ビートルズの影響で趣味から思考回路まで一変した著者が日々の出来事と彼らとの接点を綴ります。できるだけ様々なアングルで書きたいと思います。
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 ポールのアルバム「マッカートニー」に入っているジャンクという曲がやたらに好きだ。このアルバムはビートルズ解散直前にポールが出したソロアルバムなので、1969年までには作られていた曲が入っている。

 僕はこのアルバムはほとんど全部なぜか好きな曲だらけだけれど、ポールの遊び心が充実していて、そして、ビートルズをあきらめかけた心が見え隠れして、楽しさと寂しさがどうも交差して現れる。それが何故か天才の孤独を現していて、切なさがある。ポールの真実は確かにこの作品に見て取れるし、ポール自身が好きだというのもなんとなくうなずいてしまう。

 ジャンクは物寂しい曲だけれど、メロディはことのほか美しい。ノスタルジーに取り付かれた人間がなにかを回想するような、メルヘンとわびしさがこの曲には満ち溢れいてる。
 名曲にもかかわらず、隅の方に置かれている、忘れ去られるような曲。これはそんな「ジャンク」として捨てられてたような作品だった。

 今日、テレビでこの曲が流れた。何年ぶりかに流れてきたジャンクは、空を舞うようでいて哀愁をどこかに秘めたメロディが1969年のポールの心をまたもや思い出させた。
 ポールはこんな美しい曲を書きながらビートルズを去った。ジャンクはポールに1969年にあの環境でだけ心に響いたメロディだったのだろう。ポールはこの曲の裏側でビートルズの終焉を思っていたのではないだろうか…名曲の影に、今日はあらためて当時を思い出してしまった。
 
 今日、テレビから流れてきたポールのジャンクは、「ジャンク」どころではなかった。いつまでも輝きと麗しさを失わない名曲だった。


 …そして、ジョージの命日に黙祷。



 明日、ジョージが死んではや5年が過ぎる。なんと早いことか。でもジョンもそうだけれど、なぜか死んだような気がしない。それもそうか。毎日まだ生きているかのように2人ともメディアの話題には登場するし、相変わらずビートルズは生きているかのように新作も出たりする。

 ビートルズは36年前に解散し、2人のメンバーももういない。

 なぜ、これほどまでにまだまだライブで語られたり作品が出たりするのだろう。CDもそうだけれど、雑誌ではほとんど毎月どこかでビートルズの記事は出るし、下手するといまでに特集組んでる雑誌なんてザラにある。単行本も次々出るし、ビートルズは36年前に消えたのに、まだまだ商売は衰えない。36年前にいなにのにまだいちいち話題にならなきゃいけないのも本人達も大変だと思う。代わりがいないから仕方がないか。本当に不滅のアーチストなのだ。

 あまたのようにある単行本のなかでも、今日はジョージハリスンが生前書いたアイミーマインを少し読み返した。明日が命日だから。

 ジョージは宗教感も深かったから、この本でも宿命的な生命のありか、のような宇宙観や生死感を書いている。実は僕はこのジョージの思想には納得してしまう部分がおおきい。だから僕はジョージにはなぜか(勝手だけれど)ビートルズの中では親近感がもっとも沸いてしまう。ジョージのこの深遠な部分は、ほとんど報道されていないし、報道しても一般大衆が理解できるものでもないだろう。だから、ジョージがどんな思想をもって人生を送ったかは他のメンバーより理解は難しいかもしれない。

 一読後、僕はジョージのこんな部分に非常に共鳴し、彼をミュージシャンと同意に1人の求道者として大変尊敬するようになった。彼が生前様々な友人に「洞察力がやたらに強い」といわれていたようだけれど、ジョージの言葉や思想は、その裏づけのようにこの本で語られている。

 ジョージはインテリだったのは事実だけれど、その方向性ゆえ語られることは少なかったように思う。

 ま、僕は宗教家、信心深くはないけど。今日はジョージに敬礼。




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 昨日はステーキを食べに町に出かけた。実は街中にビートルズファンが経営しているステーキ屋があって、そこに時々通ってステーキとビートルズの音楽を楽しんでいる。

 で、そこには大きなビートルズの写真が何枚も飾ってあるのだが、これだけ長い間ファンやってる自分でもあまり知らないものもある。どうやって手に入れたのか、不思議だ。

 ただ、店に来ている客がおそらく僕と同じように間違いなくファンの顔した連中もいて、彼らを眺めているのもまた楽しい。数人で来ていて、これは何年の写真だとか、これはカナダのコンサートだとか話しながらステーキを食べる。いと楽しからずや…
 これぞビートルズファンの優雅なひとときではないか。

 周りは英語で話す環境なので、いちいち全部は聞いちゃいないけれど、なぜかビートルズ関連の固有名詞、専門用語は全部わかる(当たり前だ、俺はファンだ!)。

 そうか、ビートルズもこれだけ深みにはまった連中が多いなら、冗談じゃなく、ビートルズ現象を講義する講座もまともな大学で開講してもいいんじゃないか、とすら考えてしまう。
 間違いなく、ビートルズの登場は、1960年代以降の文化の流れは劇的に変えたんだから。








 ビートルズのアンソロジーが出た時からはや10年以上が過ぎ去ったわけだから、本当に時は飛ぶように流れる。ただ、不思議なのはやはりビートルズにとってはアンソロジーは「いまだに新作」のように思えること。

 当然だけけれど、10年というともういい加減「昔の作品」だ。なのに彼らにとっては新作、それ以来ジョージもいなくなってもうビートルズの「新作」はありえないからどうしてもそれが新作の雰囲気のままなのだろうか。
 たはいえLOVEなんかも出ているがおそらくファンは誰もこれを新作としては受け入れていないだろうし、新しいと思って楽しむのも不可能だ。

 
 ビートルズのアンソロジーは今でもとても大切に楽しんでいる。この中には3人で演奏を楽しんでいる場面や雑談して回想する場面なども収録されているけれど、それがどうしても嬉しくなる。3人で演奏する光景など誰が想像したか。ジョージの姿がまた嬉しい。

 僕の友人もおなじくここだけのためにやはり何度も見るそうだ。ビートルズファンに訴える光景なのだろう。

 ジョンが死んでもう4人の姿は無理、とわかっていた。だから3人だけでも見ることができた嬉しさはあったけれど、今度はジョージもいない。となると、もうこの映像が「3人の時」最後の映像となるわけだ。

 そう考えると、痛いなあ。


LOVEを聞いていて、アンソロジーを思い出してしまった。やっぱりビートルズは4人いないとダメなんだよなあ。メンバーチェンジが絶対に無理なグループだから。





ジェフエメリックがついにビートルズをしゃべった?


 実はこの本の存在をしらなった。しかし、恥ずかしいかな、自分のサイトのアマゾンのコーナーに出てきてはじめて知った。

 これ、買うことにした。昔からジェフエメリックには興味があった。なんといっても、フランジャーだのダブルトラックだの、ジョージマーチンとこのジェフエメリックが完成させたビートルズの音、そして現代レコーディングの基礎は計り知れない数に登る。そして、その方法論を最初に実践し、成功させていったのは紛れもないビートルズだった。

 いや、むしろ、ビートルズが必要としたことをジェフエメリックがなんとかして実現させていった、協力者だった、というのが正しいのだろう。なにせ、必要は発明の母だから。必要ないなら、作らなかったろうに。でもビートルズはレコーディングの常識をも全部変えた、やめた、ぶち壊した。

 その現場にいつも存在したのがジェフエメリックだったはずなのだ。興味ないわけがない。知りたい、読みたい、どんな時間がビートルズと流れていったのだろう。

 かつて、マーク・ルイソンという男がビートルズのレコーディングを詳細に解説したことがあったけれど、その本を読んだときは興奮して300ページ位の本をまさに一瞬にして一気読みした。きっとこんどもそうなるのだろうな。なにせ、僕の興味の分野なのだからしかたない。

 ただ、問題がある。僕は今海外に住んでいる。となると、手に入れるには日本に帰ったときになるということか、それともアマゾンでわざわざ海外輸出してもらうということか…送料が高すぎるって。







 ビートルズのLOVEを遅ればせながら今日はじめて聞いてみた。あまり期待はしていなかった。焼き直しなのは知っているから。

 しかし、なんなのだこの尽きせぬ力は。もうメンバーもいないし、36年前に解散しているのに音楽は力も衰えぬままいき続けている。オリジナルの迫力はすでにここにはないけれど、ビートルズが証明した爆発的な才能は36年以上の歳月を経てもまだ噴出している。

 編集したジョージマーチンと彼の息子の作業がビートルズファミリーだからこその完璧な作品に仕上げたのだろう。

 劇場バージョンなのだから、これにツベコベは言っても仕方がないし、新作としての期待ももちろんまったくない。だけれども、出来上がりの奥深くに「今回のアーチスト」ジョージマーチンのビートルズに対する深い「LOVE」を痛切に感じた。

 ジョージマーチンも間違いなくビートルズによって、人生が変わったのだろう。彼もビートルズとともに生きたのだろう。彼はすでに70歳を超える老人だ。しかし、彼のビートルズへの愛着と感謝はこの作品でよくわかった。ビートルズの音楽はこのように世代を経ても生きていくのだろう。しかし、僕が追い求めたビートルズの影はそこにはもうない。それは宿命として受け入れるしかない。しかし、あらたに誕生するファンにとってビートルズへのLOVEは形をかえても次代を超えて残り続けるのだろう。

 LOVEはジョージマーチンのビートルズへのトリビュートであり感謝のように思えてならない1枚だった。


 それにしても凄い音質の改良。もし4人が生きていたら、こんな最高の音質で作品が聞けたのだろうか。無理なのは知っているけれど、どうしようもなくそれが聞きたかった。無念…






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 世界で一番過小評価されているミュージシャンはポールかもしれない。時々そんなことを考えてしまう。ポールは常に批判と戦ってきた。特にビートルズ解散後、ポールに賛辞より批判のほうが多くなったのは事実。ずいぶん最近はビートルズが神格化されたけれど、それは今でもさほど変わらない。

 なぜポールはそんなに批判されるのだろうか。ソフトだとかロックじゃないとか言われるけれど、公平に見てもポールほどロックンロール歌わせてクールに歌える奴も少ないけれど。のっぽのサリーなんてポールのために書かれた曲じゃないかと思いたい時もある。かといって、アイ・ウィルを歌うポールには深い万能性も感じる。ポールは音楽の幅が広すぎたのかもしれない。だから一面だけ取り上げられては酷評されてしまう。

 しかし、よく思い出すけれど、ビートルズだろうが洋楽だろうが、僕はポールが作った音楽を聴いて感動したしそれで育った。今は接し方も変わったのは事実だけれど、ポールの作品にどれだけ「音楽で感動すること」を教わったか知れない。ジョンの作品を知り始めたのはもっともっと後だった。

 ポールがいなかったらビートルズも音楽も、もっと言えば自我にさえ目覚めなかったかもしれない。そのくらい最初に僕に衝撃的な「音楽との出会い」を与えたのは、今思えばジョンよりもポールの作品だった。もちろん今でもそのほとんどが好きだけれど。

 バンドを組んで、ベースのコピーしてどれだけポールの才能にぶっ飛んだことだろう。ギターでミッシェル弾いて、おそろしく美しい不協和音に初めて出会った感動を今も鮮明に思い出す。ヘルタースケルターに参ったし、バンドオンザランではあの過激な展開が麻薬のように好きになった。ポールがやることは何でも当たったし、クールだった。

 そしてその音楽の広さゆえ、ポールは批判され続けてきた。

しかし、僕と同じようにポールに教えてもらった音楽が、初めての音楽との出会いだった人も実は相当多いはずだ。人は成長とともに、過去を捨てていく。しかし、いつか、過去を大切になるとき、その過去になにより感謝することになる。

 ジョンをなくしたとき、どれだけの「過去ビートルズファン」がジョンファンになって戻ってきたことか。そしてジョンへの批判はそれ以来消えた。ジョンも生前は批判の対象だったけれど、ポールも最後まで批判を受けるのだろうか。

 ポールは偉大な過去を葬り去るために、解散後から戦ってきた。それは今も続いているのだろう。ビートルズという過去を背負うポールの過去は他の誰よりも、比類なく大きい。

 思い出したけれど、僕がギターの次に買った楽器はリッケンバッカーのベースだった。ポール、クール!


 リバプールはどうしようもなくさびしい町だった。僕にとっては、そうとしかいえない。もちろん現地で毎日生活している人はそんなことはないのだろう。

 でも、最初にリバプールに言ったときは本当に駅前にも小さなデパートがある程度であとはパブが少しおそくまで細々と営業しているだけだった。今はかなり賑やかになっただろうけれど。


 まして、ビートルズがここで育った1950年代から60年代の初頭までとなると、さらになんにもない、寂しい町だったに違いない。
 だから、リバプールに行って、どれほどビートルズがとんでもない存在であったかがあらためてわかった。わずか50万人位の人口の町で、夜中キャバーンなどという薄汚いクラブで演奏していたただの不良連中が世界に出て行く。自分の顔見知りがアメリカでエドサリバンショーに出て大喝采を受け、シェアスタジアムでは5万人以上が失神者もでるほど熱狂する。アメリカだけじゃなく世界中をこんな現象が覆い尽くす。帰ってきたら今度は勲章をもらう。そして出すレコードの度に革命的な音楽を作り、恐るべき才能を披露して行く。
 それが自分の顔見知りなのだ!


 リバプールでアランウィリアムスやボブウーラーと偶然パブであって朝まで話し込んだことがある。話題はもちろんビートルズだけだった。彼らにとってもビートルズと過ごした時間は現実であり、今も忘れえぬ夢の出来事なのだった。彼らと話して、リバプールの人情のようなものもよくわかった気がした。笑いの中で強い個性と優しさ、美しくも笑いに溢れた時間…まさにビートルズの連中の雰囲気そのものだった。ジョンはこの人たちを思ってIn My Lifeを作ったのだろうか…そう思うとどうしようもなく嬉しくなった。

 ビートルズは才能が一度に同じ場所に集まった奇遇の産物でもある。だけれども、あくまで勝手だけれども、ビートルズはリバプールでしか生まれなかったのだろう…そんな気がしてならなかった。

 笑い、強さ、純粋さ、愛、個性と思いやり。ビートルズには今でもそのときのリバプールの人たちの思い出が重なり合う。
 
 なにもない、どうしようもなくつまらない町、リバプール。でも、そこはあの才能を生み出した偉大なるエネルギーが溢れていた。
 ポールとリンゴが生きているうちにもう一度行ってみたいと思っている。アランとボブはまだ生きているだろうか…


Walls and Bridges, 心の壁・愛の橋、というジョンのアルバムが大好きだ。これはジョンがLAにいて、失われた週末と言われる小野ヨーコと別居中に作られたアルバム。

 世間ではあまり評価は高くない。おそらくイマジンやジョンの魂ほどは激しく支持されていない。

 でもこのアルバムがもしかすると一番回数多く聞いているかも知れない。そのくらい、不思議といつも聞きたくなる作品だ。


 いつものことだけれど、この中でジョンの強さと優しさがにじみ出てくる。ジョンには突き進む力と、包み込む優しさがあった。そして、それに透明で硬質な純粋さがあった。

 ジョンにとっては激動の時に作られた作品で、内容は散漫なイメージもあるけれど、それがゆえに、ジョンのすべてが見えている、と僕は思う。

 What you gotの強さには圧倒されるし、本当に凄いロックンローラーだと感心させられる。

 でも最後のNobody loves youでジョンが深い孤独感にさいなまれ何か寄り添うものを欲していたのも痛いほど伝わる。最後のジュリアンとの「共演」は心温まる。


 この心の壁・愛の橋を聞くと、僕はジョンいないことに改めて傷心する。僕がほしい回答をジョンは教えてくれた。けれどもうその人はいない。

 Why.....






 ビートルズには規則がなかった。音楽はたいてい規則的なコード進行とか小節数があるわけだけれど、ビートルズにはそれがなかった。でも音楽はいままで聴いたことがないほど凄かった。

 教育は受けていない彼らが作った音楽は、当然だれの知識もないわけだから彼らだけのオリジナルだったわけだ。だからコード進行だろうが、ギターの弾き方だろうが、ベースの弾き方だろうが、ドラムのたたき方だろうが、またまた歌い方だろうが、なんでも気ままに勝手にやってしまった。

 ビートルズが新鮮だったのはほかならぬ無教育だったからだと思っている。

 教育は人を変えるし人生を豊かにする。けれど、一歩間違うと全員が同じ人間になって同じ価値観でしか動けなくなる。ビートルズは学校では外れていたのだろう。実際全員相当頭は明晰だったらしいけれど、それは教育を受ける場合は関係ない。むしろ、教育を受ける時間があるならギター弾いてるほうが楽しかったのだろう。

 どんな学園生活だったか知らないけれど、教育を蹴飛ばしてできた音楽はダイヤモンドのように透明で硬質なものだった。純粋さとエネルギーは教育で得たものではなかったし、創造性は教育では作りにくい。

 今でこそビートルズは教科書にも載るけれど、彼らはその教科書を嫌ったわけだから皮肉なものだ。でも彼らの才能は教科書以上の力を持っていたわけだ。

 一度テレビでリバプールの老人がインタビューに出ていた。ジョンと同じ学年で小学校に通っていたそうだ。(老人…ジョンも生きていたら老人なのだが)彼はそこで「ジョンは先生に嫌われて学校を嫌った。だけれどもジョンはいまやその学校の誰よりも金持ちで尊敬される人間になった」こういっていたけれど、誰も教育を蹴飛ばす奴が有名になるとは考えていなかったのだろう。しみじみと語っていて今でも覚えている。

 ビートルズの4人とも学校ではダメだったけれど、その学校で誰も持っていない才能を彼らは開花させた。
 彼らが学校をちゃんと卒業して音楽を志していたら、あのようなコード進行やらアレンジがガラガラ変わっていく音楽は彼らに作れただろうか。才能は教育より強い、のかもしれない。

最近、いや正直言ってジョンが死んでからジョンは聖人となった。ジョンは生前はさんざん批判されていたし、場合によってはオノヨーコと変な方向に進んでしまって変態扱いされていた。

 でも、世間は不思議なもので、失ってから、失ったものの重大さを知るのか、それとも単に死んだから祭り上げるだけなのかしらないが、ジョンはカッコいい聖人、神と等しい存在と化した。

 まあ、僕の中では偉大な神様に違いないけれど、ちょっと世間のジョンに対する神様、聖人扱いとはことなる。なにか世間の評価はうそ臭い。だって、生前はジョンは絶対に今ほどは評価されていなかったから。

 今でこそ名曲扱いされているストロベリーフィールズにしても、あれは難解でよくわからん曲でしかなかったし、間違っても人気の曲ではなかった。

 接するほうもジョンがいなくなってから接し方が間違いなく変わってしまったのだろう。ジョンが死ぬ前はポールの方が世間的な評価や人気は圧倒的に上だったし、ジョンもポールの才能に後半は押されていたのは事実だし。


 でも、それもジョンの宿命なのだろう。ジョンほど酷評されたミュージシャンもいなかったし、ジョンほど尊敬されたミュージシャンもいなかった。挙句に神様扱いされてるのもジョンだけかもしれない。

 でも僕の中ではジョンは変わらぬままだ。困ったときはイマジンやマインドゲームスを聞いてジョンの言葉に耳を傾けるのも今も昔も同じだし。

 ジョンは存在がでかいからどうせ生きてても酷評も続いていただろう。ポールが生きているがゆえに酷評されるのと同じだ。でも、どれだけ酷評されようとも、僕はジョンが生きていてくれることのほうがはるかに嬉しい。ジョンが聖人や神になることよりも生きていて時々アルバムでもゆっくり作ってくれるほうがはるかに励みになる。

 もうすぐ11月30日、ジョージの命日。そして12月8日はジョンのあのアホラシイ、くだらない奴のための、世界で最もばかげた出来事の日がやってくる。ジョンとジョージが生きていたら、みんな老人だけれど、どんな話をしただろうか。今、燦然と輝く世間の賞賛よりも、彼らの今を見たかった。

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 仕事でしばしばロサンゼルスに行った。今は少なくなったけれど、数え切れないくらい行った。最初は楽しくて仕方なかったけれど、最後の方は惰性で回った。とにかくでかい街で車で動くのすら疲れる。

 しかし、最後のツアーは感動できた。何故か?
行きたかった場所にいけたから。

その1)レコードプラント
これはLAの名スタジオ。イーグルスの「ホテルカリフォルニア」もそうだし、スティービーワンダーやらドゥービーやら、とにかく全米のミュージシャンが録音したといってもいいくらい有名なスタジオだ。LAではビーチボーイズが使ったオーシャンウェイスタジオと同じくらい有名なスタジオだろうか。
 そこでスタジオの女主人に昔話を聞けた。ポールマッカートニーがロンドンタウンのレコーディングで着ていたとか、ジョージハリスンがリンゴスターと一緒に録音に着たとか、デビッドフォスターがアティチュード時代から仲良かったとか、話していて時間を忘れた。アビーロードじゃないけれど、彼らの写真は貼ってあるし、面影をみて嬉しくなった。

その2)ヘンソン・レコーディング・スタジオ
これのほうが有名かも?何といってもこのスタジオこそ「
We are the world」の録音された場所。今は名前は変わったが、かつてはA&Mスタジオとして超メジャーなスタジオだった。で、このスタジオの中を全部見学できた。もちろんWe are the worldのスタジオも見たかったけれど、目的はポールマッカートニーがDriving Rainで使ったスタジオ。これには感動した。まだそのアルバムも出たばかりで、スタジオのスタッフもポールと一緒に仕事を出来たことに感動的な思い出を持っており、話をしててこっちまで感動した。ポールが録音で使ったピアノも超でかいスタジオの真ん中においてあり、それを俺は弾いた!
涙だった。

その3)ハリウッドボウル
ここはすでに21歳のときに一度訪れている。歳はばれるが25年前にそこにいったことになる。しかし、またそこに行ってしまった。これこそノスタルジーだったかな。25年前、日本人はLAですらあまり出会わなかった。街の様子もぜんぜん違っていたし荒れ果てていた。今はきれいになったけれど、ハリウッドボウルはまだそこに悠然と姿を見せた。
記念になにか、と思い土産やにはいると、ビートルズの商品の多いこと!ライブレコードが出たこともあるし、ファンはビートルズがここで歴史的なコンサートをやったことを知っていて、かなりの数のファンがやってくるらしい。なので、今はもうビートルズもここには関係はないけれど(いや、ポールが最近ソロでここでまたコンサートしている)、ファンにとっては聖地のひとつなのだ。


まあ、俺もいい歳していつまでも追っかけやってるわけでもないが、どうも彼らの影を見つけると自然に体が喜びだしてしまう。LAは最近ではあまり好きな場所でもないので、行きたいとも思わない。だけれども、不思議とこの手の場所だけは聖地のままだ。

いずれイギリスやNYなどの旅レポートも始めようっと。


 「ビートルズは卒業した」という音楽ファンは多い。それだけ皆ビートルズを最初に聞いて、それから音楽の好みが細分化していくのだろう。だから、ビートルズは卒業とうことなのかな。

 でも、そのくらいビートルズの音楽の幅は広いわけだ。一番最初に好きになったのがベルベットアンダーグラウンドやシドバレットのピンクフロイドなんていったら、ちょっとそれは飛んでる。まあいるだろうけれど珍しい。

 なので、ビートルズ卒業という文句はよくわかる。でも、その時代にビートルズは必要だあっただろうし、そういった音楽ファンはおそらくこれからも永遠に生まれ続け、ビートルズを最初に目指すのだろう。

 でも、 僕の場合は卒業を試みるものの、幅の広さのためかそれとも最初からドンピシャだったのか知らないけれど、ビートルズはいまだにそして永遠に自分の中での重要な一角にいるのも事実。自分のようなファンもまわりにワンサカいるから、卒業しないで留年してる連中も多いわけだ。いや、おそらく留年組みの方が多いのだろう。

 ビートルズは、音楽最大のランドマークと化している。だから、何でもビートルズと比べて話もされる。そのほうが話がわかりやすいし楽なのだろう。だからビートルズを超えた、だのビートルズよいこっちがいい、だの…それはトップの宿命だから仕方がない。だって、パープルを超えた!といってもあんまりピンとこないし、クイーンを凌ぐ!といってもなんのことかわからん。ストーンズは最初から自分達の位置づけにビートルズを利用することでオリジナルになろうとしたし。常にビートルズは利用され批判される存在であるのも事実。ビートルズ側はなんの比較も批判もしないけれど、どうしても批判や批評の対象になるのはトップランドマークの宿命か。

 だから卒業したことまで「意味」を持ってしまうのだろうか。まあ、こっちは気楽に留年を続けようと思う。

  
 クイーンもフレディ・マーキュリーがいなくなって、最初に親玉が他界。それで解散と活動停止状態になってしまったグループ。ビートルズはジョンが撃たれて、それで4人で遊びでもいいからもう一回、という夢すら消えた。まあ、クイーンも似た境遇だろう。

 クイーンで、ビートルズに似てるなあ、と思ったところがあった。最初にクイーンを聞いたのはSheer heart attack のときだから、もう30年も前か…古い。なんという時の流れ。

 しかし、和声(コーラス)はビートルズのあのマジカルな雰囲気と似てたなあ。「あ、このグループ売れんじゃねえ?」最初にそう思った。とにかく、コーラスがカッコいい。声の響きのいいグループはやはりオリジナルだから。

 ビートルズも一人一人もいい声してるけれど、3人(リンゴ、ゴメン)でハモルととんでもなく美しくなる。Free as a birdの最後のハモリもポールとジョージだけだけれど、まさにビートルズの音だったし、ポールも自分でインタビューで「ビートルズのハモリになってるからおどろいた。まあ、考えてみれば自分達でやったんだからあたりまえだろうけど」なんて、久々のコーラスで驚いてたから笑ったけど。

 クイーンもあの緻密さとワイルドさと新しさではビートルズの影響を感じるバンドだったなあ。ま、本人達もビートルズファンなのは認めてたから事実だと思うけど。
 実に残念なバンドだった。もう少し活動してほしかった。


 でも俺の好きなバンドはなぜに解散が早いのだろう。
クイーン、ZEP、ジェネシス、キングクリムゾン、キャメル(プログレ連中はどうしようもないか?)、ドゥービー、イーグルス…限り無し、それにビートルズとくる。才能ある連中は同じ子と続けてマンネリになる前にやめるから仕方ないだろうけど。でも早すぎるなあ。
 
 ジャズは結構楽だけど。最初から個人主義だから。でもマイルスは、ビルエバンスとコルトレーンとチックコリアとウェザーリポートと…そんな連中とやっててよく最後まで頂点でいたものだ。まさにジャズの巨人だったのだろう。
 で、マイルスとジョンレノン、実は交友もあったらしい。まあ、両雄、巨人だから。

 今日は滅茶苦茶な話しになってしまった。気分が滅茶苦茶だ、という事実。明日はもっとまともな話に戻ろう。






 ジョンレノンにはたくさんの友達がいたのだろうか?いやそうも思えない。ジョンはわりと家にこもっていたりで外の接触はさほどでもなかったような記録しかない。むしろ、ヨーコとショーンと一緒のほうが多かったような、そんな生活だったのだろうか。

 もちろんエルトンジョンやらデビッドボウイやらはてはミックジャガーやらもある意味では友達だったようだけれど、ちょっとそれも親友でもなさそうだ。なぜなら皆、ジョンを語るときは「尊敬している」という言い方になってしまって、並列の友人とは言い切れない。ジョンレノンには、友達より尊敬が集まってしまっていたのだろうか。

 でも、それはポールも同じか。ポールもタイプは違うけれど、様々な付き合いはあるようだ。ジョンがなにか人間の深い部分の尊敬を集めるとすれば、ポールはやはり才能と音楽の力に対して尊敬を集めてしまう。ポールもその意味では、親友はやはりいないのか、もしくは少なかった。

 ジョージやリンゴもある程度は同じでも、彼らはむしろ親友と呼ばれる付き合いはジョンとポールよりもはるかに多かった。特にジョージは他界したとき、ボブディラン、ジャックブルース、そしてジェフリンなど限りなく多くの人たちがジョージを親友と表現していた。もちろん尊敬の気持ちもあったろうけれど、友情も確かにあったのだろう。

 ジョンとポールは親友は本当に持てなかったのだろうか。

いや、実はそんなことは絶対にない。忘れちゃならないだろうけれど、ジョンの親友はポールしかいなかった。そして、ポールもジョンだけが親友たっだ。僕はそう思っている。あの2人だけがわかることだけれど、あの名曲の数々を作った2人が、親友以外のなんなのだろうか?

 自分の中学校時代の友人を思い出してみて、はたしてその頃の連中と世界をマタにかけることなんて想像できるだろうか。それも小さな田舎町で4人で学生バンドやってたような連中と。おそらくは誰だって想像はまず不可能。でも、彼らは悪ガキのまま作曲してヒットして、悪ガキのまま世界を駆け抜けてしまった。

 喧嘩も断絶もあったけれど、お互いに人生で親友はたった一人だったのかもしれない。その意味ではジョンとポールほど友人に恵まれた人間もいないように思う。
 なんたって悪ガキの頃から一緒だった最高の友人と最高の時を送って、最高の結果を残せたんだから。あの2人以外じゃなければできなかったことだから。
 評論家がわかったような言葉で2人は違うとかどうのこうの言っても、そんなのこそ違う。やはり無二の親友だったのだ。僕はそう思えてならない。
 
 





 ポールはいまだに現役で作曲できるのだからさすがだけれど、やはり最近は老化は隠せない。なんとかルックスはまだ若そうだけれど、でもアップの写真などを見るともう老人だ。

 それよりもファンとして感じる老化はやはり声だろうか。僕はポールの声は大好きだった。特に後期のレットイットビー頃から、ソロのバンドオンザラン、ビーナスアンドマースのころまでのポールの声は張りがあってまさにロックを歌ったら本当に誰もかなわないんじゃないか?というくらい力強い艶のある声だった。
 この頃は、ジョンやジョージよりも僕はポールこそが世界最高の才能を持っていると信じていた。もちろんいまでもそうだけれど、当時はそれが群を抜いていて、とにかく神々しいまでの光を放っていた。

 ジョージも手術後、そして他界する前は声は弱くなった。もしジョンが生きていたらどんな声をしていたのだろう。

 ミュージシャンは音楽で生命を語る。写真ではなく「音」なのだろう。ポールの声が音となって聞こえるとき、やはり老化は最も顕著に見えてします。

 でも、それは仕方がないか。ポールは今64歳なのだ。When I'm 64 なのだ。老人で当然だ。だけれどもいまだに僕の中ではポールは屋上でGet Backを歌ったクールなミュージシャンでもあるのだ。だから「音」の差には敏感になってしまうわけだけれど。
 






 「抱きしめたい」がアメリカの電波に乗った翌日にはビートルズは未来が決定していた。そんな風に言われたほど、そのインパクトは鮮烈だったらしい。なにか今までの価値観と違うものが来襲してきたような印象。それがアメリカに出て行ったビートルズの姿だったのだろう。

 その上、アメリカ上陸後に行われた記者会見も完全にぶっちゃけ型。質問とお答えが決まっていたような会見はありえない状態で、ビートルズはリバプール風のシニカルでどぎついジョークを連発。

 今でもそのフィルムは残っているけれど、アメリカの記者たちの方がやっと彼らについていってる感じで、ビートルズに遊ばれてるような雰囲気すらある。役者が最初から違うってことか。

 まあとにかく俺の世代じゃインパクトが強すぎた。みんないい子なのが当然の時代に、やり放題遊び放題しゃべり放題好き勝手な連中が突然カッコいい曲作ってコンサートやって叫び声浴びて大金持ちになって。なんでそんなことできんの?ってな時代の転換期だったんだろう。

 おかげで、「自分でも何かやればできる」と思った連中(自分含む)は相当天才と凡人のギャップに悩まされた。だって、やったって出来ねえじゃん!と結局気が付くわけだから。

 でも楽しかったよおかげで。いい時を楽しめた。やはり感謝だね。



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 ハードデイスナイトの映画などでも見られるけれど、初期のコンサートは楽器のアンプに司会者が使うようなマイクがあるだけ、というシンプルなものだった。

 その映像で必ず登場するのがフロント2名で1本、あるいは3人で1本のマイクで歌う姿。 これが本当は相当難しい。目の前の相手は別のメロディを歌っているわけで、スマップみたいに全員が同じ旋律を歌ってるのとわけが違う。その上ビートルズは演奏しながらそれをやる。

 驚異的な音感と器用さがないと、実はこれは絶対にできない。1本マイクで各人が歌うほうがはるかに楽なのだ。

 サージェントペパーの録音の時、3人が1本のマイクで歌ってるのを録音したジョージマーチンがその当時を振り返り、「こんなの簡単に1本マイクで彼らは歌えた」といってたけれど、そうなのだ、できて当然の連中だったのだ。じゃなければビーコーズはできっこなかった。

 てな理屈をいいながら見るのも楽しいけれど、実は3人が1本マイクで歌ってるのを見るだけで楽しいんだよね。なんたって、連中が一緒にやってんだから。ポールもジョージもリンゴもソロで来日したけれど、1966年の武道館での1本マイクにはやはりかなわなかったかな。



 数年前、かなりラスベガスに仕事で出かけていた。音楽はビートルズに限らずいろいろ好きなので、ブルースやジャズ、ロックのコンサートも数多いこの町はやはりとても愛着がある。ふと、到着するとジョージベンソンがその日にあったり、エアロスミスやストーンズがハードロックホテルでやってたり、砂漠の町は温度も心もいつもアツイ。

 で、やはり気になってビートルズの情報もチェックした。今はもう朽ち果てた感のあるホテル「サハラ」。1960年代はラスベガスきっての豪華大型ホテルだった。このホテルの歴史には「ビートルズがコンサートをしたホテル」として今も燦然と記録が残っており、写真も当時の熱気を伝えている。ラスベガスヒルトンがエルビスのコンサートを語るのと同じだ。
 しかし、古い。もうちょっと薄汚れている雰囲気すらある。けれど、そんな情報はまたもや僕をそのホテルのファンにさせてくれるから不思議だ。

 さて、そのときはポールマッカートニーがドライビングレインのツアーを始めたとき。ラスベガスのMGMホテルの2万人収容の大型アリーナからスタートとあって、街のいたるところにポスターや掲示板が光っていた。
 
 サハラにビートルズが来たのが1964〜65年頃だろうか。それから、なんと!約40年が過ぎ、ジョンとジョージも他界したあと、ポールがたった一人でコンサートに来る。なんと悠久の時間が流れ、この街の景色も変わったことか。MGMホテルはとてつもなく大きくきれいなホテルだ。ポールにはこの会場しかありえないのも事実。しかし、もしサハラでコンサートをやってくれたら、どれだけの当時を知る人たちが涙することだろうか。誇りとして歴史を育てたホテルが、それを待っていないわけもない。武道館に戻ってくれることと同じかな?

 もしポールがサハラにまた出るなら、ぜひとも渡米して僕も見たい、そう思ってしまった。
 でもその前にできれば武道館に来てくれないかな?武道館こそビートルズが始めてロックコンサートに使ったわけで、当時は反逆の象徴だった。サハラと武道館、そこではともに時間はなにかを変え、なにかを育てた。



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かつてリンダ・マッカートニーが「ポールがさらさらっと曲をすぐに書き上げてしまうのを見ていて凄く驚いた」というのを語っていたことがあった。

 それもそうだ。あれだけの作品数をさらさら書き上げていくわけだから。それも駄作の確率は極めて少ない。まあ、才能といえばそれまで。

 僕の場合、かつてバンドをやってはビートルズに追いつこうとしたこともある。今はピアノも弾けるようになって、ジャズも時々弾いたりもする。それで、マジで驚くのが「奴らの耳の異常な音感」。どうやって、微妙な音を聞き分けるのか。ビートルズには音楽理論は当てはまらないことが実に多い。とにかくテキトーにやっているようで、要するに破天荒なコード進行やら和音やら、7小節のイエスタデイやら、常識論はことごとく打ち砕かれた歴史だった。サージェントペパーなんてその典型だったし。その都度、驚くことは満載だった。

 ビートルズが最初に作曲を始めた頃は、コードの本すら売っていなかったらしい。つまり連中は「耳で」コードを拾っていったわけだ。

 If I fell…あれはお化け。あのコードで作曲しろっていわれても、出だしがまったく無理。歌にならない。でもジョンが歌うと、「これしかない」っていうメロ。コーラスがはいると、常識のコーラスを超えたハモリ。でも究極に美。

 Your mother should know…これも滅茶苦茶な理論なしの展開。でもポールの音楽はちゃんと感覚に訴える。

書き出すと切りないので、ここまで。またあとでどんどんいく。
しかし、こいつらバッハ、モーツアルト級に音楽を体で知ってる。そうとしか思えん。それと、作詞ね。ジョンはもちろんポールもジョージも「言葉」はうまいね。あれだけの曲に詩をさらっと書ける奴ら。これもただ者じゃない。相当頭が明晰じゃないとアホな言葉の羅列になる。ためしに、書いてみてみるとわかる。真っ当な詩なんてそう簡単なもんじゃない。それも3人ともさらさら書く。奴ら、なにものだったんだ?

 ビートルズはロックバンドだったが、ジャンルはビートルズというジャンルに属する。ビートルズはジャンルを超えていた。だって、そんな単一ジャンルじゃ語れない、から。



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 ジョンの顔。時に真剣に悩むことがあるが、青春期の顔とアビーロードの頃(解散直前)の顔はなんであんなに違うんだ?わずか6年くらいしかたっていない若者の顔が、若きロックンロールミュージシャンの顔から、哲学者、仙人、神…そんな顔に変貌している。

 ジョンにとってはすべてが本当の顔だったんだろうか?おそらくデビューからヘルプまでの顔は、ジョンの信実の顔ではなかったのだろう。あれは作られた顔だ。ジョンの顔は、むしろキャバーンの頃、ハンブルグの頃のほうが真実を語っていると思う。

 では、アビーロードは?あれは、エントロピーがぶっ溜まった後で怒涛のように流れ出たジョンの内面がああいった顔にさせたんじゃないか?溜まったこと?無理なアイドルのふり、ポールの横暴、ブライアンの死去、アップルの失敗…そんなところを想像してしまう。

 ジョンは撃たれたその日に写真を撮っている。その写真は…?それこそ真実のジョンレノンの顔だったように思う。そこにはすでに、アビーロードの頃の老廃したものはなく、純粋な美が顔に漂っていたよう僕は感じる。
 ヨーコとの再縁、そしてショーンの誕生と再出発。ジョンの顔は、伽バーン時代のように純粋な目を持っていた。

 その写真を見るたびに心は痛む。



関連タグ : ジョンレノン,

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 数年前、ロンドンに旅をした。その際にどうしても泊まりたいホテルがあった。プレジデントホテル・ロンドン。なぜかというと、ビートルズがまだリバプールから仕事でロンドンに来る頃、つまりまだまだ売り出し初めでリバプールの家から通っていた頃泊まっていたホテルがこのホテルだからだ。

 かなり前の話なのですでに4人のうち誰も最近になっては使用していないし、巨大化した存在となった彼らが使うようなホテルでもない。
悪いホテルではないけれど、中級ホテルといったところだろうか。

 しかし、僕は泊まりたくて仕方なかった。今でも語られるらしいが、仕事から帰った彼らはしばしばバーで酒を飲んだらしい。そのバーテンも今はいないが、かつてしみじみと当時を語っていた。レストランは今もイギリス風の朝食つき。当時も4人は明日をさらに夢見てここで朝食を食べたのだろう。ジョンとポールジョージとリンゴ、の組み合わせでツインによく泊まったそうだ。2人1部屋という節約モード。
 
 彼らはここでロンドンの仕事をはじめ、ここで世界へ羽ばたく準備をしていた。そんな昔の場所でしかないけれど、デビュー当時を知りたくて仕方なかった僕はここを真っ先に目指してロンドンで宿を取った。

 なんのことはない普通の、しかし清潔なホテルだったが、この中で4人があの60年代を過ごし始めたと思うと、なぜかそこにいることだけで嬉しかった。

 プレジデント・ホテル・ロンドンの近くには、ラッセルスクエア大英博物館などがあり、インド料理レストランなども数件ある。カレー料理が好きだったジョンはこんなレストランで食事をしたのだろうか。

 当時に思いをはせて、僕はそこで楽しくて仕方がないロンドン、イギリスの旅をはじめ、そして終えた。今は色あせながらもモノトーンとなった記憶がまだ残っている。

 (ビートルズファンで多少節約モードの旅も兼ねるなら心からお薦めしたいホテルです。ファンじゃなければ全然意味もないですが)


****なお、もしここに泊まるなら便利なホテルクラブの割引料金予約があります。割引料金と写真、施設詳細も見れます。よく使用しますが他のイギリスやヨーロッパの都市でも相当数のホテルがHotelClubで割安で予約できます。私自身、イギリスやヨーロッパ旅行で相当使いましたが便利です。









 ジョージハリスンが使っているギターで好きだったもののひとつがテレキャスター。レットイットビーで使っていたもの。音は乾いて太いカントリータイプの音楽でもよく使用されているギター。

 このギターの音だけれど、やたらに私には心地よい。Let it beの頃の音はこれで弾いたものも多いけれど、好きだなあ。

 ジョージがエリッククラプトンと来日したときにロイブキャンモデルのテレキャスターを使っていたけれど、ジョージは割りとこの音気に入っていたのだろう。グレッチの次にジョージのイメージでは、このテレキャスターかな、私にとっては。でもビートルズの音が聴きたいんだけどね。ジョンとポールとリンゴと一緒に作った音が。ビートルズはバンドとしても(過小評価されてるけど)世界最高峰だった、と信じてる。だって、あれだけまとまった音楽作ったんだから。

 


関連タグ : ジョージハリスン,

 昨日はちょっとマイナーは書き方だったけれど、今日は明るくいけるだろう。LOVEを試聴できた。その結果、これは悪くなかった。楽しめた。といっても聞いたのは、4曲だけなので発売になったら買うことにした。


 とうりわけホワイルマイギター…のジョージの声とギターに震えてしまった。若い、美しく純粋であり、才能が溢れているメロディ、そしてそれにかぶってくる軽いアレンジのオーケストラ。アンソロジーのものをさらに手を入れただけだけれど、ジョージ・マーチンのビートルズにたいする、いや、もしかしたらジョージハリスンへの強い愛情を感じてしまった。

 ジョージマーチンは、よく「ジージ・ハリスンの曲を手伝うことが出来なかったのが申し訳ないし残念だ」と話していたのを覚えているけれど、ジョージハリスンの死後数年を経て、ジョージ・マーチンは念願を成就させたのかもしれない。

 自分勝手な解釈なのはわかっているけれど、これが我流のビートルズとの接点でしかないので、いまさら変わらない。でも、なぜかそう思うし思いたくて仕方がないのかもしれない。
 仮定の話でしかないけれど、ジョージマーチンはこの曲をジョージハリスンに一番聞いてほしかったのでは?

 嬉しい一日だった。


関連タグ : ビートルズ,

 LOVEが発売になる。ジョージマーチンが息子と一緒にアレンジして「ビートルズ」の新作らしく仕上げた、というのだろうか…

 しかし、前のアンソロジーの時も思ったけれど、「期待して聞いて、感動して、最後にはやはりむなしい」ということも事実。当たり前だけれど、ビートルズはもう現れないから。昔のを作り直してもあまり快い意味はない。アンソロジーではジョン以外の3人が「新作」をとりあえず録音したので、嬉しかった。涙した。
 でも、やはりLOVEには聞く前からハードルができてしまう。

 案外きいてみたら、まったく別世界で楽しめるのかもしれないけれど、どちらにしても、ビートルズというアーチスト名で売り出す限界が見えてしまう。仕方がない。2人もいないのだから。

 ううん、どうもまずいなあ。回想感が強いかな?もっと、ポジティブに書きたいけれど、どうしてもそうなれないのはなぜだ?5年前くらいに書いていたときは、ジョンはいなかったけれど、まだ3人はいたし。でも途中でジョージがいなくなったけれど。でも、まだ前向きなビートルズだったけれど。どうもこのままではいかん。明日から少し趣をかえてみよう。トライ!

関連タグ : ビートルズ,

 すでに4〜5年前になるけれど、毎日ビートルズ・ダイアリーなるものを書いていた。おそらく3ヶ月くらいでつまずいて終わるだろうと思ったけれど、当時は2年くらいは続いただろうか。

 そのご、滅茶苦茶仕事が忙しくなってしまって、それも自然に終わらざるを得ない運命をたどった。

 でも、また何かしら書き綴りたくなった。なにか溜まってきたのだろう。前にすでに相当書いては吐き出したから、もう書くこともなくなったはずだったけれど、またこうやって始まったのだからわれながら病気だ。いや、やはり「ビートルズは消えない」のだろう。

 わけあって、今は日本を脱出した。しかし、ここでもまだビートルズはライブな生命力を持っている。日本を離れても、まだ毎日の生活に入り込んでくる。

 ジョンもジョージもいなくなる日が来ることなども想像したことすらなかった。寂しさはもちろんだけれど、しかし、不思議とまだ完全に毎日の生活の中でよみがえってくる。やはり、消えない…ということか。




 ビートルズがシェアスタジアムに登場したとき、ロックの歴史も完全に変わったのだろう。ロックは、エネルギーで大衆を変えることを全世界に証明してしまった。

 でも、凄かった。この映画を最初に見たのは私が高校生のとき。すでにコンサートから10年は時がたっていたけれど、それでもこの映画で出てくるファンの熱気は信じられないほど凄かった。
 日本では、コンサートは座ってみるもの。外国では体が反応するものなのだ…その体験は単にフィルムコンサートの枠を超えていた。

 いまだに忘れられないときが心に刻まれている。
書き出すと困ってしまうビートルズ


 久しぶりに日記風にビートルズを綴ってみることにした。でもそうなるとひとつ困ってしまうことがある。ビートルズのことばかり日夜考え始まってしまい、仕事中もぼんやり始まるからだ。でも、まあ仕方がないでしょ。万年中毒状況なんだから。

 今日は、ジョンの写真を眺めていて想った。なんでこの人はこんな仙人みたいな、いや聖人のような顔つきをしているのか。若い頃の写真にはエネルギーが充満している。でも、30才頃になると、エネルギーに加えてものすごい深遠な、凡人では理解できないような顔つきになってくる。だいたい、アビーロードのジャケットで白い服きて歩いてるのが29歳の若造か?あれはキリストの生まれ変わり、数千年の時を経てよみがえったような人間の姿じゃ。

 勝手だが、ジョンはやはり私の中では聖人、仙人、そして神々しい存在でしかないのだろう。写真見てるだけで何かが違うわけだから。


 
ビートルズがなぜ麻薬だったか


 なぜビートルズは世界で多くのファンを生んだのだろう。実は、以前リバプールに行ったとき、ふと考えたことがある。あまりに哀愁感ただようリバプールで強く生きていくためには、何かを笑っていないと耐えられなくなってしまうのかもしれない。だからリバプール人は彼ら4人も含めていつもヘビーな冗談で笑っている。でも、あの哀愁からは逃げられない。逃げたいのに追ってくる。それって、日本の社会の湿った感じに似ていないか?逃げ出したいけど、どうしようもない社会。日本のことは、まあわからんから追求しない。


 ビートルズは笑いながらそれを突き破ってきた。快感。凄いエネルギー。だから世界も揺れた。だから日本も唖然とした。でも、曲にはリバプールの哀愁が時ににじみ出ては心を打つ。エネルギーだけじゃなく、心に響く。これがたまらないタイミングでやってくる。麻薬だった。世界は間違いなく、摩訶不思議なビートルズ大麻中毒状態だった。