ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。
 今日はしばし図書館で時間を過ごした。で、本を眺めていてふとジョンレノンの表紙に目が止まってしまった。そうなると、他の本は見ていられない。一気にジョンレノンの記事に目を通し始めてしまった。

 記事は、ジョンが射殺された時のことを回顧したインタビューだったけれど、中にダブルファンタジーの時のドラマー、アンディーニューマークの記事があった。もともと気になるドラマーだったけれど、あまり彼の生い立ちや音楽の趣向性までは気にしていなかった。ただ、ジョンレノンをサポートしたドラマーだったから気になっていたのだろう。実際、いい音出してたし。

 記事は…泣けた。アンディいわく、「ジョンはビートルズの3人を語るときは常に深い愛を持っていた」「リンゴのようにたたいてくれればいいよ」なんて話もジョンの本心を語るようで。それに加えて、アンディいわく「ジョンが死んでから、廃人のようになった。半年以上は寝て起きて生活するだけ。仕事は入ってきたけれど、なにもする気が起きない。世界最高のアーチストと仕事をした後で、どんな仕事に意味があるというのか?ジョンに僕は触れた、ジョンの声を聴いた、手も洗いたくないし、記憶も消したくない、仕事も生活も完全に停止した…」

 読んでいて涙目になった。わかる。もし自分が同じ立場だったらまったくその通りだったように思う。

 かつてポールが解散後20年以上を経て「アビーロードメドレー」をライブで演奏した。そのスタジオでの練習のとき、エンジニアがその練習を聞いていて泣き出してしまったそうだ。あまりに思い出が多すぎたりで、本当に目の前で起きている嬉しさに耐えられなかったのだろう。

 アンディの話は全くそれと同じだ。純粋にファンなのだろうし、おそらく本物のジョンを目の前にしたら普通のミュージシャンにはないオウラは感じまくるだろう。
 記事を読んで、いつか絶対にアンディにあってレコーディングの時の話を聞きたいと思った。ジョンは最初はアンディを「ドラマー」としか呼ばなかったそうだ。名前もあまり覚えようとしなかったのかもしれない。しかし、結局アンディはダブルファンタジーの全曲でドラムを担当した。そして、この記事のコメント。あの時、ジョンが死んでいったいどれだけの人がアンディのように何かを失ったのだろうか。
 ジョンの死をまたもや思い出したのは寂しいことだけれど、アンディの記事を読んで心温まるときを過ごすことができた。
 
 気が付くと図書館は、閉館の音楽が流れていた。


 ビートルズファンで少しサウンドに興味を持つ連中と話すと結構多く聴く話がリンゴスターのドラムの音。ここちよい音。それがリンゴスターの音。リンゴスターのたたき方にも関係あるようだけれど、それと同時に当時のアビーロードやジョージマーチンの音もここには反映しているはずだ。

 一番話題になるのがLet it beあたりの頃の録音。後期のリンゴのドラムはとにかく音がタイトで聞いてて気持ちいい。Let it be で鳴るスネアやタムタムの音といったら痒いところをつつかれてるようでたまらん。まして、Get Backなんかになると、あの快適な音ははっきり言ってリンゴ最高!!と叫びたくなる音。

 リンゴスターは下手だと言われ続けてきた。しかし、どこが下手なんじゃ?少なくとも、うまくないとしても、センスはかなり上等だ。リンゴ自身はレインのドラムが自分では気に入っているようだけれど、それはそれでよくわかる。でも、究極は「ジョンの魂」じゃなかい?クダラン余計なオカズたたきはゼロ。それでいてあのジョンレノンを聴かせる。マザーなんてリンゴじゃないとジョンはやる気がなかったんじゃないか?名曲のイマジンはアランホワイト(後でイエスに加入)がたたいてるけどやはりどうもしっくりしないところも残る。おそらくリンゴのほうが良かったような気さえしてしまうのがビートルズファンの欲望か?

 でも、リンゴのドラムでジョンのDon't let me downが聴きたいって。

 毎日なぜか忙しい。あまり好きじゃない。暇なのもいやだけれど、こうも毎日朝から晩まで動き続けるのも好きじゃない。なので、時々ビートルズのことでも考えてこんなブログも書きたくなる。いい心の休憩。

 前回は最高傑作アルバムだったかな。じゃあ今日は最高傑作の1曲でもかこうか…でも、これこそ絶対不可能。1曲なんてどうやって選べるんじゃ?あのビートルズの名作集のなかから1曲選べるとしたら失礼だがおそらくあまりファンじゃない人じゃないか?もちろん、思い出の曲などはあるはずだけれど、不動の名曲1曲、なんてまず不可能。

 思い出すと、一番最初に聞いたLet it beなんて、あまりに感動した記憶。凄い曲だった。それも時とともに価値観はかわり、他にもいい曲はどんどん見えてくるから困る。Hey Judeなんて、最初にラジオから聞こえたときはポールの最初の一声で完全に鳥肌だったし。いまは鳥肌はたたないけれど、名曲にはかわりない。
 
 なので、今なぜか気に入っている1曲しか選べない。ということで、

今日の1曲; She said she said

これも複雑な作品だけれど、なぜかサイケなジョンの声とフリークトーンのギターで流れにのって聞きとおしてしまう。あまり人気はない作品かもしれないけれど、どうしようもなくジョンレノンの広さと深さを感じる作品。ツイスト&シャウトのロックンローラーが、アートに染まってロックを作るとこうなるのか?やっぱりジョンは奇才だったなあ。
 それにしても、このギターは凄い。カッコいい。1966年、武道館公演前に録音を終えた曲。嘘だろうって!いいたくなるなあ。武道館でのやつらの顔は完全に作り物だったわけだ。すでにあの武道館の姿の裏側では、ジョンレノンは芸術家の領域に入っていたことになる。それに気が付いた日本のファンも誰もいなかったろうに。

 しかし、これ、武道館でかりにやったら1966年の日本人はどういう反応したんだろうか??参考まで、1966年の日本の曲は、「星影のワルツ」だの「骨まで愛して」なんかがビッグヒットだったわけだからなあ。この差は埋まらんかったろう。
 なんたって、1966年のリボルバーが一番人気になったのは、実は今2000年以降なんだから。35年以上たってやっと人気。ビートルズ…凄すぎるぜ。
 ビートルズの最高傑作は?
こんな質問や雑誌の特集も何度見たかわからん。おそらく10回や20回じゃきかないし、100回でも足りないくらい見ている。で、これも面白いけれど、年とともに、時代とともに評価も変わる。

おそらく80年代から1990年ころまでは
アビーロード
サージェントペパー
レットイットビー
ハードデイズナイト
ラバーソウル
ホワイト

こんな感じが多かったかなあ。
とこどが、最近は
リボルバー
ラバーソウル
ホワイト
アビーロード
サージェントペパー

とまあ、これも毎回違うけれど驚くのはリボルバーの人気上昇度。リボルバーなんて、70年代や80年代ころはほとんど話題にならなかった。ところが今はトップクラスの人気。なんだこれは?

シングルもそうかな。
ストロベリーフィールズなんて絶対に不人気というか難解で理解不能だったわけだけれど、ジョンが死んで一躍名曲にのしあがった。最近じゃヘルタースケルターもよく話題になるし、ヤーブルースなんてのも人気だけれど(もちろん名曲ばかりだけれど)とにかくこれらも上位進出は最近5年やせいぜい10年の出来事。やっぱり時代。

でもそう考えるとビートルズの音楽はどの時代になってもなにかしらそのときの潮流にはまる作品があるということか。

ファン暦32年の中で聞いた回数による僕の最高傑作は:
アビーロード
ホワイト
ハードデイズナイト
レットイットビー
リボルバー
ラバーソウル
サージェントペパー
かなあ。

聞いた回数じゃなくやっぱり凄いと思った最高傑作は:
サージェントペパー

これは凄い。やっぱり。書くと長くなるから理由は書かないし、つべこべ理屈も言いたくないのでパス。

でも一体全体こんな人気投票いつの時代まで続くんだ?おそらく自分が死んでその後100年たってもどっかの雑誌やウェブあたりでビートルズのアルバム人気投票やってそうだ。挙句に、リボルバーではジョージの曲が始めてトップに…リードギターはポールが…力関係はジョンよりもそろそろポールに傾いて…なんてまだまだツベコベ100年たっても言ってそうだって!おんなじこと書いてしゃべって100年200年。でもそれも本当にありそうな話だなあこのまま行くと。
 
 なんなのだ、この循環は?ビートルズは消えないってことか、やっぱり。



 忙しい毎日が続くけれど、あまり時間に追われるように生活することは好きではない。もうそんな時代は終わったと思っている。20代や30代の頃の自分の美学は誰よりも仕事をして、いや仕事だろうと何だろうと、忙しく毎日を送ることが充実と思っていた。けれど、もうその価値観はない。忙しいのはいいことで、悪いことじゃないけれど、ただ忙しかったり仕事でわけもわからず時間が過ぎていってしまうのはもう今は嫌いだ。

 朝起きて夜寝るまでに、ゆっくり太陽を浴びたり、鳥の鳴き声を聴いたり、風を浴びて芝生で寝転んだり、そんな時間があるほうがやはり生活が麗しくなる。

 これって勝手に思うけれど、ジョージの人生観かなあ…。ポールは仕事が好きで(というか才能ありすぎて湧き出てくるからしかたない)立ち止まらないし。ジョンにも僕の最近のモードはあったけれど、やっぱりジョージのほうがこの価値観は強かったように思う。「慈愛の輝き」というアルバムがあって美しい曲がおおい名作でもある。その中の何曲かはハワイで夕陽をあびて作曲してたりして。聴いていると、その光景が浮かんできそうないい雰囲気だ。

 ジョージも言ってたけれど、20代は人の100倍も何倍ものスピードで毎日が過ぎていったという話。それだけ毎日が忙しかったのだろうけれど、それゆえにか、それとは別としても、ジョージは人生の時間の流れを30中盤頃から変えていった。そして、最後は音楽は人生の一部であって、人生が音楽という仕事に支配されることはなくなっていた。

 ジョージのこの人生観には大共感する。僕は金や名誉よりも、自分が好きな時間を過ごしたい。ジョージには絶対に追いつかないけれど、自分もジョージのようになりたい。一仕事終わったなら、そこで地球の時間に同化して過ごしていたい気がする。太陽や月や風や木々、それに鳥の声を聴き、自然の色を眺めていると、毎日の虚栄や競争や稼ぎまでが意味を持たなく思えてくる。
 アホラシイ価値観はいらないから、好きな時間を過ごす環境。それが今の自分のささやかでもかけがえのない満足感。
 
 ジョージがまだいたら絶対気が合ったんだけどなあ。酒飲んで話したかった。
冬真っ盛りの日本だけれど、ハワイは常夏。時々かつて暮らしたハワイが懐かしくなってしまう。ハワイは大好きだけれど、ハワイに行くと、ハワイアンミュージックのほうがロックやジャズよりもやはり合っている。あの風土だからこそ。

 不思議とビートルズもあまり聴かなくても大丈夫だし、ジャズのマイルスやコルトレーンなどはおそらく1年に1度も聴かない。ハワイでは楽しくない。むしろ軽いジョージベンソンだったり、お笑いでもケニーGあたりを聞いてるほうがよほどハワイらしい。

 ビートルズは彼らのオリジナル録音しか興味はないので、ほとんどコピー物も必要ないけれど、ウクレレで演奏した「ウクレレ・ビートルズ」はハワイの雰囲気で聞くにはまあOK。
 ビートルズと思って聴かないこと。間違いなく、そうなるとこの手は怒りがわいてくる。神の音楽を侮辱するな、とまで時々思ったりする。まあ、軽い気持ちでウクレレの音を聴くつもりなら、それも楽しいこともある。このCDも、おそらく半分くらいはレコード会社の企画で、発案としてはあまりビートルズを好んでいるわけでもなくとも、単にビートルズのメロディや人気に便乗してウクレレCDを買ってもらおう精神で半分以上やっているのだろう。そのくらいは容易に想像できる。そうなると、余計に買いたくなくなるので、よほどウクレレでもきくか〜という気になった時じゃないとファンにはお薦めできない。ビートルズファンじゃないなら、まあいいでしょう。

 ハワイだから、かな。普通は嫌いな企画CD。でもハワイは何故かとりあえずなんでも許せる気持ちもあったりする。でも、商売でつくったCDか本当にビートルズに愛を感じながら作ったCDか位は聴いているとすぐわかる。愛があるときは、演奏にビートルズを感じながら聞けばいい。なかなかそれはみつからないけれどね。




 若い頃、とにかくアメリカに行くのが夢だった。イギリスよりも、ヨーロッパよりもとにかくアメリカしか頭になかった。理由は??わからん。今でもわからん。とくにアメリカを意識していたわけもなく、音楽はイギリスのロックに染まっていたし、ジャズもまだそんなに好きになってはいなかったし、映画も特にハリウッドばかりに傾倒していたわけじゃなし、仕事でアメリカを目指したわけじゃなし…どうしてだったのか、自分でもいまだにわからん。
 とりあえず、とにかく、真っ先に、当時の俺の頭の中の「夢」はアメリカに行くこと、そしてアメリカに関係した人生を送ること、それしか漠然とした思いはなかった。

 でも、勝手に今だからこその理由をつけると、おそらく、自分勝手に「自由」を思い込んでいたんだろう。アメリカこそ自由の国。もちろん正しいのだろうけれど、わけもわからず自由人を目指していたんだろうなあ。若い、若すぎて説明も付かん。まあ、それだから若者は強いんだけどな。なにやっても文句も言われんし、笑いも出ない。若い頃、ロックンローラーを夢見て語ってもOKだけれど、それが30過ぎ頃からそれを言い出すとさすがに勇気がいるし、下手するとだんだん相手の笑いを誘うようになる。若さには何もかなわん。

 でも、そのノリこそが俺の原動力だった。ノリがあったからここまでやってこれた。力も金もない、だからノリしかない。そしてノリだけではあったけれど、それがなくなっていく自分が恥ずかしいし、怖い。年とともにノリも薄れる。それじゃ困る。ノッテないと人生なんかつまらん。

 まだ海外旅行も今ほど多くなく珍しいころアメリカに行った。それはノリでやったことだ。しかし、それが出発点だった。笑えるけれど、事実。
 だから時々ビートルズのアメリカ初上陸などの頃の写真を見ると、やたらにみずみずしく感じるし、勝手な共感すらある。彼らもこの頃は有り余る才能より先にロックンローラーのノリが支配していた。そして彼らもアメリカこそが世界への出発点だった。
 
 アメリカには勝手に思い込んだ若者を満足させるだけの「夢」は今も昔もやはりしっかりある。俺はまたアメリカに行きたくなってきた。行くぜ、また!


…今日は若いガキのノリで書きました。恥ずかしくなるので読み返しませんが…



ジョージハリスンのクラウドナインが発表されたのはもう20年以上も前のことになるのか…。本当に昔だなあ。時間がたつのは早い。その間にはアンソロジーも出たし、そしてジョージ本人もいなくなってしまった。

 このクラウドナイン(Cloud Nine)、すきなアルバムだなあ。いい曲が多いからだけれど、ジョージがビートルズ解散後本当に吹っ切れて作れたような気持ちの明るさが好きだ。特にサムプレイスエルスは名曲じゃないか?なぜって、とにかく美しい曲なのだ。下手するとサムシングよりも僕は好きなときがある。ジョージの美しい曲は純粋で透明なメロディがいいのだけれど、これはそんなジョージメロディメーカーぶりが出ている名作だ。

 ジョンとポールも当然凄かったけれど、ジョージもなんだかんだいって、いい作品凄い数のこした。まあ凄いミュージシャンだったことは事実。なんたって、ジョンとポールと一緒にやってたんだから。ダメな奴だったらとっくにバンド首だって。ビコーズのコーラス聴いてるとジョージの貢献は凄い、やはり。あれ歌えんっての、普通の奴じゃ。

 ジョージは80年代にはいったあたりで、すでに音楽活動は「自己流の流し」に入った感があった。もうヒットよりも好きなこと、外野より自分の楽しみ。そんな境地。
 クライドナインは、ジョージのラフさが美しく見え隠れする。だから自然でいい。そして、ビートルズを支えたジョージの才能もちゃんと録音されている。ジョージの味はいいなあ、やっぱり。

 もう20年以上前か、これも。ジョージー!ジョンとそっちで酒でも飲んでてくれ!!皆いなくて寂しいぜ。でも、ありがとう、だね。やっぱり。



 ハードデイスナイトでもうひとつ。
時々、今でもビデオでも見ることがある。もちろん、40年以上前の映画なので演出も古いし、当時を知らずに今見ると、滑稽ににえる人も多いのだろう。実際に、この映画の評価は時代とともに少し落ちたような気がする。当時はとにかく鮮烈な印象で登場したビートルズがやっと「動いているところ」を見れた喜び、そしたらとんでもなくカッコいい言葉やギターの弾き方など、全部が若者文化の革命だった。

 まあ、評価は時代とともに少しずつはかわるからそれでいい。評価なんてそんなものだ。第一、今ツベコベ言っているのは、まず全員ビートルズなんて実際に知らない世代。そういう連中に語られればもう存在としては意味が違っても仕方がない。

 個人的にこの映画がすきなのは、4人全員が同じ目標に向かって突っ走っている姿。それが嬉しい。最後はバラバラになった4人だけれど、ここでは全員がはじけた未来に向かって突っ走っている。ジョンだって、最後のあの顔つきと、このときの顔つきが同じ人間、それもたった5年後の人間の顔とも思えないほど、この映画では若々しく張りが違う。
 そのジョンが映画で歌うIf I fellなんて、アビーロードのI want youと同じ人間の仕業とは思えない。それも5年後。

 ジョンのファンがなぜジョンを心から溺愛するかは僕はよくわかる。ジョンには、こういった純粋で透明な面がやはりあるからだろう。単に力こぶし握っているだけのどこかのロックンローラーというわけでもなく、ジョンには哲学的であって過激な政治運動家でもあって、それでなお知的で繊細でみずみずしくも美しい世界が、動的なロックンローラーの部分以外にもあることをファンは知っている。憎めないなにかがあるのだ。悪がきでも、頭はよく、センスはいい。クレージーでも素直さがある。
 で、こんなジョンが一番見えるのがこのハードデイズナイトなのだ。あのジョンがIf I fellやI should have know betterやI'll be backを歌っていたのを想像できるかって。でも、その場面では胸キュンにさせてくれるジョンの若々しい夢と希望がこの曲と場面には満ち溢れてる。ジョンはやっぱりいいなあ。男の人生のすべてがある。

 でも、そのジョンとポールとジョージが全員で歌う「素敵なダンス」のシーン、ジョンが後ろでギター引いてコーラスしてるシーン。たまらん。ジョージにも夢が溢れてるし、あの理屈屋の顔はここではない。こんな美しい時代が彼らにはあったのだと思うと、やはりもう2度とおこらない過去があまりに羨ましくなる。涙だなあ、もう45年前。
 
 この45年前の映画(参照メイキング・オブ・ア・ハード・デイズ・ナイト)は今も本当に僕には感動的だ。




 ビートルズの「抱きしめたい」がアメリカでナンバーワンになった1964年、それは激動の音楽史の始まりでもあったのだろう。1月にナンバーワンになったと、すぐ1ヵ月後、彼らはアメリカに行きエドサリバンショーで70%超えの視聴率をとり、まさにあっという間にアメリカ最大のスターとなってしまった。その速度や変革の激しさといったら、今では絶対に考えられない事実。そのくらい衝撃であったし、ビートルズのような新しい才能あるヒーローが必要な時代だったのだろう。(The Beatles: The First U.S. Visitは当時のドキュメンタリーが描かれている)
 
 その1964年、彼らはイギリスに戻り映画「ハードデイズナイト」の撮影に入り、その映画もまた途方もないヒットを記録しレコードは宝石のような名曲で埋められていた。

 その年は凄い年だった。だけれども、もっと凄いのは、考えてみると、一大アイドルの連中が、わずか1年後にはラバーソウルで方向転換、そしてそのまた1年後にはリボルバーで革命、そしてまた1年後にはサージェントペパーで完全なるカリスマになってしまうこと。「抱きしめたい」のヒットからわずか3年。たった3年でサージェントペパー。

 これは、今これだけ情報が氾濫しいろいろなものが見える時代になったときですら、とても信じられないスピード。
 
 これは2度と起きないだろうなあ。





 今日はいそがしかった。ハードデイズナイトだ。だからテーマソングはあのジャーンというギターで始まるのが今日の夜のBGM。

 このアルバムも何度きいても素晴らしいなあ。躍動感といい、若さといい、才能の輝きといい、文句のつけようがないわ。最初から最後まで。ビートルズに駄作はないけれど、このアルバムは全曲が名曲だ。ヒットしていない影に隠れたIf I fell の美しさ、You can't do thatのエネルギー、I'll be backの初々しさ、And I love herの耽美。それに加えてまだまだヒット曲まで詰め込まれている。全曲奴らの作曲で、それも電車の中や車の中で作ったような忙しいさの中の作品。二度とない時代の輝きだね。ビートルズが再結成したって、これと同じものはできない。あの時代、あの歴史の中でだけできあがった作品。

 ビートルズの作品はすべてが、その時代だから、そしてその時代を代表する作品だらけ。でも、このハードデイズナイトの輝きはダイヤモンドのように完璧な若さの原石。名曲だらけで、一気に始まり一気に終わってしまう息つけぬ展開。凄すぎるって、これ20代前半の若造がすらすら作ったら、さすがに当時の大人はついていけないわなあ。レベルが違いすぎるんだって。

 映画「ハード・デイズ・ナイト」で見たあのモノクロのビートルズは今も音楽とともに僕の中のどこかに生きている。「なにやって生きてってもいいんじゃん!」と、どれだけ当時の若者がこれに触発されたことか。テキトーなアイドルグループとはビートルズは決定的に違っていたけれど、どれだけのファンが当時「全曲ビートルズ作詞作曲」を知っていただろうか。しかしそんなことよりも、とにかく、そんな面倒な呟きををぶっ飛ばしてくれる作品だし、今でも当時と全く同じ躍動感と輝きがこの中にちりばめられている。これこそ、アイドルグループにとっての永遠のバイブルなのかもしれない。
 この頃のビートルズを超えるアイドルもいないだろうって。そんな気になるなあハードデイズナイトを聞いてると。




 リバプールは3度いった。その都度思うことだけれど、毎回出会う人の年齢層が違う。新しいファンが生まれてはみんなビートルズ詣でに来るわけだ。リバプールには本当に不思議な力と夢が溢れている。そこにいると、街はどうしようもなく寂しい風景の街なのに、なぜか幸福な心と明日へのエネルギーで満ち溢れる。ファンだから、といわれればそれまで。だけれども、そのエネルギーを得られる場所があることは何ものにも代えがたい。

 マシューストリートを歩いて、キャバーンクラブや懐かしのパブなどを訪れるとき、そこにかつて来ていた4人の金はないけれど夢と希望だけがあった若者を皆が思い出すことになる。4人の面影は、今でも世界中から訪れるファンにそんなエネルギーと夢を与えているのだろう。

 時々、有名な場所の前でずっと立ち止まっている人を見かけたりする。間違いなくビートルズファンなのだろう。そして、そのまま動こうともしない。こんな人は別に珍しくもない。アビーロードなどにいくと、壁に手を当てたり、顔をくっつけたり、ドアをさわってみたり、みんな少しでも近づいてみようとする。
 
 ビートルズの音楽はこれほどまでに人々の人生に大きな影響を与えたんだ、ということが痛いほどわかる。オタクだろうが、なんだろうが、言いたい奴は言えばいい。だけれども、そのエネルギーと才能にはそういう奴を含めて結局は誰も及ばない。ビートルズだから世界は動いたし、彼らの音楽だからこそそこに深い感動もあった。体が動いて、心も動いた、それがビートルズだった。
 
 参考まで、この人の意見よくわかるなあ。世界中のファンと同じなんだ、これが。
 だいたい、今までビートルズの本というのは何冊くらい出ているのだろうか。もちろん洋楽ではトップだろうし、下手すると世界音楽業界でのアーチスト別部門でもトップクラスになるくらい関連本がでているかもしれない。

 ファンとしてはいい加減、どこまで付き合うか考えてしまう。ほとんど最近は商売本が多くなり、真実や真価を持つものはあまり期待できない。もちろん、最近のジェフエメリックの本だのとなると、興味は増えるけれど、まあとにかく「隠された真実…」という類のものはもう信用できない。なぜなら、本人達がアンソロジーでもすでに語ってしまったし、取り巻きの連中ですらすでにほとんど本を出してしまった。

 残るのは、だれだろう。現アップルの社長ニールアスピナルかアランパーソンズ、または、彼らの親族で下手するとジュリアンやヨーコ、ショーンなんてあたりまで出版社はアプローチしそうだ。アホ、やめろって。

 でも、そうでもしたくなるのは、いまだにビートルズが人気があるからに他ならないけれど。人気がなければ本も出す必要もないし、今までの音源さんざん使って編集したCD出す必要もない。

 下手すると、遠い将来、「本当のアビーロード」とかいって、アビーロードメドレーの曲順変えて編集したりしたら、いい加減レコード会社も爆破されるぞ、真のファンに。




 ビートルズは一体全体何度飛行機に乗ったのだろう。そして何カ国訪問したのだろう。とにかく相当すごぴ回数なのだけは事実だろうけれど、それもあの当時1960年代のプロペラ機で回った世界は彼らにどんな風に見えたのだろうか。興味があるところだ。

 いまでこそ世界旅行は簡単で地球を一周しても誰もおそらくは驚かない。でも、当時は話はまったく別でハワイに行っただけでも近所の噂になったものだ。

 20代になったばかりで見る世界というのはさぞや好奇心をかきたてるものだったのだろうか。


 今、中年すらも終わろうとしている自分であってもまだまだ見ておきたい世界はあるけれど、できることなら一度空港で熱狂的な歓声の中でタラップを降りてみたい(当然無理)。なにせビートルズの東京でのあのハッピ姿は完全な歴史写真になったし(参照:写真集/ビートルズ・イン・ジャパン 1966)、同じように世界中で彼らが飛行場でビートルマニアに出迎えられた姿は「当時の歴史」となって今も新聞や雑誌で紹介されている。

 飛行機の旅が珍しかった時代、その飛行機から降りてくるスターはさぞや別世界の人間だったことだろう。そしてビートルズには、飛行機を降りた回数だけ、出迎えを受け、歴史を彩ってきたわけだ。カッコいいぜ!

 やはり俺は無理だ。




 新年の挨拶をする時期が終わった。毎年のことだけれど、中学や高校時代の友達や大学から社会人になってからの友達などあまり会うこともなくなった友人にもコンタクトをする時期がこの季節だ。

 あらためて思うけれど、幼少の時期から高校くらいまでの友達というのは本当に素直な無垢のままで付き合っていたのがわかる。あたりまえかもしれないけれど、子供の頃はあまり相手がどんな家系かとか金持ちかとか頭がいいかというのも気にしないですむ。好きな友達ならそれで付き合えてしまうわけだから。しかし、大学はまだいいとしても社会人となると相当自我も変わり表と裏の顔も使い分けることも出る。こうなると、もう友人というより知人でしかないのかもしれない。本音は消え始め、お互いに社会人という顔でいなければならなくなる。相手が好きな友人というだけでなく、付き合うというメリットがあるかどうかまでが判断にはいってくるわけだ。
 馬鹿馬鹿しいけれどそれが日本や資本主義の社会システムということ。純粋な目的で突っ走っているときはやはり友人も真の姿のまま付き合えるわけだろう。

 ビートルズの3人(リンゴは後で参加したので)は、15才くらいからずっとビートルズ解散まで「親友」だったはずだけれど、どんな成長をしたのだろうか。ジョージがアンソロジーで「僕たちはタイトだった」つまり、本当に仲が良かった、と語っていたけれど、僕はジョージからその言葉を聴いたときとても嬉しくなったのを覚えている。というのはジョージなんかはむしろ、成長とともにジョンやポールの相手がいやになっていったような印象があって最後の方はビートルズはコリゴリという感じだったから。ジョンもヨーコが出てからや、ポールの才能が爆発するあたりからは、相当ビートルズのかつてのジョンではなくなった。ポールも結局は同じだろうか。
 
 少年期から突っ走った頃、それは純粋な少年であり、親友であり、本当の姿のままで相手に接していたからこそ「タイト」だったのだろう。でも、世界の頂点に立ち、価値観も変わり、自分の世界観が広がるにつれ、親友はもう親友ではなくなったのだろうか。いや、親友でありながらも、その接点よりも、新しい価値観が勝り始めたのかもしれない。

 僕は、今年も少年期の友達とコンタクトして、相変わらず当時のままの友人であることは確認できた。でも、彼らに対して僕は自分の社会人としての顔は出せないし、出す必要もない。なぜなら彼らは僕の真実をすでに知っているからだ。真実以外の話をし始めれば、おそらく逆に彼らとはどんどん疎遠な部分が出始まりそうに思える。そこまでは必要ない。

 ビートルズの3人が知っていたお互いの真実こそが友情とするなら、新たな顔が見え出したとき、友情だけの関係ではなくなっただろうか。それは、僕が毎年この時期に感じる僕自身の友達との関係の延長でしかいのかもしれない。
 ビートルズは少年のまま世界を制覇した。小宇宙から極限の大宇宙へ出て行った当時の彼らは、どんな友情を持ち続けたのだろうか。



*しばらく、ブログのペース落ちます。ではまた。
 





 ポールマッカートニーの作品は相当な分量となる。そりゃそうだ、解散以後も毎年、またはあまり間髪いれずになんらかの作品は発表してきたわけだから。おそらく解散後の作品はポールの作品が一番よく聞いているし、それはアルバム数も多いからというのも事実。それにくわえて、やはりポールマッカートニーの作品には期待したなりの音楽はあるから。解散から以降でもずいぶんヒット作はあるけれど、やはりビートルズと比較されれば、解散後の作品は話題にも出なくなる。宿命だろうか。

 でも、僕はポールの作品はやはりすきなのだ。もちろん、ジョンやジョージがいない分、そこにはビートルズの響きやグループとしてのいい意味でのテンションはないけれど、それでも一流の作品群は出し続けている。解散したばかりの1970年代、最もヒットを量産し稼いだのがエルトンジョンとポールのウイングス、それにZEPあたりだったらしいけれど、その事実もビートルズに比べればやはり霞む。

 なにせ、ビートルズ時代よりもソロ時代のほうがすでにハンパじゃなく長いわけだ。それでもビートルズは何よりも凌駕してしまうわけだから恐ろしく凄いバンドを最初にやってしまったこともやはり宿命。

 ウィングス時代の作品はバンドオンザランを筆頭にビーナスイアンドマースやレッドローズスピードウェイなども今でも好んで僕の部屋で流れている大好きな作品だ。レッドローズスピードウェイのリトル・ラム・ドラゴン・フライなんてあまりに美しい曲にもかかわらず、話題にもならずにそこに埋もれる。名曲は当たり前で、驚きがないとすでに話題にならない時代に突入した時の作品…それがビートルズメンバーのやはり宿命。

 今日、今年は、このレッド・ローズ・スピードウェイのリトル・ラム・ドラゴン・フライで始まり、宿命をも乗り越えよとがんばったポールに敬意を表して、僕も今年をがんばり通す決心をした。
 いいスタート。