今日でまた1年が終わる。
今年は嫌なことが多い年だった。悪い年とはいわないけれど、どうもいまひとつ調子が出なかった。仕方がない。来年は良くなるだろう。
田舎に帰ってきて、アンソロジーを聞いていたら、ずいぶん忘れていたトラックを思い出した。
しかし、ビートルズの創作の現場を聞いていると本当に連中が天才だったことを思い知らされる。なんなのだ、あのリラックス感のレコーディングは。まったく暗さやモガキのような雰囲気はそこにはない。
こういうのを聞いていると、天才にはかなわない、ということをあらためて思い知らされる。努力しても、所詮、才能はついてこない。この才能には、かなわない。
鼻歌のような感じでどんどん生まれる名曲、名作、傑作。
アビ-ロードのB面(アナログの話)が凄いって話しも思い出すけれど、あれこそちょっと唄った曲をつなぎ合わせて、名作になってしまう典型。努力しても誰も生み出せない、天才の鼻歌。
こんな天才には一生かかっても追いつけないけれど、毎年少しだけでも努力を続けることが凡人の自分に与えられた可能性。努力と継続、また来年もそれでいこう。
天才は存在するだけで人々を楽しませることができるけれど、凡人は努力してなにかを見つけていくしかないのだろう。一生このまま無名の存在であろうけれど、天才との壁がある以上それで当然。平凡な中の喜びをしることもいいことだ。
でも、ひとつ幸福なのは、天才の存在を知ることができたことだろうか。それだけは、凡人であるがゆえの喜びかな。
やっと帰国後PCも使えるようになった。
来年始めまでの長い滞在となるけれど、さすがに少し食事が多くなった。
味は日本の料理はやはりうまい。
本屋にいって音楽雑誌も眺めていると、本当に情報だらけで日本はすごい。気が狂いそうになりそうに情報だらけ。テレビでは毎日殺人事件だの、薬害だの、中国問題だの、世界の温暖化問題だの…これじゃ本当に人民は気がおかしくならないのだろうか。
ニュージーランドはこんなに情報はない。だから毎日が自分のペースで流れていく。日本は下手すると情報に翻弄されて、自分の本来の姿をも忘れてしまう。
昔はこんなじゃなかったけれど、なにかが狂ったのだろう。働けど良くならない給料に苦しみを訴える人もいれば、何もせずに毎日を送るバカみたいな生まれながらの金持ちもいる社会。へんな社会だ。
せめて、はたらけば生きていける社会なら不満もないけれど、働いても生きていけない社会ってなんだ?ニュージーランドは働くなら、ほとんどの人が家も買えるし、一生ホームレスになることもない。保証されているから格差が多少あっても不満は出ない。まあ、格差なんて日本に比べてみれば可愛いものだけれど。
かつて毎日忙しく生きていた頃、この日本での自分のオアシスはビートルズやらの音楽と友人との交流だった。しかし、今の日本はなぜこんなにもオアシスを感じなくなったのだろう。
高校時代、貧乏だったけれど、将来を夢見た。ビートルズに刺激を受けては涙を流して喜んだ。金がなくてもそれだけでうれしかった。自分の好きなものを知り、出会い、そしてそこに近づく夢を見れた。それが自然だった。
今、そんなことを堂々と語ることができるのだろうか?
結局、スケジュールが大幅に狂って、明日日本行きの飛行機に乗ることになった。不可抗力なので、こればかりは仕方がない。
ふと思ったけれど、日本にいったら、CDやビデオもまだまだ買っていないものも見ていないものも聞いていないものもあるので、全部なんとか手をつけておきたい。
で、もう一度家の倉庫から引っ張り出して見たいのが、ポールのテレビショーだったJames Paul McCartneyというプログラム。おそらく市販はされていないけれど、かつて同じビートルズファンの方からいただいたCDがある。
この作品はポールがちょうどRed Rose Speedway を作ったころの作品で、幕開けがBig barn bedという今では考えられないくらいの流れで入る。カッコいいのだ。あのノリの曲でオープニング。ポールが燦然と輝いていた。ショーでは、ミッシェルだのブルーバードだのマイラブだのいろいろな作品を聞かせてくれるけれど、傑出したのはのっぽのサリーとイエスタデイ。
のっぽのサリーは、これぞポールの最高のロックンロール。これを超えるテイクは僕にとっては残念ながらビートルズ時代でもない。このテイクが最高。そして、イエスタデイもおそらく現存するなかでは、このバージョンは美しくもはかない、そしてカッコいい!
ポールのロックの美学が光る時代のビデオなのだ。
当時は、NHKがヤングミュージックショーという番組で流していたけれど、本当に感動した思い出がある。「動くポール」なんて見れなかったのだ、当時は。やはりこれは忘れられないなあ。
今日は、ただの雑記。
1月に日本に帰ることにした。またまた久しぶりのことだ。今、南半球は夏でいい季節だけれど、帰国するころはまた真冬になる。どうもこの季節の逆転はいつもきつい思いがする。
でも、日本の今は海外に住んでいてもやはりあまりいいニュースは多くない。いつも問題になることが話題の中心。またはせいぜいテクノロジーがニュースになることはあるけれど、名誉や栄誉がニュースになってくることは少ない。ちょっと寂しい国なのかなあ。
和食も食べたいし、友人にもあいたいけれど、真っ先に今回はPCを買って、そして仕事に入らないとならないのがちょっと面倒。
でも、幸せなことに、PC時代になったおかげでこうして何カ国かで暮らしていける。仕事も場所を選ばなくてすむ。
昔、ビートルズのフィルムを見ていて、飛行機で世界中を移動する彼らがやたらに羨ましく思えた。「あんなに世界を自由に駆け巡って好きな場所で仕事して、好きな場所にすんでいたらいいだろうなあ…」。そんな気持ち。
今は、それが自分でも少しできるようになったのだから驚きだ。たいした才能もないのにここまで少しは希望をかなえてきたわけだ。継続は力、ってことだろうか。それしか自分がしてきたことは見当たらないし。
でも、その心のきっかけ、動機を作ったのはやっぱりビートルズだったわけだ。
彼らに出会わなかったら、自分は今どこに住んでなにをしていたのだろうか。
想像もできないなあ。
1月に日本に帰ることにした。またまた久しぶりのことだ。今、南半球は夏でいい季節だけれど、帰国するころはまた真冬になる。どうもこの季節の逆転はいつもきつい思いがする。
でも、日本の今は海外に住んでいてもやはりあまりいいニュースは多くない。いつも問題になることが話題の中心。またはせいぜいテクノロジーがニュースになることはあるけれど、名誉や栄誉がニュースになってくることは少ない。ちょっと寂しい国なのかなあ。
和食も食べたいし、友人にもあいたいけれど、真っ先に今回はPCを買って、そして仕事に入らないとならないのがちょっと面倒。
でも、幸せなことに、PC時代になったおかげでこうして何カ国かで暮らしていける。仕事も場所を選ばなくてすむ。
昔、ビートルズのフィルムを見ていて、飛行機で世界中を移動する彼らがやたらに羨ましく思えた。「あんなに世界を自由に駆け巡って好きな場所で仕事して、好きな場所にすんでいたらいいだろうなあ…」。そんな気持ち。
今は、それが自分でも少しできるようになったのだから驚きだ。たいした才能もないのにここまで少しは希望をかなえてきたわけだ。継続は力、ってことだろうか。それしか自分がしてきたことは見当たらないし。
でも、その心のきっかけ、動機を作ったのはやっぱりビートルズだったわけだ。
彼らに出会わなかったら、自分は今どこに住んでなにをしていたのだろうか。
想像もできないなあ。
今自分が住んでいるニュージーランドはクリスマスタイムそのもの。日々どこでもクリスマスの音楽が流れ、街ではクリスマスデコレーションとセールの店並が季節を感じさせる。
日本はどうなっているのだろう。こんなときは冬の日本が懐かしい。
そして、そんな日本でもクリスマスの季節になると流れてくるジョンレノンのハッピークリスマスが思い出される。ジョンの名曲なのは今は誰もが知るけれど、発売当時はヒットしなかった曲。実は、クリスマスが終わってからやっと発売になったこともあって、発売が間に合わずヒットしなかったようだけれど、この曲はヒットしようとしまいと名曲には変わりないからどうでもいい。
このメロディと、あのジョンの声、そしてあの事件の後のクリスマス。
本当にこの時期はジョンファンはつらい。
でも、ジョンの声はなぜにあれほどまで切なくも美しく響くのか。力もあれば心もある。凄いミュージシャンだったし、凄い歌い手だった。悪いけれど、ジョンの声の前ではどんなボーカリストも僕にとっては子供同然になる。格が違いすぎて。
ジョンの声と共に暮れ行く年の瀬の今日この頃、またひとつ歳をとった自分を実感する。
人生は永遠ではなく、いずれそれも終わる。ジョンが生きていた頃、ジョンやジョージが死ぬことなんて想像もできなかった。でもその日はやってきた。そして、その日は我々全員にやってくる。
生きている時間の尊さを知ることになったのもジョンの事件が初めてだった。
ハッピークリスマス、ジョン。
しばらく書かずに休んでいたけれど…
どうも馬鹿馬鹿しい仕事に付き合っているうちに、半年くらいは無駄な時間を過ごしてしまった。仕事ってのも困ったもので、金がほしいと思うと、好きじゃない連中と付き合わないとならない。直感的にダメな人間はすぐ分けるけれど、金がほしいと思うとこっちも弱い。
今回は、金に身を売ったような感じだな…
もういい加減、今年でそんな付き合いは終わりにする。じゃないと、時間だけが無駄に過ぎる。
そんなこんなで、今年ももう終わりに近づいてきた。
そして、気づかずにただネットしてたら、なんと…今日はあのジョンの命日じゃないか…
なんというアホナ自分だ。神をも忘れてはいかん。誰のために今日ここまで生きてこれたか、忘れちゃいかんのだ。ジョンの命日は、これで何回目だろう。もうずいぶん回数を重ねたものだ。数年で命日なんてことも行事にならなくなると思っていたけれど、ジョンは別格だな、やはり。これだけ年月が流れても、誰もがジョンの存在を今も求めている。
本当にとんでもない事件だった、あれは。本当にとてつもないデカイ存在を失ってしまった、僕達は。なんという悲劇。また嫌な思い出に染まるなあ。
でも、ジョンが生きていたら現代をどんな感慨で生きていただろう。ジョンは、「今の世界」を好きになれただろうか。こんな物質と虚栄にしみこんでいながら、富と貧困と戦争が渦巻く世界をジョンは愛しただろうか…
ジョンは、1980年で他界した。もちろんその精神は今も何よりも強く行き続けているけれど、ジョンの好きな世界、ジョンがジョンとして泳いでいた世界は、やはり1960年代のあの動乱と夢の時代だったのだろうか。
ジョンが生きていたら、ポールも、ジョージもリンゴも皆生き方も異なっただろう。そして世界の皆も違った生き方をした人間も多かっただろう。ジョンのいない世界を1970年代に僕は考えることすら出来なかった。でも、それは起きてしまった。
1980年からいままで、ジョンなしで彼ら3人も僕も、そして世界のジョンを求めた人たちも、生き続けてきた。ジョンはいないけれど、ジョンは今生きていたら、今をわれらと謳歌してくれただろうか。
世界は混沌、無秩序、階級社会、そして精神文化の破綻はもう1960年代を超えている。しかし、純粋なジョンの魂はそれをも超えて輝き続けている。
自分が今生きている力の多くは、ジョンがビートルズを始めたからもらったようなものだ。
ジョンの命日を忘れていた自分に幻滅したし、今日、どうしようもなく時間が流れてきた昨今を悔やんだ。ジョンの輝ける魂に共鳴してきた自分として、またもとの自分に戻らないとならないなあ…そんな真摯な反省をした。
でも、ジョンもジョージも命日なんて思いたくないのも事実。命日なんてなくてもいい。今でも偉大な存在のまま、自分の中で光っている。それでいい。命日は世界で忘れ去られない偉大さを伝えるけれど、寂しさも運んでくる。
僕以外の世界のジョンのファンは今日をどんな気持ちで迎えるのだろうか…
さて、明日からまた命日を越えて行こう。
どうも馬鹿馬鹿しい仕事に付き合っているうちに、半年くらいは無駄な時間を過ごしてしまった。仕事ってのも困ったもので、金がほしいと思うと、好きじゃない連中と付き合わないとならない。直感的にダメな人間はすぐ分けるけれど、金がほしいと思うとこっちも弱い。
今回は、金に身を売ったような感じだな…
もういい加減、今年でそんな付き合いは終わりにする。じゃないと、時間だけが無駄に過ぎる。
そんなこんなで、今年ももう終わりに近づいてきた。
そして、気づかずにただネットしてたら、なんと…今日はあのジョンの命日じゃないか…
なんというアホナ自分だ。神をも忘れてはいかん。誰のために今日ここまで生きてこれたか、忘れちゃいかんのだ。ジョンの命日は、これで何回目だろう。もうずいぶん回数を重ねたものだ。数年で命日なんてことも行事にならなくなると思っていたけれど、ジョンは別格だな、やはり。これだけ年月が流れても、誰もがジョンの存在を今も求めている。
本当にとんでもない事件だった、あれは。本当にとてつもないデカイ存在を失ってしまった、僕達は。なんという悲劇。また嫌な思い出に染まるなあ。
でも、ジョンが生きていたら現代をどんな感慨で生きていただろう。ジョンは、「今の世界」を好きになれただろうか。こんな物質と虚栄にしみこんでいながら、富と貧困と戦争が渦巻く世界をジョンは愛しただろうか…
ジョンは、1980年で他界した。もちろんその精神は今も何よりも強く行き続けているけれど、ジョンの好きな世界、ジョンがジョンとして泳いでいた世界は、やはり1960年代のあの動乱と夢の時代だったのだろうか。
ジョンが生きていたら、ポールも、ジョージもリンゴも皆生き方も異なっただろう。そして世界の皆も違った生き方をした人間も多かっただろう。ジョンのいない世界を1970年代に僕は考えることすら出来なかった。でも、それは起きてしまった。
1980年からいままで、ジョンなしで彼ら3人も僕も、そして世界のジョンを求めた人たちも、生き続けてきた。ジョンはいないけれど、ジョンは今生きていたら、今をわれらと謳歌してくれただろうか。
世界は混沌、無秩序、階級社会、そして精神文化の破綻はもう1960年代を超えている。しかし、純粋なジョンの魂はそれをも超えて輝き続けている。
自分が今生きている力の多くは、ジョンがビートルズを始めたからもらったようなものだ。
ジョンの命日を忘れていた自分に幻滅したし、今日、どうしようもなく時間が流れてきた昨今を悔やんだ。ジョンの輝ける魂に共鳴してきた自分として、またもとの自分に戻らないとならないなあ…そんな真摯な反省をした。
でも、ジョンもジョージも命日なんて思いたくないのも事実。命日なんてなくてもいい。今でも偉大な存在のまま、自分の中で光っている。それでいい。命日は世界で忘れ去られない偉大さを伝えるけれど、寂しさも運んでくる。
僕以外の世界のジョンのファンは今日をどんな気持ちで迎えるのだろうか…
さて、明日からまた命日を越えて行こう。





