ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。
リトルラムドラゴンフライ


これはレッドローズスピードウェイに入っているきれいな作品。実はこの作品がどうしようもなく好きだ。あっさりアルバムに入っていて、なにげなくそこに放置されたような印象すらあるのに、この作品があるだけで、このアルバムが10倍も大切になってしまう。

ポールのバラードには美しさももちろんあるけれど、ジョンと共通しているのは底深いところで、郷愁や哀愁のような誰もが隠し持つ世界をふと垣間見せるところだろうか。リバプールの色なのかもしれない。

このリトルラムドラゴンフライには僕はそんな世界をどうしても感じ取ってしまう。ポールが悪ガキとしてジョンと育った頃、彼らの心にはなにかしら寂しさや孤独感があったような気がする。こんな作品を聞くとなおさらそう思う。

早くして母親をなくし、取り残される寂しさと少年期から戦う。でもそれは誰にも言えない。ジョンとポールがもつ反抗の裏にある、優しさと哀愁。それが僕には時々彼らの作品の中に見え隠れする気がする。

リトルラムドラゴンフライはそんな作品なのだ。


いまさら語ることじゃない。知ってる。でも、なんとなく今日の話題はこれ。

ジョンがなぜ世界の美女でも手に入れられるところをあの顔のオノヨーコを選んだのか??まさにいまさら、理由を探すこともない話題。言い古されたし、だれも興味もない。

昔は頭ではわかっていても心じゃやっぱりブスより美人がいいワイ、と思っていた。でも、なぜか不思議に最近、顔はどうせあきる、というか、下手にハートにはまると女は顔を超えて身近に感じたりもする。もちろん、昔からそんな現象はあったけれど、最近はどうも年のせいか、「ハート、中身、内容、話題、接点…」そんな顔や風貌と関係ないところも重要視している自分に気がついたりする。

ジョンが明らかに孤高の存在だったのは事実だけれど、その孤高の心の隙間を埋められたのは、やはり孤高であり一般から乖離した感性をもったオノヨーコだったわけだ。

実際に、美しさは内容がないとどんどん薄っぺらく表面ははげ出す。
でも、中身が深いと表がはげても中身が楽しませてくれるわけだ。


いまさらだけど、やっとジョンのことが身をもって理解できる年になってきたのだろうか。ジョンは20代でそうだったわけだから、やはり俺とは成長の速度も天性のものもはるか違った場所にあるわけだけれど。

でも、そうはいってもジョンは外見も中身もカッコいいって。そこだけはいつまでも俺と違う。…なぜか空しい。


先日、ニュージーランドに住むポーランド人の女性にあった。彼女も当然、英語を学んで今はここに住んでいるわけだけれど、勉強して一番覚えたのはビートルズの歌詞だったそうだ。

話をしていると特にヘビーなビートルズファンであるわけでもないけれど、唯一それが西欧へのトビラだったらしく、ビートルズの音楽にこそ自由の夢があった、と語っていた。


ポールのロシアの赤の広場でのコンサートのビデオ(ライヴ・イン・レッド・スクウェア)でもいろいろとインタビューが出てきて、国防大臣までがビートルズに狂って英語を学んだ、なんて冷戦の時は口がさけても言えない話もしたし。それに何といっても、プーチンこそがビートルズファンでポールを赤の広場に呼んだわけだ。そこにはゴルバチョフまで出てきて、「ビートルズは単なる音楽を超えていた、それははるかに別の次元だった」なんて語るし。忘れちゃならないけれど、クリントンにとってはサージェントペパーこそが最高傑作だったらしいし。


俺もそうだし、ポーランド人の女性もそうだけれど、もしかしたら、ビートルズこそが世界を最も変えた自由の象徴だったんじゃないのか?なんたって、政治家が権力使って赤の広場貸し出すんだから。


凄いよね、やっぱり。