ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。
しばらく書かずに休んでいたけれど…
どうも馬鹿馬鹿しい仕事に付き合っているうちに、半年くらいは無駄な時間を過ごしてしまった。仕事ってのも困ったもので、金がほしいと思うと、好きじゃない連中と付き合わないとならない。直感的にダメな人間はすぐ分けるけれど、金がほしいと思うとこっちも弱い。

今回は、金に身を売ったような感じだな…
もういい加減、今年でそんな付き合いは終わりにする。じゃないと、時間だけが無駄に過ぎる。


そんなこんなで、今年ももう終わりに近づいてきた。
そして、気づかずにただネットしてたら、なんと…今日はあのジョンの命日じゃないか…

なんというアホナ自分だ。神をも忘れてはいかん。誰のために今日ここまで生きてこれたか、忘れちゃいかんのだ。ジョンの命日は、これで何回目だろう。もうずいぶん回数を重ねたものだ。数年で命日なんてことも行事にならなくなると思っていたけれど、ジョンは別格だな、やはり。これだけ年月が流れても、誰もがジョンの存在を今も求めている。

本当にとんでもない事件だった、あれは。本当にとてつもないデカイ存在を失ってしまった、僕達は。なんという悲劇。また嫌な思い出に染まるなあ。

でも、ジョンが生きていたら現代をどんな感慨で生きていただろう。ジョンは、「今の世界」を好きになれただろうか。こんな物質と虚栄にしみこんでいながら、富と貧困と戦争が渦巻く世界をジョンは愛しただろうか…

ジョンは、1980年で他界した。もちろんその精神は今も何よりも強く行き続けているけれど、ジョンの好きな世界、ジョンがジョンとして泳いでいた世界は、やはり1960年代のあの動乱と夢の時代だったのだろうか。

ジョンが生きていたら、ポールも、ジョージもリンゴも皆生き方も異なっただろう。そして世界の皆も違った生き方をした人間も多かっただろう。ジョンのいない世界を1970年代に僕は考えることすら出来なかった。でも、それは起きてしまった。

1980年からいままで、ジョンなしで彼ら3人も僕も、そして世界のジョンを求めた人たちも、生き続けてきた。ジョンはいないけれど、ジョンは今生きていたら、今をわれらと謳歌してくれただろうか。

世界は混沌、無秩序、階級社会、そして精神文化の破綻はもう1960年代を超えている。しかし、純粋なジョンの魂はそれをも超えて輝き続けている。

自分が今生きている力の多くは、ジョンがビートルズを始めたからもらったようなものだ。
ジョンの命日を忘れていた自分に幻滅したし、今日、どうしようもなく時間が流れてきた昨今を悔やんだ。ジョンの輝ける魂に共鳴してきた自分として、またもとの自分に戻らないとならないなあ…そんな真摯な反省をした。

でも、ジョンもジョージも命日なんて思いたくないのも事実。命日なんてなくてもいい。今でも偉大な存在のまま、自分の中で光っている。それでいい。命日は世界で忘れ去られない偉大さを伝えるけれど、寂しさも運んでくる。

僕以外の世界のジョンのファンは今日をどんな気持ちで迎えるのだろうか…

さて、明日からまた命日を越えて行こう。