ビートルズ関連の本

ここでは、「 ビートルズ関連の本」 に関する記事を紹介しています。
 だいたい、今までビートルズの本というのは何冊くらい出ているのだろうか。もちろん洋楽ではトップだろうし、下手すると世界音楽業界でのアーチスト別部門でもトップクラスになるくらい関連本がでているかもしれない。

 ファンとしてはいい加減、どこまで付き合うか考えてしまう。ほとんど最近は商売本が多くなり、真実や真価を持つものはあまり期待できない。もちろん、最近のジェフエメリックの本だのとなると、興味は増えるけれど、まあとにかく「隠された真実…」という類のものはもう信用できない。なぜなら、本人達がアンソロジーでもすでに語ってしまったし、取り巻きの連中ですらすでにほとんど本を出してしまった。

 残るのは、だれだろう。現アップルの社長ニールアスピナルかアランパーソンズ、または、彼らの親族で下手するとジュリアンやヨーコ、ショーンなんてあたりまで出版社はアプローチしそうだ。アホ、やめろって。

 でも、そうでもしたくなるのは、いまだにビートルズが人気があるからに他ならないけれど。人気がなければ本も出す必要もないし、今までの音源さんざん使って編集したCD出す必要もない。

 下手すると、遠い将来、「本当のアビーロード」とかいって、アビーロードメドレーの曲順変えて編集したりしたら、いい加減レコード会社も爆破されるぞ、真のファンに。




 ビートルズからのラブ・レター―4人がやりとりした51通のポストカード POSTCARDS FROM THE BOYS。これはリンゴスターがビートルズのメンバー4人とやり取りした手紙が本となって公開されている。リンゴは当然だけれど、一番グループでは目立たない存在で、一番後でビートルになった人で、ドラムは天下一品だけれど、作曲や音楽の才能は他の3人よりは少なかったのも事実。なので、グループの中ではいつも一歩引いた感があった。
 ドラマーなのでドラムさえあれだけの録音が残せたなら僕はなにも文句はないし、実際に当時のドラマーであれだけ革新的な業を持っていたのもリンゴくらいだった。後でさらに技巧派のドラマーはきりがないくらい登場したけれど、1965年にレインをたたけたのはリンゴだけ、そう思っている。
 
 ドラムの話はそのくらいにして、このビートルズからのラブ・レター―4人がやりとりした51通のポストカード、リンゴスターと他のメンバーがどんな関係だったかがわかって僕は面白かった。リンゴスターはこの中の手紙にあるような、精神的な浄化作用をグループにもたらしていたのだろう。なんたってあと3人はゴリゴリのエゴもあって才能を競い合っていたから、リンゴスターのように最初から「おまかせします」という態度のメンバーはむしろ歓迎されたのだろう。とにかく、この本の中の彼らのリンゴとの関係はどれもがほのぼのとしていていい友人関係の一面が見えるものが多い。

 ジョン、ポール、ジョージとも「リンゴはロック界で最高のドラマー」といっていたけれど、それはお世辞じゃなかったのだろう。実際にビートルズのバックを出来るには相当器用じゃないとならなかったし、リンゴのようにすぐなんでも対応できるドラマーが必要だったのだろう。膨大な過去のリハーサル録音を聞き返したマークルイソンが言っていたけれど、「リンゴはほとんどドラムミスがなかった真に優秀なドラマー」というのは本当だろうし、ジョンレノンが「奴のドラムをバックに歌うと俺が引き立つ」というのも真実だったのだろう。

 そんな信頼関係がこの4人がやりとりした51通のポストカード POSTCARDS FROM THE BOYSからは見えてきたりもする。

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僕がビートルズファンになって初めて本屋に行って買って読んだビートルズの本が「ビートルズの軌跡」という本だった。当時は何も知らず、とにかくビートルズの情報がほしかっただけの理由で、そこにあった1冊の本を買ったに過ぎない。もう30年位まえだろうか。
 
このビートルズの軌跡は、いま見返すと本当に興味深い。まず、筆者(編集)が当時まだ無名に近かった渋谷陽一。いまでこそロッキングオンの創始者としてロックファンなら知る名前だが、当時はまだロッキングオンも作っていなかった時。駆け出しのときに、当時最高の「洋楽雑誌・ロック雑誌」だったミュージックライフから依頼を受けて作っている。あとで彼自身が語ったところによると、「ビートルズはまだまだ社会的にはマイナーな存在で誰も真の価値や評価を与えていなかった。それを変えたかったし、等身大でビートルズを表現したかった」とどこかで書かれていた。編集には彼の盟友の松村雄策氏も手を貸したそうだ。彼ら、ロッキングオンの創始者もやはりビートルズこそが経歴の始まりだったわけだし、ビートルズこそ、やはり日本でもロック文化を創った役者だったわけだ。
 参考までに、当時はストーンズもフーもなにも社会的な知名度も人気や影響度においてもビートルズと比較すら出来ないほどだったし、音楽的にも日本では大きなヒット曲もほとんどなかった。当時はあまりにも差が歴然としていたのが現実だし、これら他のグループはビートルズを手本に音楽を作っていたのもまた真実の感想だ。このあたりの話は当時を生きた人でないと実感はないだろうけれど。
 
 この本を読むと当時のことがやはり思い出される。ビートルズは日本では唯一、ミュージックライフだけが情報を提供していた。そして、それはあくまでファンの目、極端に言えばミーハー的な目でロックを追いかけていた雑誌だった。今のような評論や力をこめた思い込みもない。あくまで、彼らの情報だけでも十分にファンは喜んだしそれしか情報がなかった時代だった。ギターの弾き方だの、録音方法だの、作曲能力だのの話が出るのは、それからしばらく後だ。その頃は「凄い曲をどんどん作るカッコいいビートルズ」という程度。サージェントペパーもリボルバーも、作品の価値を語った連中はほとんどいなかったし、その意味にすら気が付かなかった。それがビートルズ解散時まであった日本のロックジャーナリズムだった。なので、ある意味好き嫌いは別にして、ロッキングオンが出てきて、ずいぶんロックの語られ方は変わっただろう。さらに言えば、いかにビートルズ自身がぶっ飛んでいた存在だったか。
 
 40年を過ぎた今でもサージェントペパーやリボルバーがライブで語られるという事実をもってもそれはわかることだけれど、その作品の価値を超える作品もいまだ生まれていない。つまり、1966年や1967年では、これらの作品は語られる土壌は全くなかったわけだし、ファンの判断力もなかったということだ。

 このビートルズの軌跡は、よって、そんなファンの目で追いかけたビートルズを表現している。当時を知る人間としては、これで「正解」だと思う。これしか当時を正確に表現するビートルズの本はないのかもしれないし、だからこそいまだに絶版にならずに残っているのかもしれない。今読むと少し文章に違和感もあるかもしれないけれど、それは上記したとおりの「時代」の違いだ。しかし、それは渋谷陽一氏の当時の判断としては結果良かった。当時を振り返る貴重な「ビートルズファンの本」となっているから。

 ビートルズは今では神格化された存在だけれど、当時はファンは絶叫すれども、そのファンですらビートルズの真価はまだ知らなかった。どれだけ凄い才能に接しているかを知らなかった。実際に武道館にビートルズが来たときは、すでに今をときめく「リボルバー」を録音してからのことだった。日本のファンはあのアイドルの顔の下に、誰がリボルバーを作るビートルズを想像しただろうか。ファンはただ、アイドルであり名曲を歌うグループがそこにいることを喜んだし、それが彼らの「素晴らしき時代」だったのだ。それは誰も否定できないし、僕も素晴らしいことだったと思う。二度と起こりえない60年代のモノトーンの風景がそこにはある。
 
 もっというなら、ビートルズが本当にその才能を評価されたのは、70年代の後半、もしかすると、80年代以降かもしれない。それが日本のビートルズへの認識であり、それが日本の成熟度の現実だった。ビートルズはそれだけの間、そして今もなお、社会の価値観が変われども、とっくの昔に解散して新曲すらないグループが、価値を失わずむしろその価値を増大させてきたといえそうだ。いや、もっと言うなら、ビートルズこそが作品発表以来「音楽の力」だけをもってあるときは劇的に、また時に静かにも日本や世界の価値観を変え続けてきたのかもしれない。そうだとすれば、相当時間はかかったけれど、それだけ作品が色あせなかった証明だ。当然だけれど、こんなグループは他には見当たらない。せめて、社会の変化に影響を与えたとすれば、あとはエルビスだけだろうか。だけどその力の持続力ではビートルズには及ばない。

 休日がてら引っ張り出した本に、当時の思い出がよみがえった。それにしても、ビートルズはなんと時代の流れにも風化せずに今に至ったことか。それどころか、散々もう古いだのなんだのと批判されようとも、一向に消え去らない彼らの存在感とはなんなのか。解散から37年。
 新しい音楽は次々に出現し、そのたびにビートルズは過去のものとして扱われようとしたけれど、結局はハードロックもプログレもパンクもグランジもビートルズより先に過去になってしまったようにさえ思う。

 今でも思い出すけれど、「ロッキングオン」の第一号の特集記事は、「ビートルズを葬り去るために」というような記事だった。つまり、ビートルズを忘れ去って新たなロックを語ろう、というようなテーマだったと記憶しているけれど、1970年当初、それは成功したかのような勢いでレッドゼッペリンやプレグレ、アメリカンロックの台頭を迎えた。しかし、今はその編集長だった渋谷陽一氏と松村雄策氏自身がビートルズを葬り去ることが出来なかったことを証明するがごとく、いまだビートルズを語り続けている。もちろん、彼らもビートルズファンなんだけどね。

 ビートルズの軌跡は、なぜか今も僕には捨てられない1冊の文庫本なのだ。



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1989年に会った時ニ撮影したアランウイリアムズ(左)
酔っ払ってうたをうたっている場面


 デビュー前のビートルズにはとても興味がある。だれもロックなんぞを演奏すらしていないころ、エルビスだけがロックンロールスターだった。ビートルズはエルビス追いつこうとしては、ロックンロールを演奏する日々だった。彼らは荒削りで、学校でも社会でもやはりうるさい嫌われ者だったのだろう。今でも彼らのリバプール時代は相当悪いほうに語られることも多い。勲章もらってからでもそれは変わらない。

 そんな時代に、ビートルズを始めてハンブルグにつれていったのがアランウイリアムズ。実は僕は一度このアランウイリアムズと偶然出会ったことがある。1989年にリバプールを始めて訪れたとき、キャバーンクラブの前にある小さな酒場で偶然出会ったのだった。喜んで当時の話を聞くほどに、このアランウイリアムスという人は、ブライアンエプスタインやジョージマーチンのような紳士でもなく単なるミュージシャンを派遣しては金儲けをしていたような人だったのだろう、ということは容易に想像できた。ビートルズにとってどんなチャンスでもほしかったとき、ハンブルグに行く手段はこのアランウイリアムスに頼むことしかなかったわけだし、彼を信じるか信じないかなどは問題ではなかったのだろう。とにかく何でもいいから演奏する機会がほしかったにちがいない。

 アランウイリアムスによるとビートルズはリバプールでもハンブルグでも相当荒っぽく、ジョンレノンはしばしば喧嘩もし、客にナイフを投げたことすらあったようだ。まだまだ成功していないころ、彼らもステージはストレス発散の場所でもあったのかもしれない。そして、帰国してからアランは僕に絵葉書を送ってくれたけれど、今でも大切に保管してある。

 そのアランウイリアムズがそのころを語った本「ビートルズはこうして誕生した」があるけれど、やはり相当荒れ狂った側面やまだまだ未成熟なビートルズを彼はかなり知っているため、本の内容もデビュー前の原石のビートルズを語っている。

 僕はビートルズの原型はあくまでこの頃だろうと思っているので、この頃を知る人の情報はどんな情報であれ嬉しく楽しい。これ本「ビートルズはこうして誕生した」もそんな本なのだ。

 アランウイリアムズとは、その後2度目にリバプールに行ったときに電話で話した。なぜかというと、その酒場の人が僕を覚えていて、アランに電話をしてくれたのだ。アランは「へイ、オマエ明日からでも俺とロシアに行くか?いいバンドがいるから」ってな話を電話でしてきて、びっくりした。本気かどうかしらないけれど、そんなノリでビートルズもだれかれかまわず紹介していたのだろう。でも、そのざっくばらんな性格こそある意味ではリバプールそのものでもあるけれど。

 またリバプールでアランにあいたい気がする。彼は今でも僕を覚えてくれているだろうか。
 
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*写真は当時の「例の教会」
 
 夜中まで起きていて、あまたが昔にワープしたからブログを書くことにした。
 昨年のジョンの命日、今自分が住む国でジョンレノンとポールマッカートニーが出会ってから世界に羽ばたくまでの間を描いた映画がテレビで流れたことがある。ビートルズの黎明期。もちろん本人たちが出ているわけではなく、役者がその頃を演じているだけ。なので、ふと見ているとなんともつまらない。しかし、しばらく見ているうちに目が離せなくなった。

 嘘か本当かしらないし、もちろん大いなる脚色はあるだろう、映画だから。しかし、ジョンレノンとポールマッカートニーが例のリバプールのセントピータース教会で出会うシーン…心が躍った。熱くなった。嬉しくて叫びそうになった。なぜだろう。いや、理由は簡単だ。そのときこそ、ビートルズの始まり、そのときこそ歴史が動き出したとき、そしてそれこそが奇跡の瞬間だったからだ。本人でもないただの無名の役者が語るせりふやギターの押さえ方や顔の表情…。全部どこかしら本当ではないだろう。でも、そのシーンは僕が見たくて仕方がないものだった。僕はその場に本当に一緒にいたかった。そう思っていたからこそ、その映画には釘付けになった。

 不良でロックンロールが好きなジョンとポールが、お互いの将来をまだ知らぬとき、ただギターが弾けるからという理由で出会う。そして、ラジオすら満足にない時代、楽譜すらない時代、テープレコーダーすらない時代に、彼らはギターを自分の音感だけで習得していく。なんという少年の憧れとエネルギー。
 もし、いまタイムマシーンがあってその場に本当にいけるなら、僕は興奮して泡でも吹きそうな気もする。あまりの歴史ロマン、凄い冒険劇の始まり。ビートルズの軌跡の始まり。

 ポールにもし会えるなら、僕は実はこの日のことを一番インタビューしてみたい。「ジョンと会ったとき、ジョンをどう思ったか?凄い奴だと思ったか?どんな期待をしたのか?心はワクワクしたのか?ジョンは怖かったのか?2歳も年上の奴、それも不良と知っていてもジョンとバンドをやりたかったのか?その時のことをどれだけ、何か、どんな風に覚えているか?そして、ジョンと世界へ出て行くことを少しでも考えたのか?」本当にそんな話を聞きたくて仕方がない。ビートルズの歴史で一番知りたいのは、僕はこのリバプールでの瞬間だ。ジョージとポールが通ったバスの中に一緒に乗りたいし、ジョンとポールが学校を抜け出してギター弾いてるところも見てみたいし、3人(リンゴはまだいない)がジョンやポールの家でギターを弾いていた場面に隣から幽霊のように覗いていたい。アホな夢だ。でも、本当にそこに行きたい。

**リメンバー―ビートルズ誕生への軌跡はポールの弟のマイクが当時の写真でビートルズ誕生の頃を証言している。身近な証言だ。ジョンがポールと出会った日のほうは「出会ったその日」だけをクローズアップしている本。これも心躍る。このテレビを見てから探しあさった思い出がある。

 ジョンは後日語っている。「ポールとであったとき、すべてが回り始めた」。それからの10数年間で世界は劇的に変わったわけだ。元をただせば、この出会いこそ僕の人生を、また世界の人々の人生をも変えたことになる。
 あの映画を見たとき、無意識のうちにかなわぬ夢を託してしまったのだろう。映画の中でジョンとポールが出会ったとき、嬉しくなって本当に涙が出そうになってしまった。劇なんだけどね。

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 ポールマッカートニーがちゃんと自分で語って監修して書いた本がある。ポール・マッカートニー―「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」がそれだ。かなり分厚いし、内容は濃い。だから相当ファンじゃないと最後まで付き合って読めないかも知れない。

 もちろん僕はファンだからちゃんと読んだので、しっかりファンには推薦したい。ポールマッカートニーファン、まあせめてビートルズファンならうなずいて読めるかもしれない。
 とにかく、ポールマッカートニーはこれを読むと、奔放に荒々しくもそして好き勝手やりながら音楽を作り続けてきたこともよくわかるし、ポールマッカートニーこそがジョンレノンと双璧の関係のような存在だったこともよくわかる。ジョンレノンは自分のストーリーは相当テレビでも本でも語っているけれど、ポールはあまり語ろうとはしなかった。しかし、アンソロジーやこの本で解散から20数年以上を経てやっと自分自身やジョンレノン、ジョージやビートルズを語ったわけだ。
 
 ジョンレノンはポールとは違って…という話は日本でも世界でもよく外野が批評しては語る。しかし、そんなことは全くどうでもいいこともこの本を読むとよくわかる。なぜならポールとジョンは、本当に仲が良かったのだ。そして彼らはともに世界を動かした才能だったのだ。日本で解説を書いている松村雄策氏の言うとおり、「ジョンは激しく、ポールはバラード、なんて言ってる連中はほっておけばいい」というのは至極正しい。
 
 ポールマッカートニーこそジョンレノンと対等に音楽で仕事ができた唯一の人間であり、ジョンがその実力を尊敬した人物だったのも読んでみて改めて実感した本だった。僕にとっては、4人全員が素晴らしい才能をもったミュージシャンだったと思っているし、この本でポールがジョンを心から今でも尊敬し真の友人として思い出すことが何より嬉しい。ジョンとポールは親友だったのだ。
 また、インマイライフだけはジョンとポールがともに自分が主体的に書いた、といっている曲というのもとても「嬉しく」読んだ。当然どちらかの記憶は間違っているのだろう。そんなことは僕はどうでもいい。ただ、それだけ2人の才能は「似ていた」ということ。自分の曲も相手の曲もどちらも自分が好きな曲だったという事実。あれほどの才能がありながら相手を認め合っていた少しばかりの証拠のような気がした。

 ポールは今でも時々言っている。「世間じゃジョンはこうだった、ポールはこうだった、っていうけれど、それはどれも真実じゃない。なぜなら、だれも、誰一人として僕とジョンの間にはいなかったから。そのときジョンと一緒にいたのは僕以外にはいなかった。真実を知るのは僕とジョンだけだ」。これに尽きる。正しい。彼らこそが証人であったし、誰かがそれを否定して批評しても全く意味もないことだ。
 
 この本にはポールが見た真実のビートルズがある。ポールがジョンとあの教会で出会ってくれたことに心から感謝したくなった。じゃなかったら、僕の人生に「感動」は起きなかったのもしれない。心からその偶然に感謝したい。ありがとう。

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 明日、ジョージが死んではや5年が過ぎる。なんと早いことか。でもジョンもそうだけれど、なぜか死んだような気がしない。それもそうか。毎日まだ生きているかのように2人ともメディアの話題には登場するし、相変わらずビートルズは生きているかのように新作も出たりする。

 ビートルズは36年前に解散し、2人のメンバーももういない。

 なぜ、これほどまでにまだまだライブで語られたり作品が出たりするのだろう。CDもそうだけれど、雑誌ではほとんど毎月どこかでビートルズの記事は出るし、下手するといまでに特集組んでる雑誌なんてザラにある。単行本も次々出るし、ビートルズは36年前に消えたのに、まだまだ商売は衰えない。36年前にいなにのにまだいちいち話題にならなきゃいけないのも本人達も大変だと思う。代わりがいないから仕方がないか。本当に不滅のアーチストなのだ。

 あまたのようにある単行本のなかでも、今日はジョージハリスンが生前書いたアイミーマインを少し読み返した。明日が命日だから。

 ジョージは宗教感も深かったから、この本でも宿命的な生命のありか、のような宇宙観や生死感を書いている。実は僕はこのジョージの思想には納得してしまう部分がおおきい。だから僕はジョージにはなぜか(勝手だけれど)ビートルズの中では親近感がもっとも沸いてしまう。ジョージのこの深遠な部分は、ほとんど報道されていないし、報道しても一般大衆が理解できるものでもないだろう。だから、ジョージがどんな思想をもって人生を送ったかは他のメンバーより理解は難しいかもしれない。

 一読後、僕はジョージのこんな部分に非常に共鳴し、彼をミュージシャンと同意に1人の求道者として大変尊敬するようになった。彼が生前様々な友人に「洞察力がやたらに強い」といわれていたようだけれど、ジョージの言葉や思想は、その裏づけのようにこの本で語られている。

 ジョージはインテリだったのは事実だけれど、その方向性ゆえ語られることは少なかったように思う。

 ま、僕は宗教家、信心深くはないけど。今日はジョージに敬礼。










 ビートルズのアンソロジーが出た時からはや10年以上が過ぎ去ったわけだから、本当に時は飛ぶように流れる。ただ、不思議なのはやはりビートルズにとってはアンソロジーは「いまだに新作」のように思えること。

 当然だけけれど、10年というともういい加減「昔の作品」だ。なのに彼らにとっては新作、それ以来ジョージもいなくなってもうビートルズの「新作」はありえないからどうしてもそれが新作の雰囲気のままなのだろうか。
 たはいえLOVEなんかも出ているがおそらくファンは誰もこれを新作としては受け入れていないだろうし、新しいと思って楽しむのも不可能だ。

 
 ビートルズのアンソロジーは今でもとても大切に楽しんでいる。この中には3人で演奏を楽しんでいる場面や雑談して回想する場面なども収録されているけれど、それがどうしても嬉しくなる。3人で演奏する光景など誰が想像したか。ジョージの姿がまた嬉しい。

 僕の友人もおなじくここだけのためにやはり何度も見るそうだ。ビートルズファンに訴える光景なのだろう。

 ジョンが死んでもう4人の姿は無理、とわかっていた。だから3人だけでも見ることができた嬉しさはあったけれど、今度はジョージもいない。となると、もうこの映像が「3人の時」最後の映像となるわけだ。

 そう考えると、痛いなあ。


LOVEを聞いていて、アンソロジーを思い出してしまった。やっぱりビートルズは4人いないとダメなんだよなあ。メンバーチェンジが絶対に無理なグループだから。