ジョンがOh My Love を歌ってる映像が出ているけれど、断片ではなく流れで全部見たのはこれがはじめて。
ジョージもいるし、ニッキーホプキンスもいる。みんな若い。でも、もうみんないない。まるで天国のセッション風景のようだ。
ジョンはこの曲は弾き語りしてたってのもこれを見て知ったけれど、ジョンはイマジンといい、マザーといい、この曲といい、ピアノを弾くとギターのあのロックンローラーの雰囲気から一気に変わる。ロックンローラーの時は時代を切り裂くエネルギーと野性味溢れる個性丸出しになるけれど、ピアノをこうして弾くと清らかな魂が突然現れてくる。
ポールも(ジョージもたまには)ピアノを弾くけれど、ジョンほど変貌はしないように思う。ジョンはピアノに座ると、突然、聖人のような雰囲気を醸し出してしまう。なぜだろう。
理由なんてわからんけれど、おそらくジョンにとってギターという楽器はロックだったし、ピアノという楽器はロックよりも語りの楽器だったのではなkのだろうか。勝手な邪推だし、ジョン自身もそんなことは考えていなかっただろうけれど、ジョンファンとしてはどうもそう感じてしまうのだ。ジョンが弾くピアノはどれもが透明感溢れる澄み切った雰囲気を作り出す。イマジンなんて音はこもっているのに、聴いていると魂が昇華していく感覚になる。
この体験は他のミュージシャンではなかなか出来ない。この感性はピアノを弾く「うまさ」というテクニックで出てくるものでもない。凄いことだね。
でも、余計な話だけれど、ジョンはピアノの手元をあまり見ないでピアノを弾いている。それにこの曲のアルペオは簡単そうに見えても、未熟な人が弾くとすぐに指先が狂いやすい。ジョンはおそらくこれに限らず新曲の練習なんてギターでもピアノでもそんなにやらないでレコーディングに入っていたはず。
しばしば思っていたことだけれど、ジョンはやはりギターもピアノも巧い。巧いから練習なしでもどんどん録音できたのだろう。もちろん、隣にいるジョージも同じなんだけど。
ビートルズは下手だといった人たちへ…
同じことできないでしょ?
別にポールにサヨナラをいうわけじゃない。
ファンは知っているのだけえど、ポールは友人や他のアーチストに数多く曲を提供している。その中で、おそらく一番すきなのがこのメアリーホプキンにあげてしまった曲、Goodbye グッバイ。
この録音はデモでしかないのだろう。ポールがギターだけで歌っているから。メアリーホプキンのバージョンはやたら女性の色が濃くなってしまうけれど、このポールのデモバージョンは好きだなあ。まあ、メアリーのも可愛くていいけどね。
このメアリーホプキンのバージョンはイギリスのテレビショーの模様だと思うけれど。当時日本でもこれはおそらくオンエアーされている。今でも家にはテレビからとった古いカセットテープが残ってるなあ。
ついでにメアリーの最初の大ヒットはThose were the days という古いロシアの民謡だったけれど、これもポールがメアリーに出会ってこの曲しか彼女にはない、と入れ込んでプロデュースしたらしい。おかげで、ヘイジュードをも脅かすヒットになったんだけどな、イギリスじゃ。確かにこのおメアリーもポールが見初めるだけの魅力はあるけどな。 まあ、いいか。
しかしグッドバイみたいな曲をサラサラ作り上げて、他の奴にあげてたんだから泉のような能力。こんなの、ビートルズで出してもかるく名曲になってたろうけれど、メアリーの録音しか残っていないから、当然ビートルズの音ではない。もちろん、作品自体はいいけれど、これがもしビートルズの録音だったらまた違っていただろう。
同じようにバッドフィンガーやピーターとゴードンにやってしまったポールの曲もどれもいい作品。凄いね。
メアリーホプキンの歌声も美しいけれど、ポールのこの威力にはさすがに参ってしまう。こんな作品、他人にやってたら普通の奴じゃヒット曲なくなっちゃうって。
*PS; このグッバイのバージョンは、明らかにビートルズファンがポールのデモテープを使って仕上げたやつ。だけど結構ビートルズ風のコーラスも加えてあって、結構本格的なファンらしい雰囲気。いいじゃない、ここまでやってくれて楽しいね。
ファンは知っているのだけえど、ポールは友人や他のアーチストに数多く曲を提供している。その中で、おそらく一番すきなのがこのメアリーホプキンにあげてしまった曲、Goodbye グッバイ。
この録音はデモでしかないのだろう。ポールがギターだけで歌っているから。メアリーホプキンのバージョンはやたら女性の色が濃くなってしまうけれど、このポールのデモバージョンは好きだなあ。まあ、メアリーのも可愛くていいけどね。
このメアリーホプキンのバージョンはイギリスのテレビショーの模様だと思うけれど。当時日本でもこれはおそらくオンエアーされている。今でも家にはテレビからとった古いカセットテープが残ってるなあ。
ついでにメアリーの最初の大ヒットはThose were the days という古いロシアの民謡だったけれど、これもポールがメアリーに出会ってこの曲しか彼女にはない、と入れ込んでプロデュースしたらしい。おかげで、ヘイジュードをも脅かすヒットになったんだけどな、イギリスじゃ。確かにこのおメアリーもポールが見初めるだけの魅力はあるけどな。 まあ、いいか。
しかしグッドバイみたいな曲をサラサラ作り上げて、他の奴にあげてたんだから泉のような能力。こんなの、ビートルズで出してもかるく名曲になってたろうけれど、メアリーの録音しか残っていないから、当然ビートルズの音ではない。もちろん、作品自体はいいけれど、これがもしビートルズの録音だったらまた違っていただろう。
同じようにバッドフィンガーやピーターとゴードンにやってしまったポールの曲もどれもいい作品。凄いね。
メアリーホプキンの歌声も美しいけれど、ポールのこの威力にはさすがに参ってしまう。こんな作品、他人にやってたら普通の奴じゃヒット曲なくなっちゃうって。
*PS; このグッバイのバージョンは、明らかにビートルズファンがポールのデモテープを使って仕上げたやつ。だけど結構ビートルズ風のコーラスも加えてあって、結構本格的なファンらしい雰囲気。いいじゃない、ここまでやってくれて楽しいね。
まだ中学に入ったばかりだったろうか、それとも小学校を卒業するころだったろうか。よく覚えていないけれど、親に小さなラジオを買ってもらい、嬉しさで一杯でFMを聴いていた。
FMが凄いいい音に聞こえた時代。下手な家の小さなソノシートのプレーヤー(もう誰もこんなの知らないか?)よりもはるかにクリアーな音に聴こえていた頃。
ラジオからゲットバックが流れてきた。もうすでにビートルズは少し知りはじめていて、この自分にとっての「新曲」も強烈にかっこよかった。ノックアウト状態。
で、次に流れてきたのがビコーズ。当時はこれが理解できなかった。ビートルズが、あのロックでウルサイグループがゲットバックならOKなのだけれど、こんな旋律は、ビコースまではガキの理解を超えてしまっていた。「あんまり面白くねえ曲だなあ…」って感じでそのとき青臭いガキは聞き流していた。
そのときのゲットバックは今もカッコよさ満開だ。さすが。
で、ビコーズのほうは…これは180度視点が変わってしまった。この美の極致。ジョンレノンというガキには荒くれ者としか思えなかった奴が作ったこの美。そして3人のコーラスが織り成すコーラスは、あのやかましい音を出すバンドのイメージを摩訶不思議なものに変化させ始めていった。「もしかしたら、あのやかましいビートルズというバンドは天才という存在なのだろうか?」…ビコーズは時代が流れ行くほどに、そしてそのときのガキが成長するほどに、その凄さを露呈し始め、ガキは時の流れと共に、「美」という音世界にノックアウトされていく。ロックというリズムではなく、美という価値観がやっとのことでガキにはわかり始めたのだった。
当時のガキには、視野の狭い、世界の狭いガキには、こんな深遠で遠大な音の世界を理解できなかったのだ。理解できないだけの理由で、面白くねえ、という恐るべき鈍感な感想を漏らしていたのだ。
もしかしたら、今でも理解できていないのかも知れない。でも、作曲家達の才能の深さ、広さ、オリジナリティにだけは気が付いたのだろう。何年もかけながら。
「恐ろしい作品だなあ」
数年後、ビコーズを聴きながらガキは深く深くため息をついていた。
その凡人のガキはそれに気づくまで何年かかったのだ?まいるなあ…

FMが凄いいい音に聞こえた時代。下手な家の小さなソノシートのプレーヤー(もう誰もこんなの知らないか?)よりもはるかにクリアーな音に聴こえていた頃。
ラジオからゲットバックが流れてきた。もうすでにビートルズは少し知りはじめていて、この自分にとっての「新曲」も強烈にかっこよかった。ノックアウト状態。
で、次に流れてきたのがビコーズ。当時はこれが理解できなかった。ビートルズが、あのロックでウルサイグループがゲットバックならOKなのだけれど、こんな旋律は、ビコースまではガキの理解を超えてしまっていた。「あんまり面白くねえ曲だなあ…」って感じでそのとき青臭いガキは聞き流していた。
そのときのゲットバックは今もカッコよさ満開だ。さすが。
で、ビコーズのほうは…これは180度視点が変わってしまった。この美の極致。ジョンレノンというガキには荒くれ者としか思えなかった奴が作ったこの美。そして3人のコーラスが織り成すコーラスは、あのやかましい音を出すバンドのイメージを摩訶不思議なものに変化させ始めていった。「もしかしたら、あのやかましいビートルズというバンドは天才という存在なのだろうか?」…ビコーズは時代が流れ行くほどに、そしてそのときのガキが成長するほどに、その凄さを露呈し始め、ガキは時の流れと共に、「美」という音世界にノックアウトされていく。ロックというリズムではなく、美という価値観がやっとのことでガキにはわかり始めたのだった。
当時のガキには、視野の狭い、世界の狭いガキには、こんな深遠で遠大な音の世界を理解できなかったのだ。理解できないだけの理由で、面白くねえ、という恐るべき鈍感な感想を漏らしていたのだ。
もしかしたら、今でも理解できていないのかも知れない。でも、作曲家達の才能の深さ、広さ、オリジナリティにだけは気が付いたのだろう。何年もかけながら。
「恐ろしい作品だなあ」
数年後、ビコーズを聴きながらガキは深く深くため息をついていた。
その凡人のガキはそれに気づくまで何年かかったのだ?まいるなあ…

ラジオを聴いていたらロイオービソンの歌声が流れてきた。
Anything you want, you got it.
Anything you need, yuo got it.
この曲、結構好きで昔彼が生前に出したアルバムでは同時期に聞いて好きになった思い出がある。ロイオービソンというと、なんといってもビートルズが最初は彼のコンサートで前座だったわけだからほとんどは、自分の時代じゃない過去の作品だ。だから余計にこの曲は、思いでもあるのだろう。
そして、このあたりでジョージとはトラベリングウィルベリーズもやってたわけで、そのバンドではすでにジョージのほうがトリだったから、ビートルズの前座時代からは相当時の流れで勢力地図?が塗り替えられたってことだろうか。
ロイオービソンはちょっとした思い出があって、彼の墓に出向いたことがある。彼の墓は、ロサンゼルスのウェストウッドの墓地にあるのだが、マリリンモンローなどの有名人の墓もそこにある。夜にでもそこに行けば、魂の舞踏会でも開いてそうな気配だ。今はいないロイオービソンでも、彼の歌声は美しく響く。そして、その墓地で彼の生前の姿を思って手を合わせたことも思い出す。
ところで、ジョンレノンの墓は一体全体どこにあるのだろう。おそらくは、ヨーコさんとショーンやジュリアンなどの身内あたりしか知らないのだろう。「生前あれだけ忙しかったのだから、ゆっくり眠って」という意味でも、ヨーコさんは場所を明かさないようだ。一説には(本当に一説だけど)もしかすると日本にあるんじゃ?という憶測さえ流れているのだけれど。
ロイオービソンの墓地でしみじみと彼を思い出したことは記憶だ。
だけれども、もしジョンレノンの墓の前なんてたとうものなら、俺はどうなってしまうのだろうか。見当もつかない感情や、爆発しそうな鼓動に襲われるのだろうな、きっと。涙や熱いものは当然こみ上げるだろうけれど、それどころじゃないなにか複雑極めるのかもしれない。ジョンへの感謝、彼に出会ったことの嬉しさ、今はもういない寂しさ、そしてあの事件への怒り。どんな言葉をもってしてもそれは語れないものなのだろうな。
おそらくヨーコさんが、場所をオープンにしない限りは誰もそこにはいけないけれど、知らないままのほうがいいのかもしれない。
今、ジョンはもういないことは当然自分も知っているしわかっている。でも、ジョンはいまだに胸の中では熱いライブな存在なのだ。そんな人の墓を現実に見てしまったら、俺はどうなるんだろう。彼の死を完全に受け入れなければならないという、寂しさや悔しさを超えた極限の脱力感をも受け入れることになるのじゃないか…
ジョンはいないけれど、それは言葉の上でもういない、という受け止め方を抜け出したくないのだ。絶対に。
ロイオービソンには彼への純粋な思いで合掌できたけれど、ジョンにはそれは出来ない。絶対に墓に向かって合掌なんて出来ない。それだけはいやなんだ。

ジョージハリスンの顔写真を見ていたら、恐ろしく鋭い少年期の顔に驚いてしまった。
ジョージは晩年には、辛らつなジョークこそ健在だったけれど、むしろ優しい個性も音楽やコメントに多く露出していた。なのに少年期の顔は恐ろしくシャープな顔だ。どれもがそう写っている。
子供の頃、俺の顔はむしろマイルドだったと思っている。そんな写真が多く残っているからかもしれないけれど、あまり人から顔つきがシャープだとか鋭いだとか、子供の頃には言われたこともない。でも、多くの子供は鋭さよりも可愛さや愛嬌の方が出るものだ。
ジョージの顔にはそれがない。
他のメンバーの顔写真も見てみると、リンゴはともかく、ジョンとポールも鋭い。ヤクザのように危ない顔つきをしている。
彼らが子供の頃、なにかにすストレスを感じていたのはこの顔からは明らかに読み取れる。学校や社会や職業や未来に対するストレスや不満だったのだろうか。凄い顔つきなのだ。
でも、ふと思い出すと、これがロックだったのだ。当時のロックは社会の危険因子だったのだ。なにをするかわからない危険なエネルギーと破裂寸前のストレス。思想はエネルギーに隠れ去り、爆音のような音と突き動かすリズムだけが彼らの表現だったのだ。じゃなければ、あの保守主義全盛の時代を突破していく力は絶対になかっただろう。ビートルズはパンクだった、という言葉はよく聞く。
でも、もっと突っ込んで言えば彼らはパンクというカテゴリーではなく、4人対世界という土俵で戦って勝ったのだ。彼らが世界に従順になったのではなく、世界が彼らについていったという歴史しか今は残っていないから。
今、好きな音楽やアートはまだ時々出てくるし、日本でも音楽はロックがメインストリームになった。だけれども、そのロックミュージシャンも、ビートルズが世界と戦ったロックの意味とはすでに大きく異なっている。完全な商業なのだ、すでに。今はロックは世界と仲良くやっていけるのだ。
今のミュージシャンの多くには、こんなジョージのような顔つきは見れない。
成功した後のビートルズは世界と仲良くなった。でも、仲良くなる前はこんな顔して世界と喧嘩してたのだ。いや、喧嘩を売っていたのだ。
これだもん、今の音楽になにか物足りなさを感じる老化したロックファンが多いのもよくわかる。前にも書いたけれど、矢沢永吉がビートルズに見た光もこのジョージの顔見ればよくわかる。
ジョージの顔、これじゃキャロルだぜ。
イギリスの影響が一番強いニュージーランドでは、家族の思考や習慣もやはりイギリスの影響を受けている。
先日、友人の家にいってその家族、子供達と一緒に午後のお茶とやらを楽しんでいたとき、奥さんと可愛い娘ががちょっと台所でパンケーキ(トースト風)を焼いて、運んできた。それをナイフとフォークでジャムを塗って食べるのが質素でもおいしい。アールグレーの紅茶を飲みながら、そんな時間を過ごすと、なにかイギリスの家庭の一こまをみるような感覚になった。
子供から「午後のお茶は好きですか?」とか聞かれても、こっちは日本の習慣で生きているので、どう答えるべきかちょっと迷った。
でも、またもやこんなときに思い出したのがジョンレノン。
ストロベリーやマーマレードなどの言葉がジョンからはしばしば登場した。
ジョンの家庭も当然午後のお茶を楽しんでいたのだろうけれど、ジョンもジャムトーストを毎日のように食べていたのだろう。そして、そんなジャムを連想する言葉で、独特の機知にとんだマインドゲームを楽しんでいたことだろう。
その子供達も、ジャムの名前で歌を歌ったりゲームをしたりしていて、「ううむ、なるほど」という感じでジョンがどうしてジャムの名前で言葉遊びができたか、勝手に推測して1人で薄ら笑いを浮かべていた(周りで気づいてたら気持ち悪かったろう)。
ところで、ポールはどっちかとうと、ジャムよりバターかなあ。
あまりポールの言葉でジャムが出てきたのは知らん。
俺がアーチストになったら、ジャムやバターじゃなくて、アンコと煎餅でも歌詞にするのかな?
ギャグにしかならんな。

写真はその家族が我が家に来たときの風景。犬は我が家の愛犬
いつものように(かな?)、いずれにせよ時々は仕事中ジャズを流しながら仕事をしていることがある。ジャズは軽めのものが仕事中はいいけれど、今日はなぜかコルトレーンが流れていて、どうも重い。しかし、それでも仕事には結構集中できるからこんな流れでもまあいつもの想定内?ということか。
でも、ひとつ想定外が出てきた。
ラジオだったからだろうけれど、突然、やおら、恥じらいもなく、突発的に流れてきたのが、Here There and Everywhere だった。これにはさすがに仕事の手が止まった。
期せずしてあの美の極点ともいえそうなメロディーが全てを支配したかのように空間を埋め尽くしては自分を圧倒してくる。これがビートルズの力なんだろうな。
でも、こんなことは今に始まったことじゃない。何回聞いたかわからない、抱きしめたい、でも、イエスタデイでも、ヘイジュードでも、ジョンのイマジンでも、ポールのバンドオンザランでも、街を歩いていて突然流れてこようものなら、思考回路が突然停止してしまうことが何度あったことか。あの意外性と共にやってくる名曲の存在感は、突然自分の目的や思考をとめてしまうのだ。とにかく、その場、その瞬間に自分の原点回帰のような状態になってしまう。
なんなのだろう、あの現象は。写真家の浅井慎平(例のビートルズ来日時の写真家)もいっていたけれど、突然歩いていてビートルズの曲が流れてくるとそれだけでハットしてしまう、らしい。いつもはすでにビートルズからは多少でも乖離した生活をしていても、その曲は、普段は忘れていても、実は忘れることなんかできやしない自分の原点に自分を引きつれていってしまうということなんだろう。
今日のこのHere There。いつものことだろうけれど、この色あせない作品の力が自分を原点まで引っ張り戻してしまったということか。1966年のビートルズ来日前の作品が、今もここで自分の何かを刺激してくれているわけだ。
どうもありがとう。何度感謝しても感謝の泉は尽きることもない。
このHere There が終わると、ラジオはマイルスデイビスのラウンドミッドナイトを流して、またジャズのオンエアーへと戻っていった。そして、自分もまた、その曲の始まりとともに、なにもなかったように仕事を始めていた。
でも、この瞬間に起きたことは、今は忘れていていっても、また自分の新たな記憶として結局は長く潜在的なものとなって深いところに隠れるように残っていくのだろう。それもビートルズの存在感が自分に与えてくれるもの、自分にとっては棺桶に入るまで消えることのない「記憶」という宝のように思うのだ。
でも、ひとつ想定外が出てきた。
ラジオだったからだろうけれど、突然、やおら、恥じらいもなく、突発的に流れてきたのが、Here There and Everywhere だった。これにはさすがに仕事の手が止まった。
期せずしてあの美の極点ともいえそうなメロディーが全てを支配したかのように空間を埋め尽くしては自分を圧倒してくる。これがビートルズの力なんだろうな。
でも、こんなことは今に始まったことじゃない。何回聞いたかわからない、抱きしめたい、でも、イエスタデイでも、ヘイジュードでも、ジョンのイマジンでも、ポールのバンドオンザランでも、街を歩いていて突然流れてこようものなら、思考回路が突然停止してしまうことが何度あったことか。あの意外性と共にやってくる名曲の存在感は、突然自分の目的や思考をとめてしまうのだ。とにかく、その場、その瞬間に自分の原点回帰のような状態になってしまう。
なんなのだろう、あの現象は。写真家の浅井慎平(例のビートルズ来日時の写真家)もいっていたけれど、突然歩いていてビートルズの曲が流れてくるとそれだけでハットしてしまう、らしい。いつもはすでにビートルズからは多少でも乖離した生活をしていても、その曲は、普段は忘れていても、実は忘れることなんかできやしない自分の原点に自分を引きつれていってしまうということなんだろう。
今日のこのHere There。いつものことだろうけれど、この色あせない作品の力が自分を原点まで引っ張り戻してしまったということか。1966年のビートルズ来日前の作品が、今もここで自分の何かを刺激してくれているわけだ。
どうもありがとう。何度感謝しても感謝の泉は尽きることもない。
このHere There が終わると、ラジオはマイルスデイビスのラウンドミッドナイトを流して、またジャズのオンエアーへと戻っていった。そして、自分もまた、その曲の始まりとともに、なにもなかったように仕事を始めていた。
でも、この瞬間に起きたことは、今は忘れていていっても、また自分の新たな記憶として結局は長く潜在的なものとなって深いところに隠れるように残っていくのだろう。それもビートルズの存在感が自分に与えてくれるもの、自分にとっては棺桶に入るまで消えることのない「記憶」という宝のように思うのだ。
どうもここニュージーランドのテレビではしばしばサー・ポールの離婚騒動がクローズアップされる。史上最高の慰謝料だので、ゴシップになってる感じだ。
しかし、あのへザーという嫁さんは最初からどうも胡散臭かったなあ。
ポールもリンダに先立たれて、寂しさもあったことだろうからあんな選択になったのか??
顔つきからして(はっきり言って悪いが)悪人の人相に思えたんだが…ポールはあれでよかったんだろう。子供達からは相当反対されてたらしいから、周りじゃあまり祝福されてない結婚だったのかもしれないなあ。
どちらかというと、メディアではポールは善でへザーは悪という構図がある感じだけれど、選んだポールもこれに関してはレッドカードだろうな。リンダは音楽は出来悪くて、それでもウィングスでは一緒にキーボードやってたりで評論家受けは最悪だったけれど、少なくともポールには合ってたんだろうから。へザーはバンドには入らなかったから、その矛先はなかった。
でも、一説によるとへザーはあのGet Backを聞いて「あなたの声に似てたけれど、あれあなたの歌?」という凄い質問をポールにしたことがあるらしい。そのくらい音楽には無知なんだろうって。イギリス人であの曲誰が歌ってるか知らなかったら、しょっとそれは一般常識テストにも落ちるぜって。
わからんなあ、ポールはこれでジェーン、リンダ、へザーと表立っては3人付き合ってたわけだけれど、成功したのは一人か。まあでも、ミュージシャンで3人なんて少ないほうだけどな。ビートルズのメンバーはその意味では皆お相手の数は少なかった。
こうなると、一番成功した結婚は4人の中では、ジョンとヨーコになるんだろうか?
ポールとリンダ、ジョージとオリビア、リンゴとバーバラ。比べてみるとみんな離婚組みだけれど、やっぱり深さという点ではジョンかもしれないな。最初はヨーコと結婚して完全変態扱いされたけれど、結局は今世界が認めるカップルになったような…永遠のカップルとして認知されてしまったってわけか。時の悪戯だ。
ポール、今度は独身で行くにしても再婚するにしても、安住できる相手をお探しください。でないと、また心臓に悪いからね。
でも、先日のテレビではポールが裁判所に歩いて入っていく姿が出ていた。ということは、手術後の経過は良かったんだろう。それだけは救いだな。
へザー!ポールが容態悪化したらお前のせいだからな!
早く100億円くらいで慰謝料の手ウって、裁判やめろって。
しかし、100億でシャンシャン…俺なら天文学的な数字で卒倒しそうだなあ。
凄い女だよ、へザーは。100億じゃ足りないようだからな。
何に使いたいの????
ポールがジュールズホランドショーに出て、彼とレディマドンナをやったYouTubeがあった。
こちらでみれます
顔にはやはり老化の面影は隠せない。しかし、声とピアノのリズム感は本当に無二の才能を感じさせてくれる。
心臓の手術前だったろうけれど、本当に凄いなあ。こんな65歳の爺さん、どこにいるんだって。65歳だよ、もう。会社だったらとっくに定年して、庭いじりやシルバー移住計画なんてのに染まってるころだろうって。
ポールはもちろん音楽家としては世界一の金持ちになった。
だけれども、この人は金をもてあそぶということは本当に興味はないひとなのだろう。ビジネスという観点はあくまで、音楽を成功させたいということ、そして最後まで音楽を続けていたいというだけなのだろう。
あれだけ金持ちになって、世間の野次馬に付き合いたくなかったら、ジョージやジョンのようにある程度業界から遠ざかっていることだってできる。でも、ポールがスタジオに入らないということは、音楽という中毒状態の麻薬をストップすることなのだろうし。
レディマドンナって、確か1968年かそのころの曲だろうけれど、ということは「本当に」40年前にあのレコードを聴いていたということ。それを今、40年後に聞いても同じ興奮を伝える。
とんでもないミュージシャンだし、そんな人と同じ時代に生きて、出会えて、今日また嬉しくなった。どれだけこの人に感動と幸福感をもらってきたのだろう。
どんどん金持ちになってくれてOK。
そのくらい世界に幸を与えてきたんだから。当然。
そしてまた数年後、いや数十年後でもレディマドンナの逆襲を期待したい。
ポール、これからも期待してます!
こちらでみれます
顔にはやはり老化の面影は隠せない。しかし、声とピアノのリズム感は本当に無二の才能を感じさせてくれる。
心臓の手術前だったろうけれど、本当に凄いなあ。こんな65歳の爺さん、どこにいるんだって。65歳だよ、もう。会社だったらとっくに定年して、庭いじりやシルバー移住計画なんてのに染まってるころだろうって。
ポールはもちろん音楽家としては世界一の金持ちになった。
だけれども、この人は金をもてあそぶということは本当に興味はないひとなのだろう。ビジネスという観点はあくまで、音楽を成功させたいということ、そして最後まで音楽を続けていたいというだけなのだろう。
あれだけ金持ちになって、世間の野次馬に付き合いたくなかったら、ジョージやジョンのようにある程度業界から遠ざかっていることだってできる。でも、ポールがスタジオに入らないということは、音楽という中毒状態の麻薬をストップすることなのだろうし。
レディマドンナって、確か1968年かそのころの曲だろうけれど、ということは「本当に」40年前にあのレコードを聴いていたということ。それを今、40年後に聞いても同じ興奮を伝える。
とんでもないミュージシャンだし、そんな人と同じ時代に生きて、出会えて、今日また嬉しくなった。どれだけこの人に感動と幸福感をもらってきたのだろう。
どんどん金持ちになってくれてOK。
そのくらい世界に幸を与えてきたんだから。当然。
そしてまた数年後、いや数十年後でもレディマドンナの逆襲を期待したい。
ポール、これからも期待してます!
今日は、久々にこのアルバムを楽しんでいた。
でも、思い出すのはこのアルバムでのツアー。
本当にポールが久しぶりにツアーをしたのもこのアルバムが出たときだった。
エルビスコステロとの共演で作品に輝きが出た、という好評の中のツアーだった。
この作品が出てから日本へのツアーも実現したので、はじめてポールを見た人はおそらくこのアルバムが出たころを覚えている人が多いだろう。
でも、俺の最高の記憶は、このアルバムツアーでロンドンまで出かけてウェンブリーアリーナでポールを初めて「ナマ」でみたことだろうか。日本でも見たけれど、それより先に「どうせ日本にゃこないだろう」って感じで小遣いはたいてロンドンまで行った。
感動なんてモンじゃなかった。緊張したって、本当に。いまからステージに出てくるってときにはもう手に汗。そりゅそうだろうな、当時は絶対にポールのコンサートなんて一生見れないで死んでいく運命だろうと真剣に決め込んでた。それが嘘のような話で、突然実現したんだから。死ぬって。マジで。いや、まてヤベーじゃねえか、本当に見ちまっていいのかよ?って感じでコンサート会場に向かった記憶が完全に鮮明。
終わって、1人地下鉄で帰るとき、マジで走馬灯のようにそれまでの俺が脳裏を駆け抜けたって。だって、本物見ちまったんだからなあ。頭もおかしくなるぜ。
今でもそのときのキチガイだった状態を身体も頭も覚えている。
フラワーズ・イン・ザ・ダートは俺にとっては当時のポールのナマの姿の記憶と共に聞くアルバムとなってしまった。
次の日、リバプールに行った。バスで街を観光してたら、窓からレコード店のショーウィンドウが目に入った。ショーウィンドウには、デカデカと一番目だつところに、このアルバムが飾ってあった。そのジャケットを見て、前日のポールの姿を思い出した。
バスの中で本当に起きたことに涙してしまった。
また、時代の演出をした1人がさりました。
ジョージよりも、マハリシというと私はジョンを思い出します。
あのSexy Sadieがかっこよくて。いい曲で。
でも、詞がわかってからはさすがにジョンの別の面に驚いたのも思い出します。あの曲の裏にある世界に子供ながらに驚きましたからね。
でも、マハリシ。
ブライアンエプスタインが死んだとき、ビートルズがバンガー(バンゴー?)に向かう列車にのる前にインタビューで、ジョンとジョージがマハリシの言葉を語るのが今も思い出されます。
マハリシ、ジョージとジョンによろしくね…いや、ブライアンエプスタインにもね。
じゃあ、また。
--------------以下、引用:
ビートルズも師事したヒンズー教指導者、マハリシ師が死去
2月6日14時3分配信 ロイター
[アムステルダム 6日 ロイター] ビートルズにも影響を与えたインド出身のヒンズー教指導者、マハリシ・マヘシュ・ヨギ師が、オランダの自宅で死去した。生年月日は明らかになっていないが、享年91歳とみられる。
マハリシ師はビートルズをはじめ、1960─70年代の有名人たちに瞑想を教え、世界中で信奉者の数は600万人ともいわれる。
これまでに大学や学校を世界各地に設立したほか、自然法党を率いてさまざまな国を訪れていた。1959年に初めて米国を訪問し、1990年には本部をオランダに移していた。
ジョージよりも、マハリシというと私はジョンを思い出します。
あのSexy Sadieがかっこよくて。いい曲で。
でも、詞がわかってからはさすがにジョンの別の面に驚いたのも思い出します。あの曲の裏にある世界に子供ながらに驚きましたからね。
でも、マハリシ。
ブライアンエプスタインが死んだとき、ビートルズがバンガー(バンゴー?)に向かう列車にのる前にインタビューで、ジョンとジョージがマハリシの言葉を語るのが今も思い出されます。
マハリシ、ジョージとジョンによろしくね…いや、ブライアンエプスタインにもね。
じゃあ、また。
--------------以下、引用:
ビートルズも師事したヒンズー教指導者、マハリシ師が死去
2月6日14時3分配信 ロイター
[アムステルダム 6日 ロイター] ビートルズにも影響を与えたインド出身のヒンズー教指導者、マハリシ・マヘシュ・ヨギ師が、オランダの自宅で死去した。生年月日は明らかになっていないが、享年91歳とみられる。
マハリシ師はビートルズをはじめ、1960─70年代の有名人たちに瞑想を教え、世界中で信奉者の数は600万人ともいわれる。
これまでに大学や学校を世界各地に設立したほか、自然法党を率いてさまざまな国を訪れていた。1959年に初めて米国を訪問し、1990年には本部をオランダに移していた。
どうも、いかん。
恥ずかしい。なんなんだ、俺は。
ポールマッカートニーのアンソロジーとやらが出ているというではないか。
知らなかった…
ここまで隔絶した生活をしていると本当に隠遁して隠れ仙人のような生活になってしまうって。俺は若くはないが、まだ50歳にはなってない。つまり40代だ…それもなんのいいわけにもならんか…
とにかく隠居してしまうには早すぎる。それも情報という若さの象徴のような世界から身を引くとなると自分でも脳みそがイカレそうで怖いぜ。
とにかく、俺のアイドルの音楽や新作を聞かないなんてことはいくらこの農業国に住んでいるといっても許されることじゃない。
アマゾンにでも注文するか…どうせこの街のレコード店においてあるわけないから。
頭にきた!自分に。
なにやってんだ、俺は!
PCとにらめっこだけが人生じゃねえって。
ハードデイズナイトのリンゴスターが、ポールのおじさん(おじいさんだけど)に言われるせりふ思い出したって。「町に出ろ、女を口説け、青春を謳歌しろ」
もう青春じゃないけれど、そんな気持ちは持ち続けないと本当に老いぼれちまうって。
でも、あの台詞でリンゴスターは町に出て行って、それを残りの3人が追いかけるシーン。なんの理由もなく、あんなドタバタでアイドル映画作ってたビートルズは本当にエバーグリーンだなあ。ジョンレノンが映画の中で走ってたんだから。信じられないって。あの神様みたいなカリスマが映画の中でハジケてたんだから。
あの映画で確実に人生変わった連中どれだけいたんだろう。
まあ、いいか。とにかくアンソロジーだ。青春は戻らんって、か?
今日、なんと蜂にさされた。おそらく数十年ぶりだろう。
庭で遊んでたらこのザマ。
でも、考えてみると東京にいるときは蜂にさされるなんてことはなかった。庭もなかったし、自然と接している時間すらなかったということだろう。何十年ぶりかで自然の痛みを知った。
傍らに目をやると、生命の使命を終えたミツバチが息絶えていた。自らの毒を放って、自分の種を守る。こっちは痛いけれど、痛みを忘れて蜂に拍手を贈りたい気持ちになった。生命は自然とともにあり、種とともにある。生命の美しさ、厳しさ、尊厳。大袈裟かもしれないけれど、そんな当然ともいえることを蜂の一刺しで思い出した。
蜂は一瞬で生命を終えた。
俺はまだ生き残った。
でも、生命が長いから素晴らしいわけでもない。短くとも生命の使命感を持ち、それを終えてゆく宿命、あるいは天命をまっとうする生き物の寿命に長短では測れないものは間違いなくある。
長い時間を送ることは意義はあることだ。それだけでもなにか美しい時間を持つことはできる。でも、ジョンレノンが短命で天命を終え、ブライアンエプスタインが若くして死に、ブライアンジョーンズも、ジャニス・ジョップリンも、ジミ・ヘンドリックスも、マリリンモンローも、ジョンFケネディも、そしてジョージハリスンも短い時間を終えていった。彼らの短い時間は今も輝くことを終えていない。長く生きても、輝きが消えてゆく宿命と、短い生のときであっても永遠の光を放つ天命。
どちらが素晴らしいともいえない。輝かなくとも満足な人生や時間もあるから。
でも俺が今日蜂を見て、瞬間の絶命に賛美を贈ったのはまちがいなくジョンレノンやジョージハリスンが輝き続けている今を知っているからだろう。彼らはいなくとも光は永遠に残る。そして、蜂は死して種を守り天命を終える。
俺は今も行き続けるけれど、天命としての最期はどんな形になるのだろう。
最期を終えても、何かしらの光を伝えられるのだろうか。誰かに俺の天命を感じてもらえるのだろうか。それができないなら、ジョンやジョージどころか、蜂の絶対的な生命感にすら追いつけないのではないか。
人間は付加価値という価値を背負い、生物としての宿命以外に理念や責務としての天命を生きながらに知る。
ジョンやジョージの輝きと蜂の与えられた力をふりしぼった最期。
そのどちらに対しても、まだ生命と魂の必然の一片すらも、今の俺には理解できていない。
庭で遊んでたらこのザマ。
でも、考えてみると東京にいるときは蜂にさされるなんてことはなかった。庭もなかったし、自然と接している時間すらなかったということだろう。何十年ぶりかで自然の痛みを知った。
傍らに目をやると、生命の使命を終えたミツバチが息絶えていた。自らの毒を放って、自分の種を守る。こっちは痛いけれど、痛みを忘れて蜂に拍手を贈りたい気持ちになった。生命は自然とともにあり、種とともにある。生命の美しさ、厳しさ、尊厳。大袈裟かもしれないけれど、そんな当然ともいえることを蜂の一刺しで思い出した。
蜂は一瞬で生命を終えた。
俺はまだ生き残った。
でも、生命が長いから素晴らしいわけでもない。短くとも生命の使命感を持ち、それを終えてゆく宿命、あるいは天命をまっとうする生き物の寿命に長短では測れないものは間違いなくある。
長い時間を送ることは意義はあることだ。それだけでもなにか美しい時間を持つことはできる。でも、ジョンレノンが短命で天命を終え、ブライアンエプスタインが若くして死に、ブライアンジョーンズも、ジャニス・ジョップリンも、ジミ・ヘンドリックスも、マリリンモンローも、ジョンFケネディも、そしてジョージハリスンも短い時間を終えていった。彼らの短い時間は今も輝くことを終えていない。長く生きても、輝きが消えてゆく宿命と、短い生のときであっても永遠の光を放つ天命。
どちらが素晴らしいともいえない。輝かなくとも満足な人生や時間もあるから。
でも俺が今日蜂を見て、瞬間の絶命に賛美を贈ったのはまちがいなくジョンレノンやジョージハリスンが輝き続けている今を知っているからだろう。彼らはいなくとも光は永遠に残る。そして、蜂は死して種を守り天命を終える。
俺は今も行き続けるけれど、天命としての最期はどんな形になるのだろう。
最期を終えても、何かしらの光を伝えられるのだろうか。誰かに俺の天命を感じてもらえるのだろうか。それができないなら、ジョンやジョージどころか、蜂の絶対的な生命感にすら追いつけないのではないか。
人間は付加価値という価値を背負い、生物としての宿命以外に理念や責務としての天命を生きながらに知る。
ジョンやジョージの輝きと蜂の与えられた力をふりしぼった最期。
そのどちらに対しても、まだ生命と魂の必然の一片すらも、今の俺には理解できていない。





