前回はポールのHere Todayの話を書いたけれど、自分自身にもそれは当てはまる経験がある。肉親を失ったときもそうだけれど、実は、ポールとは比べ物にならないけれど、ジョンが他界してしばらくはジョンの歌声を聞くたびにかなりダウンした。
ジョン(もちろんビートルズ)の影響で人生も変わったし、ジョンの奇抜でありながらも自由奔放に生きる姿に「なんとか生きていけるものなのだ」という解釈もして、それからの生き方も相当自由勝手になった。
その先生がいなくなってしまったわけだ。あるとき車を運転していて、ラジオからWomanが流れてきた。最後のアルバムの曲だったし、名曲だからかもしれないけれど、運転中涙が止まらなくなった。なんでこの人がもういないんだ?という喪失感、それにもしかすると過去の大きな遺産を失ったことへの絶望感、そしてやはりもういないという事実への寂しさ。
ポールが歌いながらジョンを思い出したのは親友であればこそ当然だったろう。でも、ただのファンでしかない自分ですら、こんな経験があるわけだ。中学生くらいからずっと一緒に音楽やって、世界の頂点に立って、そして先にいなくなっていく人生のはかなさを、30代にしてポールは体験し、それを背負いながらすでに60代の半ばを過ぎたわけだから、その半生を思えば、歌に隠れた気持ちは想像するに難しいことでもない。
ポールには長生きしてほしい。そう思った。彼は天才であるし、その天才を理解したのはジョンだけだったのも事実。天才には天才しか相手はいない。残された天才としてその切なさは厳しい孤独感とともにあるのだろう。その葛藤を超えて、今活動するポールが輝いている。
ビートルズは奇跡だった。もう起こらない事件だった。ジョンとポールが一緒に生きることはもうない。それはファンとしても絶望的なことだ。だけれども、ポールの輝きはジョンがポールの心に宿る限り続くのだろうと思う。
ポール、長生きして音楽を作り続けてほしい。それがジョンと生きた彼だけができる自分への癒しのような気がする。

