙声でコメントも出ないほどに感激したらしい。

この若者には将来性や素質も皆が感じたのだろう。そして、勝手な邪推かもしれないし、思い込みかもしれないけれど、その背景にはジョンレノンのイマジンという名作があったからそこに感動の空間が出来上がったのだと思った。なぜなら、審査員も会場の皆も、この曲を聞き入ってしまったから、そんな心の動揺が起きてしまったのだも事実だったから。

ジョンの力は本当に凄い。
死んだ人間、ここにいない人間に対して、だれもがジョンの世界を再現された歌から感じ取ってしまった。テレビを見ていて、歌手にも拍手はしたくなったけれど、ジョンレノンという存在感にまたもや恐れ入ってしまった。こんなこと、他に誰が起こせるって?



ジョンレノンのジュリアを聴いていた。もちろんホワイトアルバムなので、ビートルズのジュリアなのだけれど、どうもファンとしてはこれまで鮮明にジョンの曲だと「ジョンのジュリア」になってしまう。

ジョンの霞むような声の影に潜んだ、母への思いをここでも見ることができるのだけれど、どうも最近はこの曲は聴くと切ない。昔は単にきれいなバラードでスリーフィンガーで弾いたギターの一曲だったけれど、今は自分にとっても意味は異なる。

まだ僕の母親は幸い健在だけれど、時に電話をするとその声にはやはり歳は隠せない。過ぎた時間は何かに現れてくる。僕はまだ、ジョンほどにまでは母の面影を追いかけてはいないだろう。けれど、それは、単にジョンが母を目の前で交通事故で若くして失うという衝撃、それも、唯一の理解者だった母親が突然消える究極の無常を経験してしまったこと、そして、僕にはそこまでの経験はない、という現実問題の差に過ぎないような気もしている。

これはマザコンとかの言葉ではなく、おそらくは人間が誰もがもつ母親への絆なのだと思っている。動物でも人間でも、いずれ子供は母親や父親とは別れていく。しかし、その時期は自然に成長と共に訪れるのが普通であって、ジョンのように突然やってくるケースの方が少ない。その衝撃度はやはり計り知れない。

ジョンのジュリアでの声は、本当にジョンらしくない。ミュージシャンのジョンらしくない声なのだ。でもこのジョンの声は、ジョンの魂のMy Mummy's Dead でも聴くことが出来る「生」の声なのだ。それは理屈ではなく、これも単にそう感じるだけなのだけれど。ジョンは、母親への感情はもはや表現できる段階を超えていて、本当にHalf of what I say is meaningless だったのでは?

そして、逆にそのジョンが最も絶叫する声を聞けるのが、マザー。このマザーでジョンは母親への思いを一区切りつけたかったのではないだろうか。

自分の両親が年老いていく姿を見る今、ジュリアの声が切なく響く。
ジュリアは凄い曲だなあ…ジョンはこの声を20代で出していたけれど、自分はそんなことをやっと思う年齢になったということなのかもしれない。





今日、寂しいニュースがまた聞こえてきてしまった。
SF作家のアーサー・C・クラークが死んでしまったのだ。この人の作品は早川書房から翻訳が出ていて、昔何冊か読んではその創造性に感動させられた。「幼年期の終わり」などの壮大なスケールの小説がSFで出来上がってくる背景に、知性と創造性のなせる限界業のようなものまで感じたことがある。大袈裟かもしれないけれど、一種の知的生命体の完成形のような美学が小説の中にあった。


でも、一番大きな影響を受けたのは、やはり「2001年宇宙の旅」。
宇宙の神秘、近未来の社会、人間の輪廻、生への哲学、それらすべてが凝縮したストーリーは、あまりの奇想天外でロマン溢れる展開に言葉を失った。映画では、スタンリーキューブリックが手がけた映像美の見事さとの相乗効果で、本当に宇宙空間で生命の真実に迫っていくような感覚に陥ってしまった。映画を見て、考え込んだ時間は、この映画が「最長不倒距離」だった。

この作品以降、いい台本で作られたSF映画は多いし、スピルバーグの未知との遭遇やルーカスのスターウォーズなどの娯楽作でありながら人間の哲学を語る良い名作も登場した。けれど、おそらくは、どの監督、どの作家でもこの2001年の世界には立ち入っていない。その分野のSFではこの映画で完成形であり、2001年以上の思想を映画に入れ込むことは不可能だということも、おそらくは名監督達も十分知っているのだろう。どんなSFXを駆使しても画面だけの工夫では、2001年宇宙の旅の観念のレベルには達しない。

こういう作品、こういったモニュメントとなるべき作品はなかなか存在しない。
見ただけで、人生観というギアが確実に変わる。この2001年宇宙の旅は、僕にとっては映画のサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドだった。

そんな作品の作家が他界した。
時代の流れは止められない。

アーサーCクラークへ
美しきスターチャイルドにならむことを祈ります
さよなら



しかし、この女は本当に力も抜けるほどあきれるけど、ポールはなんでこんなの気に入ったのだろう。少なくともビートルズのメンバーの嫁の中では、まちがいなく最悪じゃなかったか?オノヨーコも性格ははみ出してるけど、すくなくとも「話が通じる」ような知性だけはある。まして、世間はちゃんと一目置いてるのも事実。しかし、この女には知性も理性も感じられない。

余計なお世話だろうけれど、ポールの女の趣味だけは本当にわからん。
リンダもまあこのへザーよりはいいけれど、ちょっと?マークがつく選択だったような気もするし…

要するになぜかアーチストっぽさがない女がすきなのだろう。ジェーンアッシャーはちょっとアートの香りもしたけれど、結局は破滅だったし。

まあ、ポールも人の子だってことか。





【ロンドン18日AFP=時事】元ビートルズメンバーのポール・マッカートニーさん(65)の離婚調停が17日にまとまり、別居中の妻のヘザー・ミルズさん(40)に2430万ポンド(約47億円)が支払われることになったが、調停を担当したヒュー・ベネット判事は18日、ミルズさんが調停中、まったく非現実的な要求を持ち出すなど、とても誠実といえた態度ではなかったと明らかにした。
 調停で1億2500万ポンドを要求していたミルズさんは調停の詳細を公表しないように裁判所に求めていたが、同判事はこれを拒否し、4年間しか結婚期間がなかったミルズさんがいかにマッカートニーさんに過度な要求をしたかを明かしている。
 同判事によると、ミルズさんは将来の長期間にわたって、マッカートニーさんと同じ水準で、別れる前と同じ生活スタイルの維持が保証されることを強く主張したという。同判事は、別れた妻が以前とまったく同じ水準の暮らしを続けるのを期待することが極めて非現実的であるのは明らかだと指摘している。
 同判事はまた、ミルズさんの証言は矛盾だらけで不正確だったとし、調停の途中でマッカートニーさんの弁護士が、ロンドン郊外の不動産のローン料として48万ポンドを請求したミルズさんに対して、その不動産には返済するローンなど残っていないと不正を非難したことも明らかにした。
 ミルズさんは18日、同判事の批判に対して「極めて悪意に満ちたものだ」と怒りをあらわにするとともに、調停の全容を公表しないよう求めたのは、自分の住所も含めて公表されれば自身や子供に危険が及ぶ恐れがあるからだと反論した。
 しかし、17日の調停の最後にマッカートニーさん側の女性弁護士にコップの水を頭から浴びせたとの話については事実だと認めた。
ポールの慰謝料が46億円で決着しそうだ、というニュース。

これでどうも感覚が変だったのが、ニュースで聞こえてくるドルの話。テレビでは50ミリオンというニュースになっているのだけれど、これでいつもなら60億円、少なくとも50億円以上にはなる。ところが、今では円高、というよりはなはだしいドル安でこの有様。

サブプライムでアメリカがバブル崩壊に追い込まれそうな感じだけれど、これからさらにドル安になると日本もまた景気は停滞しそうだ。

だいたいにして、アメリカの好景気が嘘のように長すぎた。今回はそのつけがやてきたってことだろう。アメリカの一国支配で世界は長い間我慢状態だったけれど、それもやはり永遠には続かない。日本もかつては、永遠に世界を制覇しそうな経済状況だったけれど、今はひとつの先進国に過ぎない。同じ状態はやはり簡単には維持できないのだ。

しかし、それでもアメリカは世界の頂点としておそらくは永遠にその座を譲らないような気もする。経済は停滞し衰えても、素質としての潜在力はそう簡単に変わらない。国家としてのアメリカはそのくらい強く見える。

アメリカドルの弱さを見ていると、1970年代、解散後に主役を他に譲ったビートルズを思い出すなあ。ハードロックやプログレに主役が移って、ビートルズは過去のようになっていった。でも、結局はビートルズは今に至っても常に「現在」のままでいる唯一、または数少ない過去のアーチストなのも事実。どんなものにも欠点や低迷はある。それを乗り越えていける、ということが本物の証明でもあるのだ。

アメリカは、また戻ってくるだろう。そんな気がする。
でも、日本はこれからまた戻れるのだろうか?


どうも中国がきな臭い。チベットはなんという悲劇。いったい何世紀前の、何世代前の話なのか、と思うほどこの国の現状は悲惨だ。信仰や思想まで統制され、そして民族の血は薄められ否定される。今この時代にこんなことが大陸の内部で起きているという現実が空しい。

日本の戦争は、間違いであった。それはたとえアメリカに先導された戦争であったとしても、それに乗ってしまった日本が責められても仕方がない。同じように、ヒットラーがユダヤに行った蛮行は、今もその責を逃れられない。それはすべてが人権を度外視した国の権力による暴力だったからだ。

そして、チベットでは今だに抵抗力のない民族に対して、大国が一方的な巨大な国力での法支配を強いている。これは日本帝国やナチスの犯した間違いとなにが異なるのか。日本帝国が今も問責の対象になるのであるなら、この現状はなぜ放置されているのか。単なる大国のエゴで犠牲になっていく善良な市民はもう見たくない。

不可解なことが今でもおきているのは心が痛いし、それを知っても解決の糸口も見出せない人間の無知無力への失望にも似た気持ちになる。

トゥモーローネバーノウズでジョンレノンが、ダライラマの声が響いてくるような音、を求めてあのレコーディングをしたことは有名だ。ジョンが生きていたら、今のダライラマの叫びにも似たアピールの声を、どんな風に理解するのだろう。悲痛な音ではあっても、もはや読経の響きには聞こえないのではないだろうか。

ジョンが今生きていても、トゥモーローネバーノウズをダライラマを連想して作ることはなかっただろう。
今は本当に明日が見えない。



先日、インドカレーを食べた。インドカレーといっても、ハウス食品の即席ものではなく、街でインド人がやっているレストランのカレーだ。この街でもインド人は結構多くて、中にはかなりおいしいカレー料理がある。カレーファンの自分にとっては嬉しい。


ところで、ジョンレノンがカレーが好きだったことは結構ファンは知られている。ジョージはもちろんだし、伝え聞くところでは、ホワイトアルバムのレコーディングでは、カレーがしばしば出前でスタジオにやってきたらしい。でも、60年代のイギリスだから、カレーは本当においしい料理筆頭だっただろう。イギリスの食文化は相当遅れて開花したから、インド料理と中華料理程度しか海外の味はなかったはずだし。


僕もかつてイギリスでもカレー料理は探訪して店をハシゴした。そのくらいカレーは好きだからイギリスのカレーを食べてみてわかったのは、イギリス(ロンドン)はカレー料理のレベルが高いこと。だから、ジョンや他のメンバーもカレーファンだったのは想像できる。だから勝手にビートルズ、特にジョンやジョージはカレーが大好物だったのだろうと思っている。

だからというわけでもないが、勝手な習慣で、インドカレーを食べるとジョージのWithin You Without You が頭で鳴り始まる。どうしても、あの雰囲気は「インドカレー」なのだ。おそらくこの頃でもジョージはカレーを食べながらインドの音楽を作曲してたりしてたんじゃないか?とにかく、ジョージのインド音楽にはタンドーリチキンだのチャイティーだのよりも、カレーのあの香りと味が一番マッチしていしまう。

かつてインド料理屋で、カレーを食べていたとき、本格派のインド音楽が絶えず流れていた。そんなときに、突然このWithin You Without You が流れてきてしまった。それで完全に頭はカレーとジョージの音のミックスになってしまった。僕にとっては結構忘れられない「不思議な」体験だった。

帰り際に店の人に、ジョージのこの音楽をどう思うかたずねてみた。
「ジョージはインドの味(Taste)を知ってる。彼はインドを5感で理解している。だから、彼の音楽は料理にも合う」という回答。ふむふむ、ということは、僕のカレーとジョージのマッチングもまんざら見当違いな習慣じゃなかったわけだ。

それ以来カレーを食べるときはジョージの顔が浮かんでくるようになったなあ。






別に音楽日記じゃないけれど、今日はポールのTug of Warがお気に入りの1日になった。
ポールマッカートニーは、この作品を発表してからはウィングスも終わり、ソロでの活動になっていた区切りの作品。名作でもあるけれど、やはり記憶としてはジョンレノンが他界してからの作品としてのほうが強烈に残っている。あの事件の後、本格的なポールの作品は本当に待ち遠しかったから。

当時は、聞くまでの間不安もあったけれど、聴いてみるとこの作品は明るく開放的であってポールの前進する姿が浮かび上がる快作だった。ジョンの事件に負けじと創作を続けたポールが輝いていた。

でも、ポールはもうこうして音楽を作りながらビートルズよりはるかに長い間、ジョンもジョージもリンゴもパートナーではない時代を過ごしてきた。しかし、そのどの時代でも、ビートルズを超えることは出来なかった。考えてみると、それは当然だったのだろう。ポールがビートルズを超えるということは、ビートルズの核だった自分自身をも超えていくということ。だけれども、ポールや他のメンバーにしても、ビートルズはあの4人の核融合のような相互作用で生まれた唯一無二の現象だった。その唯一無二を超えることは自分自身の過去であっても、できることではないのだろう。核融合はもう起きないのだから。

この作品、Tug of Warも素晴らしい作品だけれど、ビートルズの作品と比べることは出来ない。それは上記の理由で仕方がない。でも、これだけはいえるけれど、ビートルズが核融合を起こしたのは、まちがいなくポールがいたからだった。よく、ジョンなしではビートルズは無理、とも言われるしそれは正しい。でも、ポールがいないビートルズはジョンと同じように全く想像できない。Many years from now でポールが語っているけれど、ジョンとポールは本当に対等だったのだろう。

少なくとも、ポールの曲はジョンの曲に劣ることはないし、またはその逆の比較であっても、何一つどちらが上のようなランクもつけられない。

いつ頃からジョンとポールの比較が始まったかは記憶していないけれど、僕にとってはジョンとポールを比べて話をしてみても、結局は結論など出ない。なぜなら両方僕の人生にもう欠かせなくなってしまったから。もちろん、それはジョージとリンゴも同じなんだけれど。なんたって4人で起こした核爆発だったんだからな。
 そしてそこにはちゃんとポールマッカートニーも輪の中心にいたんだよね。








住んでいる南半球は、これから冬に向かう。今は、まだ秋になったばかりだけれど、すでに結構寒さを感じる日もある。東京のような熱帯地獄はないけれど、寒い期間は結構長い。まあ、それでも雪が降るような寒さもないから、年中しのぎやすいということか。それには文句もいえない。


今、家でかみさんとよく話す話題が、ハワイに行きたいってこと。くだらないけれど、実際にどうも身体の虫が騒ぐ。かつて少しハワイに住んでいたためか、あの気候の中毒症状がでていて、それを長期間切らすとどうも体調不全になるらしい。今年はなんとか時間を作っていかないと、アホになりそうだ。いや、すでにアホだからなあ…まあ、表現のしようがない。


ジョンとジョージがハワイのダイヤモンドヘッドをバックにした写真があった。彼らはいつツアーしたのか?コンサートやったのか?ハワイに多少詳しいつもりだったけれど、これには自分でも参った。わからない。アメリカツアーはもちろん、全国ツアーしたろうけれど、ハワイはコンサートで行ったのか、それとも途中立ち寄りだったのか。今度ハワイに行ったら、そこかしこで質問攻めにして解明しようと思っている。

でも、この写真は1690年代中盤、おそらくヘルプの頃の写真じゃないだろうか。その頃のハワイといったら、日本では一生に一度いけるものなら「憧れのハワイ航路」。つまり、船で行くのもやっとだったのだ。今じゃハワイは10回や20回行ってる人間なんてザラだけれど、この頃はそうじゃなかった。

ジョンとジョージのハワイの写真を見てて、そんなことを思い出した。


でも、それってハワイに限ったことじゃないけれど。ハリウッドボウルでのコンサートライブレコード(CDじゃない)を最初に聴いたときは感激したし、ニューヨークのシェアスタジアムのフィルムでも、遠い世界の出来事だった。それが、今では訪問できる時代。LAなんて、NYなんて、誰一人行ったことある人間なんて俺の周りにはいなかったのが、俺の少年時代。

ビートルズは60年代、音楽ファンや若者の間では神同然だった。
それはもちろんあの音楽と才能の凄さが原因だったけれど、今思うと、とても手が届かない遠い世界の出来事をやっとのことでレコードで聞いてみたら、そこにはとんでもない才能が詰まっていた…そしてそれは永遠に手の届かない別世界の出来事であるはずだった…、そんな距離感がビートルズの存在感をとてつもなく遠く、はるか天空での対象にしてしまったのも、おそらくは多少あるだろう。

ビートルズは、1690年代は確実に、別世界の存在だった。
コンサートを見るということは、彼らを目撃するといことは、トンでもないことだったのだ。それは写真やレコードの夢体験が現実になること、神に遭遇するようなものだったのだ。

ところで、この写真の場所はある程度想像付くので、絶対にそこにいって同じ写真を撮ってやろうと
思った。それがせめてものハワイ通?の意地だって。



3月か…

そろそろ自分の誕生日がやってくる。
40歳を越えた頃から、あまり歳なども気にならなくなったけれど、誕生日などという通過点があると、なにげにまた歳を気にする。しかたない。誕生日も、一生のうち多くても80回か90回しか迎えることができないわけだから、なんかしら祝い事をするのもわかるけれど、どうも自分にとってはあまり特別な日でもないのだ。

ジョンは40才で他界したけれど、自分のほうがこんなに長生きしているのもなにか不思議だ。ジョンのビデオなんか、若い頃のものだけれど、それを見ているとまだまだジョンのほうがはるかに年上に見えるし、自分はビートルズの前ではいつまでも(勝手だけれど)若者でいられるのだ。だから、いくら50歳や60歳になっても、まだビートルズのビデオでも見たりしてると、「変なオッサンの若者感覚」みたいな雰囲気でいるのだろう。でも、おかげで他人からはまず自分が40代の人間に見られることも少ない。喜ぶべきかどうかわからないけれど、歳よりは相当若く言われる。まあ、逆に言えば、ガキのままなのだろう。

数年前インドネシアを旅したとき、平均寿命の話になった。インドネシアでは、50歳程度が平均寿命だそうだ。ということは、自分がそこに生まれていたら、もうあまり時間は残っていなかったということなんだろう。もし、インドネシアで育っていたら、もっとなにかに焦りを感じて時間を使っていたのかもしれない。日本という医療の先進国で寿命を勝手に想像して生きているとなんでもない時間でも、生まれたところが違うとその時間も尊いわけだろう。

でも、時々想像してみるのだけれど、大宇宙という中の単なる塵のような存在でしかない自分には、あまりにもその「宇宙時間」は短い。宇宙というほとんどが未解明の中で実際に生きているわけだから、生まれて死ぬまでの原理原則や観念の存在、もっと過激に言えば神の存在ですら、すべて未解明のまま、自分の宇宙時間は終わっていくのだろう。それが宇宙という原則の中で生きている万物の理なのだからしかたがない。

所詮は、「宇宙という手のひら」の中の誰もわからない原則、だけれども、確実に存在するその法則に支配されて万物は過ぎていく…これはジョージの哲学にも近いけれど、最近では自分自身の回路の中にこのジョージのような思想が根付いていることに気が付く。子供の時には、考えることすら出来なかったことが、時間と共に見えてくる。

誕生日に決まって聴きたくなる曲がある。
実は、それがアクロス・ザ・ユニバースなのだ。


実はストーンズの中で一番好きなメンバーはキースリチャーズ。
あまりストーンズにのめりこんだわけじゃないけれど、なにせビートルズと付き合ってきたということはストーンズの情報も同時期で同じように入ってくるわけで、考えてみると彼らの作品も相当付き合ってきた。ビートルズのほうが聴いているし、それはストーンズに限ったことじゃないので、ZEPでもクイーンでもジェネシスでもピンクフロイドでもペンタングルなんてフォークでも、時々ビートルズの合間に無性に聞きたい感情に支配されることがある。

割とすきなわけなんだけどな。メジャーでもマイナーでも、音楽でも映画でも本でも、深い知識があるなんていうつもりもないけれど、とにかく好きなものや気になったものはチェックしてきたからな。なので、ストーンズの作品も気分しだいでは1日染まってることもあったけどなあ。

で、話をキースリチャーズに戻すと、ニュースによるとZEPの再結成なんて知らなかった、とか、オアシスだのモンキーズだのはあいてにもしてねえ!ってな発言を最近バリバリに繰り返してるらしい。

キースはエルトンジョンともガンガンにバトルやってたし、なにか酔っ払って頭に来たことは全部話してんじゃないのかってな感じだなあ。でも、まあそれがあのオッサンのいいところなんだろう。俺は当然ビートルズファンだけれど、キースは何故かはまるのだ。どこかジョンやジョージのような辛らつさもあったり、それでいてジョンやジョージには哀悼をいつも表したり、憎めないなあ。ギターは好きなときもあるし、最近はどうもやる気あんのかなあ?ってなギターしか聴いてないけれど、まあ昔は結構演奏は乗ってましたからね、いいギターでした。復活してほしいなあ。

でも、キースさん。周りの若いモンをおちょくるのはいいですが、ZEPまでおちょくる必要もないでしょう。少し年上でも、もういい加減同世代のようなもんだし。でも、とにかくこのオッサンは面白いよ。好きだなあ。死神みたいにいつまでもフラフラして生きてるし。あのゾンビみたいな風貌は、60年代の美少年的な顔を知るファンを裏切っているんだけど、彼はわかってんのかな?どれだけあの頃と格差のある顔してるか。まあ、それももうどうでもいいって?そうだろうな。

誤解のないように。応援してますからね。キースさん。
酒飲んで、ぶっ倒れて、ギター抱えて、そんな余生をいつまでもライブでがんばってください。

キースがベースで、エリックがリード、ジョンが歌ったヤーブルースは名演だった。あの光景ももう見れないのもつらいなあ。でも、キースがいってたけれど、もしチャップマンが牢獄から抜け出したら、ジョンのカタキを取るって。

あんまりいいエールじゃないけれど、本音で言えば多少期待してるから、その日がたら逮捕されないようにこっそりお願いします。




本読んでて思ったこと…

三島由紀夫も太宰治も芥川賞は受賞していない。なぜだ?
あの作家をして受賞できない?

でも、それってどうでもいいような気がする。誰か他の人が認めるかどうか、それだけの問題だけれど、自分の理解度を超えていくと、審査するほうがよほどレベルを問われる。彼らに限らず、受賞を逃して去っていく巨匠は文学に限らず、たくさんいる。

アカデミー賞にしてもグラミー賞にしても、そんな意味でしかないからあのビートルズも受賞は少ない。それでいいのだよ。賞というのは偉大な功績をたたえることはできても、絶対的な価値を計ることはできないのだ。

最近、アメリカのアワードにしてもそうだけれど、見ているとどうもイベントにしか見えなくなった。賞がほしくて騒ぐことなどない。結果、あげますよ、といわれたら「くれるならもらうよ」という程度でいいの。ほしくて騒ぐほど凡人の証明になるから、やめたほうがいい。

でも、若い時代はほしいだろうな。なんたって世界に認められた、という感慨に浸れるわけだから。ある程度の満足度はあるだろう。

三島も太宰もおそらくは死に際に後悔はなかったろう。認められないから騒ぐこともない。アイデンティティがあるから、賞や美辞麗句はなくても大丈夫。自分の路線で生きただけ。お笑いは、確か三島由紀夫は芥川賞の選考委員になったんじゃなかったか?(記憶違いじゃなければ)


そういえば、ジョンレノンもMBE突っ返したけれど、よくわかる。ジョンにはいらないものだったのだ。社会と反目してつかんだ地位を、体制に受け入れられたかのようなシンボルで終わりたくもなかったろう。

才能はそれ自体がアワードであって、それ以外のものはアワード側のほうがハクをつけたいから才能に対して贈っているだけ。

三島もジョンもそれを示してくれた。だから、わが道を生きよう。

プロレスの黄金時代、それは戦後の象徴でもあった。力道山が出て、街角のテレビに人垣ができては、大声でテレビに向かって応援したプロレス戦後の第一期。

そして、馬場と猪木というジョンとポールにも匹敵するような巨頭が現れて、その力道山の跡を継ぐ。まるでエルビスの後を継いだジョンとポールのように、時代は流れていった。

そして、白黒テレビがお茶の間に普及し始めた頃、アメリカからスピニングトーホールドという鮮やかな必殺技をもって日本に来て、馬場、猪木をも凌駕した力を示したのがドリーファンクジュニアだった。馬場は(たしか?)そのスピニングトーホールドで惨敗し、猪木は伝説の大晦日決戦に紅白歌合戦の裏番組でありながら当時はチャンネルに迷うほどの名勝負を繰り広げ、引き分けでドリーファンクのチャンピオン防衛となった。

何というロマンの時代、セピア色のリングの模様が今も脳裏に懐かしくも鮮やかによみがえる。

そのドリーファンクジュニアがヤフーニュースによると今日引退試合を日本で行い、笑顔と共にリングを去ったらしい。馬場、猪木を苦しめながらも、日本のファンに愛されたレスラーはドリーファンク以外には当時はデストロイヤーくらいしかいなかったろう。

これで、また我々日本人に時代を覚えさせてくれた人が去っていったということだ。

と、なんとプロレスの話から入ってしまったけれど、おそらく我々世代でプロレスを真っ向から笑い飛ばせる人間はそう多くはないはずだ。将来を夢見て、何かに向かってでも道を切り開く力を必要とした時代、プロレスは今と違って時代の力をまちがいなく牽引していた。今でこそ格闘技というジャンルがあるけれど、プロレスは当時はジャンルではなく、人々の心に宿る希望のようなものだったのだ。今これを当時を知らぬ人が読めば笑うかもしれないけれど、当時を知るものとして、これは事実を伝えたい。
このドリーファンクも、猪木も、馬場も、時代の象徴だったのだ。1-2-3ダー!という儀式などは当時はなかったのだ。

力をもって将来に希望を見せてくれた彼らには案外心から感謝をしている。彼らの汗と血とエネルギーは、何かやらなきゃならん、という気持ちに大いに火をつけてくれた。

そして才能や創造性というとんでもない、それまで知りえない世界を見せてくれたのがビートルズであったし、力で切り開いた時代を率先して行ったのは彼ら当時のリングの連中だったのだ。


ドリーファンク、さよなら。寂しいけれど、これも流れた尊い時間があったからこそ寂しい。
1960年代は本当に過去になって行ってしまうのだろう。1960年代のあの夢と力の渦巻くような感覚、そんな時代にガキのブンザイであっても、同時に生きられたことを今日も嬉しく思った。