ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。



 このブログはまだ始めてから2ヶ月程度しか過ぎていません。にもかかわらず、その間、投稿(コメント)などをいただいた方々、ありがとうございました。

 今後も毎日(またはせめて時々は)この勝手なビートルズ談義ブログも続けて行きたいとは思います。なにせ、ファンの手記ですので批評や評論をするものでもありません。ファンが好きなように書いているだけです。異論反論がおありになる人も、この点に免じてここでは筆者に勝手に書かせていただきたく思います。

 私は、すでに40代も中盤となりました。その間、ビートルズに限らず様々なものに接しながら育ちました。しかし、やはり今でも彼らの衝撃や影響を超える経験はありません。彼らの才能と存在に、私の現在や未来、もちろん過去までもが支配されたともいえますし、または彼らの影響があってこそ今の自分もあるのでしょう。

 考えてみると、私はビートルズに出会う前は、全く感動や希望を持たない青年でした。学校を出て、会社に入ってそれで流れるように社会の中で生きていくことを当然と思っていたように覚えています。しかし、彼らの衝撃的な音楽に洗礼を受けて、自分で呼吸して自分で考えて自分で判断することを始めて学んだのでしょう。そのくらい、自由闊達で自分で作曲してしまう彼らの才能には驚きがありました。
 今では自分で作曲することも珍しくはないですが。当時はビートルズこそがすべての始まりだったのです。

 2006年も何気なく終わります。しかし、彼らのおかげで私も相当今年も自分の時間を楽しむ事ができたと思っています。
 
 アビイ・ロードの壮大なメドレーを聴いて今年も終わろうと思います。とにかくあのメドレーは凄い、凄すぎる、涙、感激、才能の嵐。
 ビートルズ、すげえ!これですね、やはり。


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 今日は、ジェネシスの幻惑のブロードウェイ/The Lamb Lies Down on Broadwayを聞きたくなった。これは大学時代から時々引っ張り出しては聞いているのだけれど、なぜかピーターガブリエルの歌声が僕にはこのアルバムの作品群が一番あっていて、切なくも素晴らしいアルバムとなっている。

 ジェネシスはおそらくは今はあまり有名でもないだろうし人気もないだろう。むしろ、フィルコリンズ単独の方がよほど有名で人気もあるのだろう。けれど、やはりこの幻惑のブロードウェイまでのジェネシス、つまりピーターガブリエルがリーダーであったときまでのジェネシスがおそらくは僕くらいの歳のファンには最も愛着があるかもしれない。ジェネシスはピーターガブリエルがやはり象徴だったから。

 この作品は、僕にとってはビートルズのホワイトアルバムのごとき、ジェネシスの(ピーターの?)多様性も感じている。もちろん音楽趣向は全く違うけれど、ジェネシスの才能が一番多方面に出たホワイトアルバム的な作品だと思っている。一般じゃ、ぜんぜん人気はないけれど。
 Anywayからの流れや、Back in NY cityなんてのは、こっちの前頭葉を刺激してくる。ピーターガブリエルは知性が多すぎたのだろうか。彼はゴリゴリのインテリ感情むき出しで作品作ってた。彼の頃はあまりにも理論的な作品になったために、やはり好きなアルバムの「月影の騎士」/Selling England by the pondやこの作品までは人気は得られず、むしろフィルコリンズに代わったA Trick of the Tailからがどっと人気が出てしまった。それもしかしやむをえない。音楽に余計な理論を持ち込めば一部じゃウケはいいだろうけれど、音楽では訴えなくなる。

 ジョンレノンをはじめ、ビートルズの連中も知性・インテリジェンスは相当あったけれど、彼らにはその反面、音楽での純粋な才能と性格的な「狂気」もあった。そこがジェネシスの知性と理性の塊のような音楽との違いだろうか。ビートルズは、ジョンレノン以外は中流以下の連中だったが、ジェネシスはフィル以外の全員がパブリックスクールの上級階級の流れだった。顔つきから違うし、変なツッパリもなく超優等生的だ。だからロックと呼ぶには大げさだし、クラシック風なパンクだったのかもしれない…どうも変な言い方になるなあ。

 好きなアーチストだった。今は時々楽しむ程度だけれど、一時期はとにかく僕に必要な刺激をくれたバンドがジェネシスだった。幻惑のブロードウェイ/The Lamb Lies Down on Broadwayは、僕のその頃の「ホワイトアルバム」だったのだ。


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 昨日、久々にラバー・ソウルを聞きながら仕事をしていた。途中、またもや仕事が止まってしまった。名曲が多すぎるのだ。フリーズしないとその瞬間を聞き逃しそうでいやだ。CDだからいつでも聞き返せるのだけれど、やはりそのときの感動の方が大切なのだ。

 しかし、40年以上も前の作品か…まったく新鮮さを失わずに今も名曲はそこにあるわけだ。ノルウェーの森なんか、聞くたびに凄さが増す。ジョンとポールのコーラスの美しさと迫力。ジョンはこのあたらりから変貌し始めたというか、本性を現し始めたけれど、当時は誰もジョンの内省的な世界には気づかずにいた。
ポールの才能は激烈に開花の速度を速めていったし、凄いアルバムとなったのも当然か。バンドコピー(参考/バンドスコア ビートルズ/ラバーソウル)した人ならわかるだろうけれど、このあたりのコード展開や奇想天外な作曲方法はもう常人の領域ではない。それなのに一曲一曲がどれも美しい。

 それにしても、1965年というと、ジョンが25歳、ポール23歳、ジョージにいたっては22歳!!!!!!それでいてこの成熟度!!なんという天才、なんという永遠の輝き!その若さで世界を動かしたエネルギー。 時に、ジョージがやっと芽を出して…、なんてわかったような評論も読むけれど、書いてる方、自分は22歳で何やってたの?だね。

 ビートルズの音楽にはすべてがあったとは言われるけれど、それは正しいしそう思う。ひとつ加えるなら、彼らの音楽は絶対的名曲であって音楽自体の生命力があまりに強かった。だからこそバラードだろうがロックンロールだろろうが、同じようにエネルギーと衝撃を今も失わずに世代を超えて伝わる。すでに40年以上も前に解散してライブ活動もなし、新曲もなしでも、その力は失われない。それは音楽がもつ力以外にない。
 奴ら、この歳でラバー・ソウルは凄いなあ、しかし。

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 ビートルズからのラブ・レター―4人がやりとりした51通のポストカード POSTCARDS FROM THE BOYS。これはリンゴスターがビートルズのメンバー4人とやり取りした手紙が本となって公開されている。リンゴは当然だけれど、一番グループでは目立たない存在で、一番後でビートルになった人で、ドラムは天下一品だけれど、作曲や音楽の才能は他の3人よりは少なかったのも事実。なので、グループの中ではいつも一歩引いた感があった。
 ドラマーなのでドラムさえあれだけの録音が残せたなら僕はなにも文句はないし、実際に当時のドラマーであれだけ革新的な業を持っていたのもリンゴくらいだった。後でさらに技巧派のドラマーはきりがないくらい登場したけれど、1965年にレインをたたけたのはリンゴだけ、そう思っている。
 
 ドラムの話はそのくらいにして、このビートルズからのラブ・レター―4人がやりとりした51通のポストカード、リンゴスターと他のメンバーがどんな関係だったかがわかって僕は面白かった。リンゴスターはこの中の手紙にあるような、精神的な浄化作用をグループにもたらしていたのだろう。なんたってあと3人はゴリゴリのエゴもあって才能を競い合っていたから、リンゴスターのように最初から「おまかせします」という態度のメンバーはむしろ歓迎されたのだろう。とにかく、この本の中の彼らのリンゴとの関係はどれもがほのぼのとしていていい友人関係の一面が見えるものが多い。

 ジョン、ポール、ジョージとも「リンゴはロック界で最高のドラマー」といっていたけれど、それはお世辞じゃなかったのだろう。実際にビートルズのバックを出来るには相当器用じゃないとならなかったし、リンゴのようにすぐなんでも対応できるドラマーが必要だったのだろう。膨大な過去のリハーサル録音を聞き返したマークルイソンが言っていたけれど、「リンゴはほとんどドラムミスがなかった真に優秀なドラマー」というのは本当だろうし、ジョンレノンが「奴のドラムをバックに歌うと俺が引き立つ」というのも真実だったのだろう。

 そんな信頼関係がこの4人がやりとりした51通のポストカード POSTCARDS FROM THE BOYSからは見えてきたりもする。

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僕がビートルズファンになって初めて本屋に行って買って読んだビートルズの本が「ビートルズの軌跡」という本だった。当時は何も知らず、とにかくビートルズの情報がほしかっただけの理由で、そこにあった1冊の本を買ったに過ぎない。もう30年位まえだろうか。
 
このビートルズの軌跡は、いま見返すと本当に興味深い。まず、筆者(編集)が当時まだ無名に近かった渋谷陽一。いまでこそロッキングオンの創始者としてロックファンなら知る名前だが、当時はまだロッキングオンも作っていなかった時。駆け出しのときに、当時最高の「洋楽雑誌・ロック雑誌」だったミュージックライフから依頼を受けて作っている。あとで彼自身が語ったところによると、「ビートルズはまだまだ社会的にはマイナーな存在で誰も真の価値や評価を与えていなかった。それを変えたかったし、等身大でビートルズを表現したかった」とどこかで書かれていた。編集には彼の盟友の松村雄策氏も手を貸したそうだ。彼ら、ロッキングオンの創始者もやはりビートルズこそが経歴の始まりだったわけだし、ビートルズこそ、やはり日本でもロック文化を創った役者だったわけだ。
 参考までに、当時はストーンズもフーもなにも社会的な知名度も人気や影響度においてもビートルズと比較すら出来ないほどだったし、音楽的にも日本では大きなヒット曲もほとんどなかった。当時はあまりにも差が歴然としていたのが現実だし、これら他のグループはビートルズを手本に音楽を作っていたのもまた真実の感想だ。このあたりの話は当時を生きた人でないと実感はないだろうけれど。
 
 この本を読むと当時のことがやはり思い出される。ビートルズは日本では唯一、ミュージックライフだけが情報を提供していた。そして、それはあくまでファンの目、極端に言えばミーハー的な目でロックを追いかけていた雑誌だった。今のような評論や力をこめた思い込みもない。あくまで、彼らの情報だけでも十分にファンは喜んだしそれしか情報がなかった時代だった。ギターの弾き方だの、録音方法だの、作曲能力だのの話が出るのは、それからしばらく後だ。その頃は「凄い曲をどんどん作るカッコいいビートルズ」という程度。サージェントペパーもリボルバーも、作品の価値を語った連中はほとんどいなかったし、その意味にすら気が付かなかった。それがビートルズ解散時まであった日本のロックジャーナリズムだった。なので、ある意味好き嫌いは別にして、ロッキングオンが出てきて、ずいぶんロックの語られ方は変わっただろう。さらに言えば、いかにビートルズ自身がぶっ飛んでいた存在だったか。
 
 40年を過ぎた今でもサージェントペパーやリボルバーがライブで語られるという事実をもってもそれはわかることだけれど、その作品の価値を超える作品もいまだ生まれていない。つまり、1966年や1967年では、これらの作品は語られる土壌は全くなかったわけだし、ファンの判断力もなかったということだ。

 このビートルズの軌跡は、よって、そんなファンの目で追いかけたビートルズを表現している。当時を知る人間としては、これで「正解」だと思う。これしか当時を正確に表現するビートルズの本はないのかもしれないし、だからこそいまだに絶版にならずに残っているのかもしれない。今読むと少し文章に違和感もあるかもしれないけれど、それは上記したとおりの「時代」の違いだ。しかし、それは渋谷陽一氏の当時の判断としては結果良かった。当時を振り返る貴重な「ビートルズファンの本」となっているから。

 ビートルズは今では神格化された存在だけれど、当時はファンは絶叫すれども、そのファンですらビートルズの真価はまだ知らなかった。どれだけ凄い才能に接しているかを知らなかった。実際に武道館にビートルズが来たときは、すでに今をときめく「リボルバー」を録音してからのことだった。日本のファンはあのアイドルの顔の下に、誰がリボルバーを作るビートルズを想像しただろうか。ファンはただ、アイドルであり名曲を歌うグループがそこにいることを喜んだし、それが彼らの「素晴らしき時代」だったのだ。それは誰も否定できないし、僕も素晴らしいことだったと思う。二度と起こりえない60年代のモノトーンの風景がそこにはある。
 
 もっというなら、ビートルズが本当にその才能を評価されたのは、70年代の後半、もしかすると、80年代以降かもしれない。それが日本のビートルズへの認識であり、それが日本の成熟度の現実だった。ビートルズはそれだけの間、そして今もなお、社会の価値観が変われども、とっくの昔に解散して新曲すらないグループが、価値を失わずむしろその価値を増大させてきたといえそうだ。いや、もっと言うなら、ビートルズこそが作品発表以来「音楽の力」だけをもってあるときは劇的に、また時に静かにも日本や世界の価値観を変え続けてきたのかもしれない。そうだとすれば、相当時間はかかったけれど、それだけ作品が色あせなかった証明だ。当然だけれど、こんなグループは他には見当たらない。せめて、社会の変化に影響を与えたとすれば、あとはエルビスだけだろうか。だけどその力の持続力ではビートルズには及ばない。

 休日がてら引っ張り出した本に、当時の思い出がよみがえった。それにしても、ビートルズはなんと時代の流れにも風化せずに今に至ったことか。それどころか、散々もう古いだのなんだのと批判されようとも、一向に消え去らない彼らの存在感とはなんなのか。解散から37年。
 新しい音楽は次々に出現し、そのたびにビートルズは過去のものとして扱われようとしたけれど、結局はハードロックもプログレもパンクもグランジもビートルズより先に過去になってしまったようにさえ思う。

 今でも思い出すけれど、「ロッキングオン」の第一号の特集記事は、「ビートルズを葬り去るために」というような記事だった。つまり、ビートルズを忘れ去って新たなロックを語ろう、というようなテーマだったと記憶しているけれど、1970年当初、それは成功したかのような勢いでレッドゼッペリンやプレグレ、アメリカンロックの台頭を迎えた。しかし、今はその編集長だった渋谷陽一氏と松村雄策氏自身がビートルズを葬り去ることが出来なかったことを証明するがごとく、いまだビートルズを語り続けている。もちろん、彼らもビートルズファンなんだけどね。

 ビートルズの軌跡は、なぜか今も僕には捨てられない1冊の文庫本なのだ。



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1989年に会った時ニ撮影したアランウイリアムズ(左)
酔っ払ってうたをうたっている場面


 デビュー前のビートルズにはとても興味がある。だれもロックなんぞを演奏すらしていないころ、エルビスだけがロックンロールスターだった。ビートルズはエルビス追いつこうとしては、ロックンロールを演奏する日々だった。彼らは荒削りで、学校でも社会でもやはりうるさい嫌われ者だったのだろう。今でも彼らのリバプール時代は相当悪いほうに語られることも多い。勲章もらってからでもそれは変わらない。

 そんな時代に、ビートルズを始めてハンブルグにつれていったのがアランウイリアムズ。実は僕は一度このアランウイリアムズと偶然出会ったことがある。1989年にリバプールを始めて訪れたとき、キャバーンクラブの前にある小さな酒場で偶然出会ったのだった。喜んで当時の話を聞くほどに、このアランウイリアムスという人は、ブライアンエプスタインやジョージマーチンのような紳士でもなく単なるミュージシャンを派遣しては金儲けをしていたような人だったのだろう、ということは容易に想像できた。ビートルズにとってどんなチャンスでもほしかったとき、ハンブルグに行く手段はこのアランウイリアムスに頼むことしかなかったわけだし、彼を信じるか信じないかなどは問題ではなかったのだろう。とにかく何でもいいから演奏する機会がほしかったにちがいない。

 アランウイリアムスによるとビートルズはリバプールでもハンブルグでも相当荒っぽく、ジョンレノンはしばしば喧嘩もし、客にナイフを投げたことすらあったようだ。まだまだ成功していないころ、彼らもステージはストレス発散の場所でもあったのかもしれない。そして、帰国してからアランは僕に絵葉書を送ってくれたけれど、今でも大切に保管してある。

 そのアランウイリアムズがそのころを語った本「ビートルズはこうして誕生した」があるけれど、やはり相当荒れ狂った側面やまだまだ未成熟なビートルズを彼はかなり知っているため、本の内容もデビュー前の原石のビートルズを語っている。

 僕はビートルズの原型はあくまでこの頃だろうと思っているので、この頃を知る人の情報はどんな情報であれ嬉しく楽しい。これ本「ビートルズはこうして誕生した」もそんな本なのだ。

 アランウイリアムズとは、その後2度目にリバプールに行ったときに電話で話した。なぜかというと、その酒場の人が僕を覚えていて、アランに電話をしてくれたのだ。アランは「へイ、オマエ明日からでも俺とロシアに行くか?いいバンドがいるから」ってな話を電話でしてきて、びっくりした。本気かどうかしらないけれど、そんなノリでビートルズもだれかれかまわず紹介していたのだろう。でも、そのざっくばらんな性格こそある意味ではリバプールそのものでもあるけれど。

 またリバプールでアランにあいたい気がする。彼は今でも僕を覚えてくれているだろうか。
 
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*写真は当時の「例の教会」
 
 夜中まで起きていて、あまたが昔にワープしたからブログを書くことにした。
 昨年のジョンの命日、今自分が住む国でジョンレノンとポールマッカートニーが出会ってから世界に羽ばたくまでの間を描いた映画がテレビで流れたことがある。ビートルズの黎明期。もちろん本人たちが出ているわけではなく、役者がその頃を演じているだけ。なので、ふと見ているとなんともつまらない。しかし、しばらく見ているうちに目が離せなくなった。

 嘘か本当かしらないし、もちろん大いなる脚色はあるだろう、映画だから。しかし、ジョンレノンとポールマッカートニーが例のリバプールのセントピータース教会で出会うシーン…心が躍った。熱くなった。嬉しくて叫びそうになった。なぜだろう。いや、理由は簡単だ。そのときこそ、ビートルズの始まり、そのときこそ歴史が動き出したとき、そしてそれこそが奇跡の瞬間だったからだ。本人でもないただの無名の役者が語るせりふやギターの押さえ方や顔の表情…。全部どこかしら本当ではないだろう。でも、そのシーンは僕が見たくて仕方がないものだった。僕はその場に本当に一緒にいたかった。そう思っていたからこそ、その映画には釘付けになった。

 不良でロックンロールが好きなジョンとポールが、お互いの将来をまだ知らぬとき、ただギターが弾けるからという理由で出会う。そして、ラジオすら満足にない時代、楽譜すらない時代、テープレコーダーすらない時代に、彼らはギターを自分の音感だけで習得していく。なんという少年の憧れとエネルギー。
 もし、いまタイムマシーンがあってその場に本当にいけるなら、僕は興奮して泡でも吹きそうな気もする。あまりの歴史ロマン、凄い冒険劇の始まり。ビートルズの軌跡の始まり。

 ポールにもし会えるなら、僕は実はこの日のことを一番インタビューしてみたい。「ジョンと会ったとき、ジョンをどう思ったか?凄い奴だと思ったか?どんな期待をしたのか?心はワクワクしたのか?ジョンは怖かったのか?2歳も年上の奴、それも不良と知っていてもジョンとバンドをやりたかったのか?その時のことをどれだけ、何か、どんな風に覚えているか?そして、ジョンと世界へ出て行くことを少しでも考えたのか?」本当にそんな話を聞きたくて仕方がない。ビートルズの歴史で一番知りたいのは、僕はこのリバプールでの瞬間だ。ジョージとポールが通ったバスの中に一緒に乗りたいし、ジョンとポールが学校を抜け出してギター弾いてるところも見てみたいし、3人(リンゴはまだいない)がジョンやポールの家でギターを弾いていた場面に隣から幽霊のように覗いていたい。アホな夢だ。でも、本当にそこに行きたい。

**リメンバー―ビートルズ誕生への軌跡はポールの弟のマイクが当時の写真でビートルズ誕生の頃を証言している。身近な証言だ。ジョンがポールと出会った日のほうは「出会ったその日」だけをクローズアップしている本。これも心躍る。このテレビを見てから探しあさった思い出がある。

 ジョンは後日語っている。「ポールとであったとき、すべてが回り始めた」。それからの10数年間で世界は劇的に変わったわけだ。元をただせば、この出会いこそ僕の人生を、また世界の人々の人生をも変えたことになる。
 あの映画を見たとき、無意識のうちにかなわぬ夢を託してしまったのだろう。映画の中でジョンとポールが出会ったとき、嬉しくなって本当に涙が出そうになってしまった。劇なんだけどね。

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 ポールマッカートニーがちゃんと自分で語って監修して書いた本がある。ポール・マッカートニー―「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」がそれだ。かなり分厚いし、内容は濃い。だから相当ファンじゃないと最後まで付き合って読めないかも知れない。

 もちろん僕はファンだからちゃんと読んだので、しっかりファンには推薦したい。ポールマッカートニーファン、まあせめてビートルズファンならうなずいて読めるかもしれない。
 とにかく、ポールマッカートニーはこれを読むと、奔放に荒々しくもそして好き勝手やりながら音楽を作り続けてきたこともよくわかるし、ポールマッカートニーこそがジョンレノンと双璧の関係のような存在だったこともよくわかる。ジョンレノンは自分のストーリーは相当テレビでも本でも語っているけれど、ポールはあまり語ろうとはしなかった。しかし、アンソロジーやこの本で解散から20数年以上を経てやっと自分自身やジョンレノン、ジョージやビートルズを語ったわけだ。
 
 ジョンレノンはポールとは違って…という話は日本でも世界でもよく外野が批評しては語る。しかし、そんなことは全くどうでもいいこともこの本を読むとよくわかる。なぜならポールとジョンは、本当に仲が良かったのだ。そして彼らはともに世界を動かした才能だったのだ。日本で解説を書いている松村雄策氏の言うとおり、「ジョンは激しく、ポールはバラード、なんて言ってる連中はほっておけばいい」というのは至極正しい。
 
 ポールマッカートニーこそジョンレノンと対等に音楽で仕事ができた唯一の人間であり、ジョンがその実力を尊敬した人物だったのも読んでみて改めて実感した本だった。僕にとっては、4人全員が素晴らしい才能をもったミュージシャンだったと思っているし、この本でポールがジョンを心から今でも尊敬し真の友人として思い出すことが何より嬉しい。ジョンとポールは親友だったのだ。
 また、インマイライフだけはジョンとポールがともに自分が主体的に書いた、といっている曲というのもとても「嬉しく」読んだ。当然どちらかの記憶は間違っているのだろう。そんなことは僕はどうでもいい。ただ、それだけ2人の才能は「似ていた」ということ。自分の曲も相手の曲もどちらも自分が好きな曲だったという事実。あれほどの才能がありながら相手を認め合っていた少しばかりの証拠のような気がした。

 ポールは今でも時々言っている。「世間じゃジョンはこうだった、ポールはこうだった、っていうけれど、それはどれも真実じゃない。なぜなら、だれも、誰一人として僕とジョンの間にはいなかったから。そのときジョンと一緒にいたのは僕以外にはいなかった。真実を知るのは僕とジョンだけだ」。これに尽きる。正しい。彼らこそが証人であったし、誰かがそれを否定して批評しても全く意味もないことだ。
 
 この本にはポールが見た真実のビートルズがある。ポールがジョンとあの教会で出会ってくれたことに心から感謝したくなった。じゃなかったら、僕の人生に「感動」は起きなかったのもしれない。心からその偶然に感謝したい。ありがとう。

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 クリスマスイブということは、日本じゃ相当また盛り上がっているのだろう。羨ましいのはうまいものがたくさん食べられる時期ということ。こっちじゃクリスマスはむしろシンミリおとなしく迎えるから特に日本やアメリカみたいなドンパチパーティーはない。

 クリスマスから冬に賭けては、あたたかい部屋でワインでも飲みながらジャズでも聴いて過ごすのが僕は好きだ。でも、北海道カニやうまい寿司も食べたいかなあ。

 とりあえず、メリークリスマス。BGMはスコットハミルトンのテナーサックスでも聴こうか…。<注:この場合のTPOではファーストアルバムをお薦めしますねえ。いいサックスです>
 こういうときは音楽はそこに流れるだけで十分。マイルスやビルエバンスなんかになると、固まって聞き始まってしまうのでダメ。よってビートルズもダメ。頭使わずに聞ける音楽じゃないとだめだな。このあたりは全部思考する回路を持った音楽だから。それにジョンレノンのWar is overなんかは逆にシンミリしすぎて聞けない。寂しくなるから。でもでもスコットハミルトンはサックスの音がとにかく体の芯まで心地よいのでやたらワインやリラクゼーションには合っている。僕は。

 **さて、しばらくはブログも流し書きの毎日が続きます。来年仕事気分が戻るまで、特にいただいたコメント返しもできませんことお許しください。ブログは続きますが…皆様よいお年を。

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 ハワイは僕の大好きな島だ。かつてはここに少しばかり住んでいたし、おそらくハワイには50回は足を運んだだろう。なにがいいかって、やはりハワイの気候や人、そして音楽、ということになるだろうか。

 ハワイではいちいち難しい音楽の理屈だったりアーチストの話だったりもほとんどしない。そんな場所じゃない。ハワイに住んでいることそのものが浄化作用であり、ユートピア状態のようなものだから、そんな会話もする必要もない。僕にとっては、そこは心が解放される場所なのだ。
 ジョージ・ハリスンはかつてマウイ島に別荘をもっていた(今もおそらく残っているのだろう)。そこはハナといわれるマウイ島の人里離れた裏側。素晴らしい場所だ。ジョージハリスンがいたからという理由だけじゃなく、僕はそのハナが大好きなのだ。まさに天国のような美しい景色と波音と風音だけが時の流れを告げる。そして人々は一日を毎日毎日同じように朝おきて夕暮れまでを過ごす。娯楽もなにもない。おきてから寝るまでは農作業と食事だけ。テレビすら入らないところもある。

 ジョージは僕は心の安らぎをひたすら求めたアーチストだと思っているけれど、僕はそんなジョージの側面がとても好きだし、今は余計この歳になって共感してしまう。駆け巡る毎日を若くして過ごしたジョージは、ビートルズ解散前から宗教と神の存在を最も意識していたけれど、それはジョージが物質的な世界と最も先に決別を意識したことなのかもしれない。少なくとも、物質世界だけでは安息はないことを彼は悟ったわけだ。
 ジョージはハナを愛し、そしてここでHere comes the moon(慈愛の輝き) も作っている。歌詞なんてまさにハナそのものだ。

 ホテルハナマウイという美しくも優雅なホテルがこの地に1軒だけあるホテルとして有名だけれど、これがまた泣かせるホテルだ。かつて一度だけここを利用したけれど、大げさに言えば自然と生きることの素晴らしさをここで本当に知ったような気さえする。

 ジョージハリスンはハナを愛したけれど、僕はこのハナで物質はなくても楽しみはあることを知った。少しだけジョージハリスンの気持ちがわかり始めた時期はそのときだったのだろう。今でもその地を思い出す。絶対にまたいってやる…

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 マイルスデービスとピカソ、それにビートルズに共通すること。天才であることは当然として、その他になにか??
 実はこれらの人たちは、短期間でとにかくゴロゴロ・ガラガラと作品も姿も変貌した。同じ場所にいるのがいやなのか、それとも単に飽きっぽいのか。いや、それどころじゃなく、理由は天才だからに他ならない。才能があるから、全部出さないと気分が悪い。そういうことだろう。
 
 ピカソなんざとにかく青年期の作品は素晴らしくデッサンは美しいし、だれからも模範のような作品と褒められたのだろう。そのくらい本流を行く作品を残している。ところが、最後にはゲルニカ(参考/ピカソの戦争《ゲルニカ》の真実)だったりキュービズムだったりに走る。才能が有るから仕方がない。
 マイルスだって、だれがビッチェズブリュー/Bitches Brewを期待したか予想したかって。信じられないくらいガラガラ変わりまくって、最後にあれだけガチャガチャにジャズをぶち壊してくれて。それでも作品には誰もが惹かれてしまう。才能があるから。
 ビートルズもそうだけれど、とにかく才能がありあまる連中は変わる。本人は変化しているのではなく、才能を順番に出しているだけ。だけど周りの凡人には、変化しているように見える。視点が違うからそう見えるだけ。まさにアインシュタイン/「相対性理論」を楽しむ本

 僕はあまり変わらないで同じことをず〜っと続けているアーチストには実はほとんど興味がない。飽きる。同じことやって深みを極める、というのはよくわかる。けれど、それは職人のような世界であって、僕があこがれた才能あるアーチスト、天才達の世界ではなかった。

 やはり才能が飛び散るがごとく次々とこっちを翻弄してくれるアーチストはめったにいないのだ。最近少しやっぱり凄いと思ったのがジョージ・ルーカスかな。
 
 でも、こんなこと言ってる自分はただの凡人なんだからお笑でしかないのもわかっている。天才はただわが道を進むのみ、凡人はただ知ったかぶり。この構図はかわらんなあ。



 
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 ビートルズゆかりの地というと、当然リバプールだけれど、そこは3度行った。ずいぶん前だから今はもう変わってしまっているのだろう。しかし、ビートルズゆかりの地で旅するとなると、ビートルズ自身、ソロになったときも含めると相当の場所に出没していることになるので、結構調べればビートルズ縁の場所は多いことも気が付く。実際に探し出すのは大変だけれど、ファンとなったらその程度でひるんでいてはならない。せっかく旅に出るなら、なんとしても探すのみ、なのだ。

 前にロンドンのプレジデントホテルがビートルズがよく利用したホテルだったと紹介したけれど、同じように彼らが昔ラスベガスでコンサートで登場したホテルがサハラホテルラスベガス。今も当時の写真がはってあったりする(参照)。まあこの程度は探すと結構情報がある。

 しかし、かつて思いがけず見つけたのがウィングス時代のポールが行ったオムレツ食堂。なんとそこには写真が貼ってあったではないか。それもメンバー全員で食堂で写っている。おどろいたし笑った。たんなる大衆食堂(まあ、味は相当うまかった)なのに、あのスーパースターがお出ましになったわけだ。店の人は相当驚いただろう。
 でもそんな場面に出くわすと本当に嬉しくなってしまう。なんたって、彼らと同じところに行けたわけだから。数年前そのオムレツ屋を通り過ぎたときはすでに跡形なく店はなくなっていた。残念だったけれど、それも時代の趨勢か。しかし、ファンの思いではいつまでもそこを通るたび残っていることになる。またひとついい思い出ができた。
 
 その店は、ハワイのホノルル、人知れず営業しているような、しかし古くからの店だった(写真上)





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 ピンクフロイドの「狂気」は1970年代、相当売れたアルバムだ。その当時あまりプログレッシブロックに興味もなかった僕でも、今考えてみればいつの間にか自分のレコードコレクションに入っていたくらいだから、何気なく買い込んでしまった音楽ファンも当時は結構いたのだろう。

 この狂気は、アランパーソンズ(参考/ヴァルチャー・カルチャー)がエンジニアで録音している。アランパーソンズといえば誰もが知るビートルズのアシスタントエンジニアから出世して一躍名を売ったエンジニアであり、その後は自らもミュージシャンとなった人だ。でも、確かにタイムのギターなんて今でも凄い音色で響いているし、アランパーソンズの力は凄い。ギタリストのデーブ・ギルモアももちろん凄いけれど、この音色と音像を作ったのは間違いなくアランパーソンズだし。

 当時、東芝(EMI)から出たこのアルバムは今でも好きなアルバムだけれど、考えて見ればこれもビートルズの影響が凄く現れた作品だ。なにせエンジニアもそうだけれど、サージェントペパーの録音を見学までしたピンクフロイドが原子心母からコンセプトアルバムを発展させてこの狂気を完成させたのもまた事実。

 録音の世界も音楽の作り方自体もビートルズ以降は劇的に進化したのは事実だけれど、この狂気を聞くと本当にビートルズの残した影響は計り知れなかったことをいまさら感じてしまう。
 言葉どおり考えると、世界で一番プログレッシブロックをやったのは間違いなくビートルズだったのだろう。

 タイムの時計の音と、Good morning good morning の鶏の声は、僕にはいつも同じように響いている。

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 学生のころ衝撃的な文学に出会った。ラディゲというフランスの作家で、少年ながら鋭い心理描写と硬質な文章で、才能というものがどれほど人間の財産であることか思い知った。
 ラディゲは三島由紀夫(参考/ラディゲの死)も尊敬した、ある意味天才に愛される作家でもあるけれど、なぜならラディゲこそ本当の天才だからだろう。「肉体の悪魔」を少年にして書き上げ、成人する頃には人の心理を恐ろしいほどに知り尽くした分析を見せた「ドルジェル伯の舞踏会」をあっさりと書き上げてしまう。

 この小説「ドルジェル伯の舞踏会」ではフロイト(参考/フロイト全集)やユング(参考/ユング心理学入門)といった学者が見せる分析ではなく、あくまで直感的に天才だけが知る人間の心を鋭い言葉で完璧に表現していた。参った。本当に恐ろしく参った。同じ人間でなんと自分が小さく希薄な存在であることか、考えるだけでいやになったし、またもや才能のなせる凄さに驚いた経験だった。

 このラディゲの文章を読みながら思ったことは天才には努力ではなく、創作こそが宿命であるということ。努力はあくまで凡人の自分たちがすることであって、天才は才能を出し作ることこそが天命であり、それは努力ではなく創作する宿命として、ある意味では誕生とともに義務付けられているという風に思わざるを得なかった。

 少年、青年にして世界を驚かせた天才はラディゲだけではなく、モーツアルトもビートルズも同じだ。そして天才達は、当たり前のように創作しそれをもって凡人を愕然とさせ、驚嘆させる。

 驚きは常に凡人にある。だとすると、天才は驚くのではなく、才能のエントロピーを喜ぶだけなのだろうか。天才の尺度は継続する時間ではないと僕は思っている。ラディゲもまたんモーツアルトやジョンレノンのごとく若くして死んだ。しかし、若くして表現された青二才の作品であっても、その才能は誰もいまだ超えることは出来ない。
 天才は生存した時間では計れない。美しき才能に乾杯。それが凡人の自分の喜びかな?

 
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 あきずに映画の話題。
一番好きな映画は何ですか?ときたれた場合、僕は決まってこの「ニュー・シネマ・パラダイス」を言うことにしている。理由は、自分そのものだからかもしれないし、表現や感性が似ているからかもしれない。でも、間違いなく言えるのは、この映画には素晴らしき心が美しく表現されていることだろうか。自分が過ごした時代やかかわった人たち、それがいいことも悪いことも、美しくも貴重な経験として大切に表現されている。だから、すべてのシーンは光り輝きまったく新鮮さを失わないまま今も多くの人に感動を与えている。

 だれもが純粋になにかに熱中すること、誰もが過ごす成長への時、それに誰もが省みる過去。このニュー・シネマ・パラダイスにはそれらすべてがきめ細かに語られている。登場する人たちの言葉はどれもが一言の意味を持ち、言葉に深い説得力がある。それは、人と人とがわかりあったときだけに生まれる言葉の重さだろうか。

 僕はニュー・シネマ・パラダイスには、ずいぶん心を浄化された。それまで成人しながら、ずるさや悪賢い選択を覚えてはごまかしながら過ごした時間を反省もしたし、好きなことを続けていくことがどれほど素晴らしいことかも改めて確認した。

 この映画には、僕のすべてがあったようにさえ思っている。ニュー・シネマ・パラダイスとの出会いがなかったら、好きなことを続けるという簡単な選択をも忘れていたのかもしれない。

 これに関しては余談かもしれないけれど、ビートルズのリバプール時代からのストーリーを読むと、この映画のもつ成長期の少年や青年の描写ととても似ているように感じる。それは単に自分がビートルズのファンであるからだろうけれど、この2つの対象のもつ純粋な魂が目指した音楽と映画という憧れの世界に、僕はダイヤモンドのような透明で純粋で硬質な輝きがまぶしいほどに感じられてしまう。
 
 ニュー・シネマ・パラダイスは自分が老人になって、いつしかまたビデヲを見るときにもその新鮮な感性は同じままに僕に何かを訴え続けることだろう。それはビートルズがずっとそうであることとほぼ同じことだろうと思っている。
 
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 映画、地獄の黙示録は僕の時代のモニュメンタルな作品だった。フランシスコッポラが描いてきた「アメリカの姿」はここ終結したかのような印象で、コッポラの総集編なのだろうという気持ちでこの映画を見た覚えがある。

 それまでのフランシスコッポラはやはりゴッドファーザーがあまりに僕の中では代表作であって、黒澤明の感性を踏襲するような美しく迫力のある画面にも僕は陶酔していた。

 地獄の黙示録では、アメリカという表現を超えたイデオロギーが矛盾や実存主義的な方法論で僕に迫ってきては、「自分の生きる価値や生きる意義」までも僕に考えさせた。映画がここまでの迫力をもって僕に迫ってきたのは、この映画と2001年宇宙の旅だったろうか。もっと思い出せば出てきそうだけれど、インパクトという意味ではこの2作は抜け出ていた。

 僕にとってはアメリカを徹底的に覚めた目で見た映画だったし、それはアメリカに様々な影響をうけて育った僕達世代への不思議な教訓もそこには隠されていたような気さえする。
 僕自身もそのころから物質的な喜びから精神的な哲学的な満足を得るような人生観にずいぶん変わった。それがいい悪いではなく、それが僕の満足だとわかったからだろう。

 地獄の黙示録は、僕が理性的に何かを考えて進路を決める役目を果たしてくれたのかもしれない。自分の年齢と精神的な成長度合いもちょうどそこで合致したのだろう。その意味ではいいタイミングで出てきた映画だった。

 思い出せば、理性ではなく、体と感性がどうしようもなく反応してその後の自分の人生を変えることになったのがビートルズだった。そこには理性や理論ではなく、爆発するエネルギーと揺り動かされるほどの音楽の才能があった。

 いい時に素晴らしき才能にめぐり合えたことが自分の今を作ってくれたのだろうと思っている。いい時代、素晴らしき才能を持つ人たちと同じ時代に生まれたことに僕は感謝している。



 
 
 
最近の興味は愛犬との時間かな?とにかく、僕は犬が昔から好きで、人の心をわかろうとしているかのような表情や感情を理解できる心をもった動物である犬がなぜか心を和ませてくれる。

 今の愛犬を飼い始めたのは2年半ほど前だけれど、その間楽しいことがたくさんあった。成長を見守ってきたことも嬉しいけれど、彼(犬)のほうが僕にずっと慣れ親しんでくれたことも嬉しい(飼い主だから当然か?)

 時には仕事や生活でいやなことや面倒なことに出会うけれど、愛犬と遊んでいるとそれが和やかに忘れることもできる。そのほうが僕は会社なんかで愚痴を言っているよりもよほど好きだ。
 もう僕は会社生活は長い間していないから、朝の出勤もないし時間も自由。毎日家で仕事をすればいいから、本当はあまりストレスもたまらないほうなのだろう。でも、時には関係する会社やその職場にいって仕事相手と話もすれば皆は相変わらず愚痴と他人の悪口(これって国際共通事項)。
 まあ、そういう連中とは僕は全くかかわらないことにしているけれど、そんな連中は特に1人じゃなにも出来ないから執拗に誰かに愚痴を言いたくなるのだろう。だから雑音はいやでも入ってくることもある。それも迷惑な話だ。自分の責任は自分でとれって。

 でも、愛犬は愚痴は言わないし、いつも明るいし、まあ僕にとってはいい時間を過ごせるわけだ。今は毎日愛犬とビーチを歩くことと公園でボール遊びをすることが日課。それで毎日ストレス解消。
 彼には心を和ませてもらっているわけだから、僕は愛犬を育てる義務がある。彼は僕に笑いを提供して、僕は彼に食事と寝床を提供する…それがお互いの責任…かな?

 ところで、僕の愛犬の名前はリンゴ。トローっとした顔つきが似てるんだなあ。







 
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 映画の話題でもうひとつ。モーツアルトをやや映画風に演出し描いた作品が「アマデウス」。これも大好きな映画だったからやはり100回は見ているだろう。

 これには参ったな。天才と凡人の明暗があまりにはっきり描かれているから。モーツアルトは天才で自由奔放。それでいて、次々となんの悩みもないまま名曲を作り続ける。しかし、ここで凡人代表のように描かれているサリエリはモーツアルトを嫉妬し、自分にそこまでの才能がなかったことを嘆く。モーツアルトの素晴らしさには負けることを知りつつ、モーツアルトを批判したり罵声を浴びせながらも、それを超えられない自分を省みるストーリーだ。もちろんモーツアルトは他人などなんにも気にしてないし、ライバル心も持っていない。そんな自分を比較するような必要すらない。天才だから。

 モーツアルトは間違いなく、現代で言えばビートルズだったのだろう。同じだ。誰に嫉妬することもなく、自分好きに遊んでいても曲はどんどん出来ていく。ジョンもポールもこのタイプなのは間違いないし、この映画のサリエリのごとく、ビートルズを嫉妬し批判した連中は60年代から数えたら限りない数に登る。もちろん、ビートルズ側ではなにも気にしてない。自分たちを誰かと比較すらしない。天才だからそれでいい。

 しかし、なによりこの映画、アマデウスで僕が参ったのは、これで完全に僕自身は凡人だってことに気が付いたことだ。映画の中で共感したのは、サリエリであってモーツアルトじゃなかった。サリエリの心境がどうしようもなくよくわかった。

 それ以来、僕は自分の天職は音楽や芸術じゃないこともわかった。なぜなら他人を嫉妬するからだ。自分と他人を比較するような職業も続ければ疲れる。なので、自分が納得して自分の満足を得られる仕事を探さないとならなくなった。アマデウスは僕のターニングポイントでもあった。

 映画、アマデウスからすでに20年以上が過ぎた今、僕は、自分の仕事と生活にとても満足している。


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 ジェームスディーンの映画、エデンの東が好きだった。何度みただろうか。おそらく100回以上は見ているのだろう。ジェームスディーンはどこか孤独感が漂っていた役者であったけれど、その孤高の存在が最もよく表現されたのが僕にとってはエデンの東だった。

 それは、どうしようもなく切なく、素晴らしく純粋な青年の心を描いているのだけれど、ラストシーンなどは涙なしで見れないほどの純真さがあまりに美しかった。

 映画の中でジェームスディーンは、本当は尊敬する父親を必要とし、なんども気に入られようと努力するが、生き方が違う父親はジェームスディーンを愛さない。そして、母親は早くから違う人生を送り始め、幼くして顔を知る前に別の生活を送る。ジェームスディーンの叫びは、父親と母親の愛情を求めた素直で優しい青年の叫びだったけれど、叫びは最後まで届かなかった。
 唯一、ジェームスディーンを理解したのは同じ境遇をしる女性だけだった。

 なぜ、この映画が好きだったか。僕は、もしかすると同じような人生、幼年から青年期を送ったのかもしれない。映画ほど切実でないにせよ、僕はエデンの東をどうしても映画として見れなかった。自分の過去を見るような思いさえした。

 今日、エデンの東を思い出して、ジョンのマザーを聞いた。ジョンレノンの青年期もまさにこの映画のようだったのだろうか。僕がジョンの何かに惹かれるのは、この映画に感じることと同じなのかもしれない。


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今日は職場でちょっと早いクリスマス会だった。だれが持ってきたか分からないけれど、クリスマスソングの中にジョンレノンの例のクリスマスソング War is over(Shaved Fish) があった。
 毎年、この曲はクリスマスになると日本でも街中で流れ始まるし、世界的にも定着したクリスマスソングとなった。

 僕はこのジョンの歌声とメロが特に好きで、この曲を聴くとクリスマスの到来を思い出す以上に、ジョンレノンがいないことが寂しくてしかたなくなる。これは本当に好きなジョンのバラードナンバーでもあって、本当にジョンの声がジョンの魂を僕に伝えてくる思いがしてしまう。これこそ本当に美しい歌、なのだ。僕にとっては。

 今日は職場はプレゼント交換もあってにぎやかで楽しくみんなが騒いでいたけれど、僕はこの曲のせいで、あらためてもうジョンがいないことを思い出した。みんなが楽しそうにクリスマスを過ごす中で一人ジョンの美しい曲をバックに涙がでそうになってしまった。

 


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 ジャズとビートルズ、あまり語られないトピックだけれど、実は僕には興味深い。僕はジャズは大好きだけれど、特にビートルズとジャズを関連付けて楽しんでいるわけでもない。ビルエバンスのワルツフォーデビー/Waltz for Debbyやビレッジバンガード/Sunday At The Village Vanguard、ポートレイト・イン・ジャズ/Portrait in Jazzの3枚は僕にとっては宝のようなものだし、パットメセニーやキースジェレット、チックコリアなどはコンサートも何度も出かけた。

 最近ではブラッドメルドー(ラーゴ)のピアノなどは相当ハートに迫りくる感性に驚いているし、いいジャズの作品に出会えると本当に嬉しくなる。

 実はブラッドメルドーの作品を聞いていて思ったのだけれど、このピアニストおそらくビートルズファンだったのだろう。ドラムにジム・ケルトナー配置してビートルズの作品を演奏したり、相当ビートルズの魂を知っている雰囲気だ。

 しかし、ジャズ界にはビートルズファンは実は数多い。ジョージベンソン(The Other Side of Abbey Road)もそうらしいけれど、パットメセニー、ウェイル・リーなどは相当気に入っていたようだ。特に24丁目バンド(マンハッタンの夢)のベースだったウィル・リーに至っては、相当達者なベースマンだけれど、今は趣味でビートルズのコピーバンドやってるようだし、まして、彼はジョージハリスンのバックバンドをやったとき「人生最高の経験」とまで喜んでいたし。
 第一、日本でもあのスイングジャーナルの編集長だった中山康樹なんかはもうビートルズ評論家と化してしまったし、おなじジャズ評論家の小川隆夫なんざ、マイルスよりビートルズのこと書いているほうが明らかに楽しそうだし。とにかく隠れビートルズファンはジャズ界には数多い。まあ、ジャズ界に限ったことでもないけれど、ビートルズと縁遠い感じのジャズでも実は相当ファンはいる。

 ビートルズには垣根がなくなる。いい音楽だから、いちいちクラシックだのロックだのジャズだのといった話でもなく、いい音楽はいい音楽でしかない。それがビートルズの隠れファンがおおい理由。

 昔、ハワイに住んでいた頃、ハワイのミュージシャンとは何度も酒も飲んだし音楽の話もした。そこで思ったのは、ほとんど!ビートルズファン。本当にハワイにはビートルズファンは多かった。なにかが通じるのかもしれないけれど、あのパラダイスでまったく違った音楽やっている連中もビートルズで人生変わった奴がどれだけいたことか。
 Here there and everywhere なんてギターで弾かせて歌わせるとやたら感情込めて歌うし、まあ、とにかくハワイでもビートルズは不滅だった。

 今も海外に住んでいるわけだけれど、音楽ファンとビートルズの話をするととたんに年齢や国籍はなくなる。いい音楽は共通語なのだ。

 今日はビルエバンスをBGMに書いてみたらこんな話になってしまった。まあ、ジャズとハワイとビートルズもまんざら別のトピックでもないわけだ。
 
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関連タグ : ビルエバンス,

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 ポールマッカートニーというミュージシャンは恐ろしく才能があったのは当然だけれど、その幅の広さは間違いなく現存するミュージシャンの中では最も幅広いと思う。あくまで事実としてこれだけ幅広い才能を発揮するミュージシャンはまずいないはずだ。

 今日は、ホワイトアルバムの気分だったので久々にずっと聞いていたけれど、ポールの才能はやはりこのあたりで爆発しているのもよくわかる。へルタースケルターなんていうハードロックバンド顔負けのボーカルとギター聞かせて、それも変拍子まで入れてくれて演奏した挙句、アルバム中にはMother natures sonやら、I willやら、Martha my dearやら、Honey Pieやら…なにこれ。同じ人が作ってんの?と思うくらい。

 最近ではクラシックまで手を出すポールだけれど、才能がある人はやるしかないから仕方がないのだろう。ポールはかつて「音楽をやめることは呼吸をやめることと同じだ」といっていたけれど、その意味はよくわかる。ポールは才能が無尽蔵にあるから、やめるとストレスになってしまうのだろう。天才の逆の悩みなのだろうし。

 ジョンもジョージも一度は音楽を離れたし、長いキャリアのミュージシャンはブランクとなる時期はどこかである。しかし、ポールは常に音楽を作り続けてきた。

 ポールはそれが天命だったのだろう。そして、その才能を開花させたのは間違いなくジョンレノンとの出会いだったのだろう。

 ジョンはビートルズの晩年、明らかにポールの才能を嫉妬していたし、ポールに強いライバル心を持っていた。ジョンにとってそこまで圧迫感を与えたのは、ポールだけしかいない。ジョンはその存在感から今も圧倒的な支持を集めているけれど、おそらく我々が知らぬ未来ではポールの音楽は誰よりも長く愛されるのかもしれない。ジョンの名声が消えぬことと同じように。

 しかし、だれがヘルターとアイウィルが同じ作者だと思うか…ファンとしてはこれぞポールなのだけれど。

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先日、家を購入した。これで家を買ったのは3回目だ。すでに2回は終わって売却しているので、だんだん慣れっこになってきた。あと1ヶ月もすると今住んでいる家を出て次の家に引っ越すことになる。そう考えると愛着のある場所を去るのもやはり心惜しいものだったりする。まあ、最初は所持金ほぼゼロからここまできたわけだから、それだけでも過去を思うと住んだ家はそう簡単に移り住めない心が宿るものだ。

 もっと言うと、僕は今海外に移住して数年が過ぎたけれど、そろそろ日本の良さや懐かしさもしみじみ思い出すようになったし、時々日本に帰ってなつかしいものを見たり、思い出の店でおいしいものを食べたりもしてみたくなる。これも昔の家を思い出すような感覚なのだろう。

 今日は、そんなことを考えていたけれど、最初にジョンレノンを思い出した。思考回路がビートルズに偏っているとはいえ、どうもやはり故郷の話になるとジョンレノンが心によぎる。

 ジョンは歌でもなんでもいつでもリバプールやイギリス、正確にはアイルランドを心に描いていた。ストロベリーやイン・マイ・ライフもジョンレノンの心を表しているのはもちろん誰もが知っている。
 なぜ、ジョンレノンはイギリスとリバプールを捨てたのだろう。あれほどまでに自分の憧憬や郷愁をリバプールに持っていたはずなのに。想像でしかないけれど、ジョンはリバプールを捨ててはいなかったのだと思う。どうしてもあの時期、ニューヨークがジョンにとっては心地よい場所だったのだろうけれど。

 なぜ、そんな想像をするかの理由もなにもない。しかしそう思う。もし、ジョンが生きていたらリバプールにいずれ帰ったのではないだろうか。ジョンレノンという人を考えるほど、僕にはそう思えて仕方がない。ジョンレノンには、いつも鮮明な「記憶」が付きまとっていた。いつも子供の頃からの記憶を語っていた。おそろしく正確に子供のころの思い出を語るジョンレノンは、おそらくリバプールの一瞬一瞬が彼の心の宝であったはずだ。
 ジョンはリバプールを去ったのではなく、引っ越しただけだったのだろう。そして、またいつか「出張」から戻ってきて老後いつかそこにもどったかも知れないし、住み込まないまでも、必ずやそこに帰ってきたはずだと思う。
 人の心に残る財産は、なによりも尊く人はそこから去ることはできないから。

 ジョンレノンがどれだけの心の財産を持っていたか?それはあまりに簡単に想像してしまう。目の前で車にはねられたあまりに壮絶な母親の死の思い出から、ポールとの出会い、ジョージとの出会い、シンシアとの結婚と新婚生活、ハンブルグへのツアーと帰国、スチュワートの死、キャバーン、ブライアンエプスタインとの出会い、ビートルズの爆発、そしてストロベリーフィールズ。
 ジョンの世界への飛躍は間違いなくリバプールから始まった。これだけの記憶が消え去ることもありえない。これだけの思い出が詰まった地にジョンはきっといつか戻りたかったのだと僕は信じたい。

 ジョンレノンは40歳で死んだけれど、彼の旅はまだ途中だったのだろう。今ジョンが生きていたらどこに住んでいただろうか…

 

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 最近雑誌を見ていたら相変わらず音楽評論があると、ビートルズは語られ続けるようだ。それはいいことでもあるけれど、一方いつまでもビートルズを持ち出さないとならない環境というのも、ビートルズ本人にとっては面倒なことのような気もする。すでに36年前に終わったバンドに対して、いまだ現役のバンドすら比較対照されたり、現役の連中にいちいち文句言われてみたり、それでメディアは面白おかしく記事にして売り上げてればいいわけで。ビートルズの今までの運命でもはなはだしく有名税は払ってきた。

 僕は最近はあまり批判や評論のような雑誌、誰かの話などには耳を傾けなくなった。かつてはビートルズもどんなバンドも、まあ、有名なひとなら誰でもなにかあれば批判の対象として登場し、そしてそれに僕も耳を傾けた。
 ビートルズなどは洋楽?の中では最も有名なアーチストなので、さんざん批判や比較の対象になった。それはトップの存在だから仕方がないけれど、当時はあまり気持ちのいいものでもなかった。やはり自分が好きなものを勝手に批判しているのを聞いたりするのはいい気持ちはしないものだ。
 友達にBBキング(参考:20 Golden Classics